和のたしな美ぶろぐ
Jan 15, 2014

初釜で味わう以心伝心のおもてなし

昨日の「初釜」はお天気に恵まれて、よい雰囲気を味わうことができました。

茶道の心は「和敬清寂」といわれます。

主人も客もお互いに心を穏やかに和して、つつしみ敬い、茶室のしつらえを味わい、清らかな雰囲気を大切にすることです。

2014-01-14 11.02.46-2      この写真は、待ち合いのしつらえの準備をしている場面です。

茶室に入る前の外の「待ち合い」のところから、もう既に主人のおもてなしは静かに始まっています。

まさに「以心伝心」です。

にじり口から身をかがめて薄暗い茶室に入ります。

先にお軸、お花、炉、屏風などを客は拝見します。

薄暗い空間で、炭を炉に入れるお手前を拝見してお菓子をいただきます。

次第に炭とお香の香りが漂ってきます。

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次に客は部屋をいったん出て外の待ち合いに戻り、茶室に入り直しをします。

その空間には光が少し差し込み、お軸が輝きます。

そこで濃い茶をいただきます。一つの茶碗を回し飲みします。

暗さから明るさへ。

冷たさから暖かさへ。

緊張した雰囲気から和らいだ雰囲気へ。

次第に身も心も空間に融け込んでいくような感じです。

凛とした中でもその二局を体験することで、それぞれのよさが引き立ちます。

愛と悲しみ。

歓びと嘆き。

美しさと醜さ。

私たちは今生でどちらも体験することで、深い人の思いに共感ができるようになるのですね。

昨日はそんなことを初釜を味わうことができました。
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懐石料理は、禅宗の食事ととてもよく似ています。

すべては黒いお椀です。いただくものは、お刺身、野菜の煮物や焼き魚などなど。

最後にご飯を一口残しておきます。

焦げたお米の入ったお湯がやってきます。

 

 

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みそ汁椀とそのご飯のお椀に、そのお湯を注ぎます。

そこで一緒にいただくお新香でお椀の内側をきれいにしながら、

ご飯を食べきり、お椀の中味を吸いきります。

最後に懐紙で内側を綺麗にふいて、椀類を綺麗に重ねてお返しします。

食べ残しがあれば、自分で持って帰ります。
 
客のお食事がすむと、各自のお盆の上に、一斉に箸を音が出るように置きます。

それが食事は終わりましたの合図になります。

なかなか主人には、その音が聞こえないので、

つい声を出して「終わりました」と言ってしまいますが・・。

 

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以心伝心。

客が茶室のにじり口から出入りする時、最後の客は、その戸を音を立てて閉めます。主人に聞こえるようになるべく大きな音で。
それが「みな入りました」「みな出ました」の言葉に替わる合図なのです。
 
懐石料理をいただいて、いま食事が終わりましたというときも、お盆に箸を落として音を立てて、主人に知らせるのです。
 
日常にはない、何とも言えない静寂さの中での音の素晴らしさ、心の表現を感じますね。
 
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Jan 12, 2014

美しき富士

おはようございます。

目は美しい風景に魅かれ、

耳は心地のよい音を好み、

口は温かい言葉に憧れる。

 

 

陽射しが柔らかい日曜日。

今日もお心肥やしでまいりましょう。

 

富士山は今日も輝いています。

 

いつもありがとうございます。

 

富士山と河口湖

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Jan 10, 2014

お正月遊び〜歌留多(カルタ)〜

皆様、こんにちは。

お正月の子どもたちの遊びといえば、凧揚げ、羽根つき、そして歌留多(カルタ)でしたね。

「お正月」の歌詞にも、凧揚げや独楽などが出てきますよね。

今はどれもこれも見なくなりましたね。

 

明治、大正時代は、お正月のカルタ会が、若い男女が楽しめる数少ない機会だったそうです。

30人ほどの若い男女が集まって、二手に分かれてカルタ会は行われました。

小倉百人一首の歌がるたを使って、源平の二手に分かれて競い合ったということです。

 

会場内は次第にみなが熱狂してきて、顔は紅潮し、

女性は白粉がはげてきたり、髪がほつれたり、着物が乱れたり。

会場は熱気にあふれ、歓声が上がったり、笑い声が響きました。

胸ときめかせて楽しんだカルタ会だったのですね。

明治30年代のカルタ会の様子を尾崎紅葉が『金色夜叉』でその様子を描いています。
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写真 2013-06-14 11 57 40
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カルタは、もともとポルトガル語です。それが「歌留多」になりました。

カルタには、いろはガルタ、歌ガルタ、花ガルタ、トランプなどがあって、

遊びやばくちに使う絵や文字が書かれている長方形の札のことを指しています。

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小倉百人一首が歌ガルタとして使われるようになったのは江戸時代です。

歌を上の句と下の句に分けて、上句を読み上げて下句をとるという方法で、

男女が入り交じって楽しむようになりました。

百人一首が競技とされたのも、そのころです。

初めは、形も大きな字札を積み重ねたカルタを、そこに居合わせた人々が読んで、

札に合わせてただ順々にめくっていくだけの遊びでした。

カルタは、百人一首で、草書だったりいろんな書体で書かれていたものが

やがて標準カルタとして制定されていきました。

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元々は色紙に描かれていたものです。

鎌倉の歌人藤原定家が、一首ずつ嵯峨中院の障子の色紙の形と同じものに書いたのが始まりです。

嘉永元年(1235)のことでした。

藤原定家自身が古今の歌人の歌を百首選んだのですね。

 

写真 2013-06-14 12 17 37

 

 

どこから百種を集めたかといいますと、

古今集、新古今集、拾遺集、後拾遺集、金葉集、千載集、

新勅撰集、後撰集、続後撰集、新後撰集、詩歌集

です。

どこかで聞いたことがあるものばかりですね。

こうして並べてみると、圧巻です。

 

また百人一首を覚えたくなりました。

 

 

 

 

 

 

Jan 9, 2014

福徳招来・商売繁盛の「えべっさん」

恵比寿さんの笑顔は「えびす顔」〜福徳招来・商売繁盛の「えべっさん」〜

大阪の人にはおなじみという「えべっさん」。「十日えびす」。

今日から関西以西では有名なお祭り「えべっさん」が始まりましたね。

七福神の一神、その中でも唯一日本の神様、福徳と商売繁盛の恵比寿様のお祭りです。

 

 

七福神1

 

毎年1月9日から11日にかけて行われます。

9日が「宵戎(よいえびす)」、

10日が「十日戎(とおかえびす)」、

11日が「残り福(のこりふく)」と呼ばれます。

本命の十日戎(とおかえびす)の日は一番混雑するそうです。

縁起物を買うのなら「残り福」の夜がお勧めだそうです。それは値切れるから。

さすが大阪人ですね。

 

笹1

 

 

 

関東ではなじみが余りありませんが、10月20日、「えびす講」というのがあります。

神様が出雲に行っていない間、

留守番をしている恵比寿様をお慰めしようというのが「えびす講」です。

関西では、それが1月10日なのですね。

 

 

 

「恵比寿様」って、「蛭子(ひるこ)」の神話と結びついたのですよ。

 

「古事記」で、イザナギ、イザナミの子として最初の生まれた蛭子(ひるこ)は

手も足もないふにゃふにゃで、3年たっても足が立たないために、

二神は悲しみの中、葦の船にのせて流してしまわれたということです。

この流された蛭子が西宮の地に漂着したという信仰が鎌倉時代に生まれ、

海からやってくる姿が恵比寿(えびす)の姿と一致したため、

この二神は同じ神様とみなされるようになったのですね。

 

 

兵庫県西宮市の「西宮戎(にしのみやえびす)」が本家で、

商売の町大阪の「今宮戎(いまみやえびす)」も有名です。

 

「夷」や「戎」とも書かれることから、異民族の漂流者との説もあるそうですが、

中世には勇猛な武士の呼び名となって、

鎌倉武士を京で「東(あずま)夷」、「荒(あら)夷」といったのです。

 

七福神3

 

右手に釣り竿を、左脇に鯛を抱えて、

狩衣(かりぎぬ)、指貫(さしぬき)に風折烏帽子(かざおりえぼし)をつけた出で立ちです。

満面の笑みは「えびす顔」と言われます。

 

商業、漁業、海上の守り神、さらには田の神として熱い信仰を得ています。

 

満面の笑みこそ、幸運をキャッチできるのですね。

だから、みんな大好きな「えべっさん」なのですね。

 

 

笹2

 

 

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Jan 8, 2014

江戸の将軍も食べた七草がゆ

皆様、おはようございます。

 

七草や あまれどたらぬ ものもあり  (加賀千代女)

 

おせち料理やお屠蘇などで疲れた胃を休める「七草がゆ」。

 

「せり、なずな、ごぎょう、はこべら、ほとけのざ、すずな、すずしろ」

 

 

七草3

 

おなかに優しいおかゆをいただくのは理にかなった行事です。

「春の七草」の材料がそろわなければ、冷蔵庫にある野菜で代用してもよいのです。

 

 

江戸の徳川幕府が定めた五節句の一つ、

昨日(1月7日)は「人日(じんじつ)の日」でした。

もともとは中国からきた行事です。七種菜羹(ななしゅさいのかん)といって、

七種類の野菜の羹(あつもの)を食べて、無病息災を祈る風習がありました。

 

この日は公式の行事として、将軍様はじめ皆が七草がゆを食べる日でした。

 

でも、日本でも古くから人日の節句に七草がゆを食べる習慣が定着していたようです。

平安中期の『延喜式』にも登場します。

また、『枕草子』には「七日の若菜」とあり、

六日に摘んだ七草を七日におかゆにして食べていたことが分かります。

 

七草2

 

 

 

『延喜式』によれば、平安中期にはおかゆの中味は

米、粟、黍(きび)、稗子(ひえ)、みの、胡麻(ごま)、小豆(あずき)の七種類の穀物でした。

七草の種類は諸説あって、地方によっても異なっていたようです。

 

七草の行事は、古くから「子(ね)の日の遊び」ともいわれ、

正月最初の子の日に、近くの野原に出て若菜を摘む風習があったのです。

それは平安朝ではとても人気のある行事だったそうです。

「七日の若菜を人の六日にもて騒ぎ」と、『枕草子』にあります。

 

摘んできた七草を六日の夜から七日にかけて、まな板でとんとんの刻みます。

このときに囃すのが「七草囃子」です。

 

七草なずな

菜切り包丁

まな板

唐土の鳥が日本に渡らぬ先に

合わせてバッタバタ  (愛知・静岡地方)

 

七草囃子は地方によって違います。

 

 

これは実は鳥追い唄で、農作物を荒らす鳥を追い払い豊作を願う行事と七草がゆの行事が

結びついたともいわれています。

 

 

いろいろといわれを見てみると、興味深いですね。

 

七草4 ハコベ

 

 

 

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Jan 5, 2014

舞台は江戸〜小冊子プレゼント〜

皆様、おはようございます。

 

お正月休みをいかがお過ごしでしょうか。

のんびりとお過ごしくださいね。

いつも温かいお心をありがとうございます。

 

昨年投稿したFacebookの記事を基に小冊子を作成しています。

もうすぐ完成しますので、もうしばらくお待ちくださいね。

Facebookでは書けなかったことをあれこれとまとめています。

もちろん、舞台は江戸です。

 

 

ご興味ある方はこちらのフォームからご登録くださいね。

 

http://form.os7.biz/f/c46d98b7/

 

感謝の思いを込めまして、準備が整い次第、お送りさせていただきます。

 

2014-01-05 08.41.22

 

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Jan 2, 2014

新年のご挨拶

皆様

謹んで、新年のご挨拶を申し上げます。

昨年中は大変お世話になりました。

ご家族の皆様と楽しいを正月をお迎えでしょうか。

江戸っ子も正月は骨休めと決めていたようです。

初詣は、近所の氏神様に15日の松の内までに新春のご挨拶に行く程度で、

三が日は「ただ寝るばかりが果報なり」と、

朝からお酒を酌み交わして、お節料理をつまんで、

家でごろごろ寝正月を楽しんだようです。

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三が日はどうぞゆったりと英気を養ってくださいませ。
 
今年は天駆ける白馬のように、飛翔の年になりますようにお祈り申し上げます。
 
本年もお付き合いのほど、どうぞよろしくお願い申し上げます。
 

        平成26年元旦

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Dec 31, 2013

巳年の最後に〜お母さん、ありがとう〜

皆様、こんばんは。

今年もあと少しとなりました。
振り返ってみれば、いろんなことがありましたね。

私も夢を実現させたいと思い、一歩踏み出した年でした。

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    ふるさとは遠きにありて思ふもの   ( 室生犀星)
 
 
    ふるさとの山に向かいて  言ふことなし  ふるさとの山はありがきかな  
                                                            (石川啄木)
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郷里に戻り、雪の残る道を歩きながら、

田んぼに囲まれた宮城の土地で育ってきたことは五感が知っているものだと、

つくづく感じます。

いつか両親がこの世から去って、

郷里からもし足が遠のいたとしても、

ふるさとの山も川も心の中には生き続けていくのでしょう。

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瀬峰雪景色

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東北の冬は寒く北風が冷たいです。本当に春が待ち遠しいものです。

 

幼い頃、

しばれる夜に布団の中でかじかんだ手や足を自分の肌の温もりで温めてくれた母の温もり。

 

「お母さん、ありがとう。」
 
母の無償の愛。
なんと尊いことでしょう。
なんと有難いことでしょう。
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「母の無償の愛」の素晴らしさで胸がいっぱいになったところで、

今年は締めくくらせていただきます。

 
本年も大変お世話になりました。
心より御礼を申し上げます。
静かに美しい初日の出をお迎えくださいね。
 

巳年ちゃん、今年はありがとう。

さようなら。

 巳年

 

Dec 29, 2013

ビッグバン〜長唄「七福神」に見る国生みの話〜「古事記」

宇宙神 天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)

天地開闢の際に最初に現れた神、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)について、

前回お話しました。

実は、現代の物理学の一つの理論で言われていることと、とてもよく似ていると思われます。

 

時空の揺らぎの中から宇宙の卵が生まれ、

それがビッグバンを起こして現在の宇宙になったとする考え方です。

時空の揺らぎの中から宇宙が「成った」とされるのは、

「古事記」の上巻でも、神が現れるときには「成った」という表現がされているのと、

共通しているのがとても興味深いですね。

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高天原に最初に成りいでたこの神様は、登場するのはたったの一度きりですが、

実はその後の天地創造で成る神々様の背後にいて、表舞台には登場しませんが、

裏で宇宙を支えている存在なのでしょう。

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朝日

 

この「日本の原風景」も今年最後となりました。

一年間お読みいただきまして、ありがとうございました。

日本の古典芸能の世界を描き、

やはり日本人としてたどり着くのはバックボーンである日本の神々、八百万の神々のことだと、

私は思います。

そこで来年も引き続き「古事記」を学んでみます。

今年の「日本の原風景」は、日本の国造りをしたイザナギ、イザナミのお話をして、

締めくくりたいと思います。

五柱の登場の後、次の七柱の神々が成りますが、

その中の最後の二柱がイザナギ、イザナミです。

日本の「国生み」と「神生み」をした神々です。

実は、長唄「七福神」の冒頭にもイザナギ、イザナミの二柱が登場します。

イザナギ、イザナミは夫婦として、天の逆鉾を使って、

混沌とした海へポタポタと筆から雫を滴り下ろすように、

一つの島をお造りになりました。

そして、二柱は島の上に天下ります。

二人は初めに蛭子(ひるこ)をお産みになりました。

天照大神、月夜見尊(つくよみのみこと)、素戔嗚尊(すさのおのみこと)と、

神々をお産みになりました。

蛭子(ひるこ)は、骨も皮もなくふにゃふにゃだったので、海に流されてしまいました。

こんなふうに語られていきます。

日本舞踊の歌詞の中には、神々を崇めるフレーズがたくさん出てきます。

そういうものを自然に受け入れて、

歌と言葉と振りを融合させてきた先人たちの日常に触れる思いがしています。

 

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この蛭子(ひるこ)は、中世の信仰の中で恵比寿信仰と結びつき、

七福神の一神の恵比寿様になったのです。

西宮神社の恵比寿三郎様として登場します。

そこでやっと「七福神」という題名と結びついていきます。

長唄「七福神」については、いずれまたお話しますね。

 

   伊弉諾伊弉冉(いざなぎ、いざなみ)夫婦寄り合ひ

  漫々たる和田津海に 天の逆鉾降りさせ給ひ

   引き上げ給ふ そのしたたりに

   凝りかたまって 一つの島を 月読み日読み

   蛭子(ひるこ)素戔嗚尊(すさのお)儲け給う

   蛭子と申すは恵比寿のことよ 骨なし皮なしやくたいなし

  三年足立ちたまわねば 手繰りくりくる来る船に

     乗せ奉れば蒼海原に 流したまえば

     海を譲りに受取りたもう 西の宮の恵比寿三郎

     いともかしこき釣針おろし

     万の魚を釣りつった姿は

     いよ   さてしおらしや

           (以上 前半部分)

 

イザナギとイザナミの二柱は、天浮橋から海に矛を下ろして、

「こおろ、こおろ」と海水を搔き鳴らして矛を引き上げます。

その先から海水が滴り落ちて、塩が固まって島ができました。

これが磤馭慮島(おのごろじま)です。

これは自然にかたまってできた島という意味で、どの島かは分かっていません。

 

その後二神は男女の交わりをなして、更に島々を生んでいきます。

蛭子のように失敗もありました。

再度挑戦をして、イザナギのほうから「なんて素敵な乙女よ」と

夫から妻であるイザナミに声をかけて交わることによって、

本州や四国、九州などの大地を生んでいきます。

かくして、今の日本列島(大八島・おおやしま)が出来上がりました。

 

その後も、風の神、海の神、山の神、土の神など、

更にこの世の森羅万象を表す神々をどんどん生んでいきます。

八百万の神々が生まれていきます。

 

当時の人は、ビッグバンなどを知らなかったでしょうし、

人類の誕生の進化なども科学的に知るよしもなかったのでしょうが、

宇宙の仕組みを直観的に理解していたのでしょうか。

人間の持つ宇宙の真理を知る能力、

この計り知れない力を古代の人々は持ち合わせていたことに敬服します。

 

イザナギが妻イザナギの死後、またまた衝撃的なことが起こっていきますね。

年が明けてから、また再開したいと思いますので、

今後ともどうぞよろしくお願いします。

 

 

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

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Dec 28, 2013

江戸の煤払い

仕事納めになって、ゆっくりされている方も多いことでしょう。

今年もお疲れさまでした。

新年に向けて、正月飾りの準備やら大掃除やら、何かと気ぜわくなってきましたね。

 

江戸時代、江戸城でも12月1日から12日までは大掃除の日。そして、最後の13日に大掃除終了の祝儀をしたそうです。

 

それにあやかって、江戸中の家々が一斉に13日には「煤(すす)払い」をしました。

大店では煤払いが終わると、祝儀と称して、主人をはじめ番頭、手代など、次々に胴上げをするのが慣例だったようです。

 

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小学校や中学校の時、終業式前日か当日、みんなで大掃除をしたことを思い出します。

あの頃はコークスで焚くストーブでしたから、ストーブの周りの煤払いも、そう言えばしていましたね。

 

 

「江戸の煤払い」

 

江戸の初期には12月20日に行うのが定例だったようですが、家光公の忌日にあたるためにそれ以降は13日になったそうです。

 

煤払いの終了後に胴上げをし合うのですが、その時に「めでためでたの若松様よ。枝も栄えて葉も繁る。おめでたやぁ〜。サッササッササア」と、はやし音頭を歌ったそうです。これは花笠音頭ですよね。

 

胴上げの後は、みんなで風呂に行って、髪を結いなおして、いつもより早く寝るそうです。

でも、この日ばかりは、夜の点呼(夜遊びの禁止)も大目に見られて、みな大掃除や胴上げであちこち痛む体もなんのそので、夜の街へと繰り出していきました。

 

この日が過ぎると、あちらこちらで歳の市が始まります。

歳の市ではお正月用品、台所用品、農具などが売られたそうです。

羽子板市もこの歳の市から始まったのです。

羽子板市弁天娘

 

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今年投稿したFacebookの記事を基に、小冊子を作成いたしました。
Facebookでは書けなかったことをあれこれとまとめてみました。
ご興味ある方はこちらのフォームからご登録くださいね。
 
http://form.os7.biz/f/c46d98b7/
感謝の思いを込めまして、
準備が整い次第、お送りさせていただきます。

 

和服生地

 

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