喜恵子の "和のたしな美塾"
喜恵子の “和のたしなみ美塾”
紹介ビデオです。
もうすぐ開講です。
もったい大事
現代の、車内で若い女性が化粧をすることの可否、
江戸の娘がすっぴんに決め色を使うシンプルな化粧や
渋色好みの江戸っ子のおしゃれなどのご紹介。
そして、亥の子祭りと亥の子餅、炉開きのことなど・・、
今週はご紹介しました。
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立冬〜裏技「表まさりの裏小袖」江戸の男の美学
冬の気立ち始めて、いよいよ冷ゆれば也
昨日、立冬を迎えましたが、
暖かい日もあれば、寒い日もあって、日々いろいろに変化します。
それでも、北国からは初雪の便りがもうすぐ届きます。
もうそういう時期なのですね。
昨日お話しました江戸の着物で人気の鼠色。
これは黒から白まで100種類もあったというから、この感性と技術たるや、現代人もかなわないほどです。
江戸の中期までは上方主導の文化でしたから、着物も色目が華やかな友禅染めや、刺繍、総絞りなどを施していました。
ところが、後期になって、衣装に関する幕府の禁令が度々出たのです。
それまで町人の富裕層が衣装にも贅を尽くしていたのでしょう。
豪華な衣装を持っていても着てはならぬ、
値は二百五十匁限りとか、縫いのある衣類は禁ずる、とか。
そこで引っ込まないのが江戸っ子の意気です。
地味な色にもグラデーションをつける。
「四十八茶百鼠(しじゅうはつちゃひゃくねずみ)」なるものもうまれました。
町人上層の主に男性が考えた「表まさりの裏小袖」。
表は無地や縞柄で生地も木綿など質素に見えるのに、裏地は絹などにして凝った模様を染め出すなど、実はたいへん贅沢なことだったのですね。
男性の羽裏の柄の素敵なことは今でも語られていますね。
江戸後期に独特の美学が生まれたのは、むしろ幕府の規制があったればこそですね。
しかも、それを逆手にとって、新たなおしゃれを生み出す。
ただでは起きぬ江戸っ子の心意気。
今日もその気骨をいただきです。
お心肥やしでまいりましょう。
口切の茶事と江戸の二大流行色〜茶色と鼠色〜
茶人が行う「炉開き」。
これは「口切(くちきり)の茶事」とも呼ばれます。
その年の初夏に摘んだ新茶をまろやかにするために茶壺の中で茶葉を熟成させます。
「炉開き」のとき、口封を切ってその葉茶を取り出し,茶臼で挽いて抹茶にしていただきます。
これは「茶の湯の正月」ともいわれ、重要な茶事です。
そして、茶道ではこのころからお正月になります。
床に飾られた新茶の壺の封紙を切って茶葉を挽き、茶を点てる茶事。
鉄釜で煮たてた湯とまろやかな茶をお客様に差し上げる。
言葉はいらないですね。
最高のおもてなしです。
さて、江戸っ子の着物の好みは渋い色合いの無地が基本でした。
これは「雀の羽色」といわれました。
茶色と鼠色は江戸の二大流行色。
この渋い色調の中で微妙な色の違いを出して、個性的な着こなしを楽しみました。
「四十八茶百鼠(しじゅうはつちゃひゃくねずみ)」
茶色が48色、鼠色が100色、それだけの微妙な色合いを江戸の染物屋は揃えていないと、商いにならなかったのですね。
当時着物はとても高価で贅沢品でした。
着物を新調するときは、好みの色や柄を呉服屋の見本帳から選びます。
四十八茶百鼠に加えて、呉服屋独自の色があったそうです。
何度も店と打ち合わせをして、オーダーメイドで作りました。
素材や色を何度も吟味して作る着物。
着物を新調するときは、さぞかしワクワクで、楽しかったでしょうね。
亥の子餅と江戸っ子のお洒落の決め手は?
11月5日は、「亥の子餅」を作って田の神にお供えする日でした。
春、田に降りた田の神が、収穫をもたらして山に帰る日。
来年の豊作を祈願する意味も込められていますね。
この日、多産であることから生産の象徴とされる亥の子に似せた形の「亥の子餅」を作ってお供えします。
この餅を、亥の日、亥の刻(午後9時から11時ごろ)に食べると、子孫繁栄、無病息災の祈願になるそうです。
西日本では、初亥の日に「亥の子祭り」、東日本では「十日夜(とおかんや)」として、
収穫祭が行われるそうですね。
東京では余り見かけませんが、
皆様のお住まいのほうでは、この行事は行われていますか。
さて、シンプルファッションを旨とする江戸っ子が好んだ着物は無地。
上方のほうでは凝った大柄がはやっていたようですが、江戸はシンプルが好み。
無地の次に好まれたのが縞。
「縞を着こなせれば一人前」と言われるぐらい、たしかに着こなしが難しい。
その次が小紋。
江戸小紋と呼ばれて、中でも鮫小紋(さめこもん)が一番好まれました。
遠目では無地に見えて、近寄ると柄のわかる小紋柄がよいとされたのです。
無地にはない、しっとりとしたやわらかい独特の美しさがありますね。
粋を楽しんだ江戸っ子たち。
その心意気、今日もいただきです。
命の讃歌〜ソプラノ歌手下垣真希さん〜
楽天の悲願の優勝、おめでとうございます〜。
文化の日の今日、いかがお過ごしでしたか。
ソプラノ歌手の 下垣真希(Maki Shimogaki)さんが、
11月2日、「命の讃歌」と題して、
東京のサントリーホールでピアノリサイタルをなさいました。
日本のこころの歌をたっぷりと聴かせてくださいました。
ビロードのような美しい歌声。
知的で優しい語り。
着物のデザインのような紅葉などをあしらった美しいドレス。
肌も綺麗です〜。
ジャー・パンファンさんの心に響く二胡の音色。
下垣さんと息がぴったり合う北川美晃さんの、
優しいお人柄がにじみ出ているようなピアノの調べ。
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「赤とんぼ」「ふるさと」「浜辺の歌」「砂山」「荒城の月」・・、
「里の秋」「母さんの歌」「千の風になって」
リストのピアノ曲「愛の夢」に下垣さんご自身が作詞して、
東日本大震災で亡くなった方へ鎮魂歌として捧げました。
平和への祈りを込めた「アメイジング・グレイス」。
もう胸が熱くなって、何度も涙がとめどなく流れ落ちました。
「アメイジング・グレイス」を聴きながら、
私の目の前には、美しい緑の水田が見えてくるのです。
ふるさとの自然よ・・永久にあれ・・・。
下垣さん、素晴らしいピアノリサイタル、ありがとうございました。
また次回も楽しみにしていますね〜。
美しかったですよ〜!
「炉開き」と江戸娘の決め色
今日は炉開きの日で、茶の湯では、風炉から炉のしつらえに替わる日です。
11月初旬の立冬の頃に行われます。
温かいたっぷりとしたお湯が入った鉄釜から湯気がたちます。
お客様に身も心もほんわかと暖かくなっていただけるような、そんなおもてなしです。
静かで、湯気の音だけがする茶室に入ると、身も心もぴりっとしますね。
江戸っ子のセンスのコツの一つは、全体を地味にまとめて、ぴりっと決め色を使うことだったそうです。
全体を華やかに見せる上方とは異なり、赤や紫などの色を袖口や襟にちょっとだけ見せて、地味な中にもピリリとスパイスを利かせました。
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江戸の人は「けはい」を感じていた
江戸の10月亥の日(現11月)には、武家や町家では「炬燵開き」をしました。
江戸の暖房は櫓を立てた堀り炬燵と、移動のできる置き炬燵があったそうです。
今よりも寒い冬を過ごしたというのですから、炬燵だけと風がヒューヒュー入る木造の家では、さぞ寒さ対策も大変だったでしょう。
話は変わりますが、
現代の私たちは、目に見えるもの、触れるものを第一次的に信じています。
でも、この時代の人たちは「けはい」というものを大事にしていたようです。
最近、電車の中で化粧をする若い女性が増えていますね。
先日、電車に乗ったとき、左隣と目の前で、偶然2人の若い女性がお化粧をしている姿を目撃しました。
2人とも髪が長く、雰囲気が似ていて、私から見ると、念入りにお化粧をする必要がないように見えました。
まだ続くのかというぐらい、次から次へとバッグから道具を出して手を動かしています。何駅過ぎたでしょう。
周りの視線など一向に気にするような気配がないのです。
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男心と秋の空
今日は11月の2日目ですね。
(陰暦10月)は、陽気が春のようで温かいことから、「小春(こはる)」と
呼ばれています。
漁師さんたちの言葉。
「秋の空は一日七度変わる」
低気圧と高気圧が日本の上空で交互に入れ替わるために、お天気が変わりやすいからこういう現象が起きるということですね。
秋の空は晴れていたかと思うと、突然曇ったり、急に雨が降ったりするので、海の男たちは警戒したのです。
よく言われるのは「女心と秋の空」。
女の心は七変化。つかみどころがないということでしょうか。
でも、最近は「男心と秋の空」ともいう人がいますが、いかがですか。
お高祖頭巾と真知子巻き
口の袖あてて ゆく人冬めける 高浜虚子
11月になりました。
時雨や落ち葉や木枯らしなど、「冬めき」を肌で感じる季節です。
江戸庶民の冬の装い。
羽織は男性が着るものとされていました。
武士には功があると、将軍から羽織を賜り、次第に町人男性にも広まりました。
女性の場合は、厳冬の時には半纏を着ることができましたが、
殊に上層部の人々は半纏をきらって、まれに雪中での道行コートを着ていました。
女性は絹の被りものを使っていました。
お高祖頭巾(おこそずきん)というものです。