草餅のルーツは・・
おはようございます。
草餅の 柔らかければ 母恋し (川端茅舎)
先週、ご紹介しました「草餅」には、
ヨモギではなくてハハコグサを用いたというお話をしました。
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ハハコグサ(母子草)は、春の七草の一つ、
ゴギョウ(御形・オギョウ)のことです。
へらのような丸みを帯びた葉っぱを餅の中に入れていたのです。
ヨモギのほうが香りもよく、健康にもよさそうだと思いがちですね。
どうして、ハハコグサ(母子草)にこだわったのでしょうか。
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「ハハコグサ(母子草)」というのは、葉っぱや茎に白い柔らかい毛が生えていて、暖かく子どもを包み込むようなイメージがありますね。
毛が多い植物ですし、毛を持った種子が形成されるということを「ほほけ立つ」と呼んで、「ホホケグサ」がなまったものとも言われています。
「ホホケグサ」から「ハハコグサ」へ。
どうも古い呼び名は「ホウコグサ」とも呼ばれていたようです。
この呼び名が、実は雛(ひいな)送りという、桃の節句に行われる身を浄め災いを祓うという風習と結びついているように思います。
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春の七草の一つである
ハハコグサ(母子草)、つまりゴギョウ(御形・オギョウ)の、
「御形」とは幼児がハイハイをするような形の人形のことで、
これを「這子(ほうこ)」と呼びました。
「這子(ほうこ)」は、上巳の祓い(桃の節句)のときに幼児に贈られた人形です。
幼児の枕元に置かれ、祓いの後に神聖なものとして、翌年にもそれが使われるようになって、
幼児が3歳になるまで身に添えて持たせるという風習も生まれたといいます。
いわば神聖なぬいぐるみやお人形の形のお守りのようなものですね。
ヨモギではなく、ハハコグサ(母子草)が草餅に使われ、桃の節句にお供えしていた意味が何となく分かるような気がしてきました。
菱餅の緑色も母子草の色ともいわれています。
可愛い女児に、病気や災いがなく、健やかに育ってほしいという親心でしょうか。
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東北では、幼児や無垢な女の子のことを「おぼこ」といいますが、
「這子(ほうこ)」と語源に通じるものがあるようにも思います。
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源氏物語にも出ている「雛遊び(ひいなあそび)」。
この古くからの女児の人形遊びと上巳の祓いの人形とが結びついて、
更に江戸中期以降には次第に豪華なお雛様に発展していったのですね。
江戸幕府が3月3日の節日を「五節句」の一つに定めたことが、「雛遊び」を「雛祭り」にしたということが雛祭りが大きく発展していった大きな要因となったようです。
上巳の人形(ひとがた)が次第に保存され、飾ることによって人形に願いを込めるというふうになったのですね。
時代が進んでも、娘の幸福を願う親心に変わりはありません。
子どもの幸福を願う「桃の節句」や「端午の節句」。
未来を創っていく子どもたちを、大人はみんなで育てていきたいものです。
江戸っ子が、
子どもはみんなのもの、地域の財産なのだから、みんなで育てるものだ
という気概を持っていたように、
子どもたちを慈しんで育てていきたいですね。
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本日もお読みくださいまして、ありがとうございました。
今週も幸多き一週間でありますように。
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「知とアート体験のたしな美講座」
さくらの季節です。
春の香りがする草餅は
おはようございます。
おらが世や そこらの草も餅になる (小林一茶)
「草餅」も、桃の節句にそなえるものですね。
田んぼの畦道などに生えている蓬(よもぎ)の香りが何とも言えないのが草餅ですね。
子どもの頃は、柔らかい新葉を摘んできて、祖母や母に草餅をよくつくってもらったものです。
江戸の中期から明治になってこの蓬が使われるようになったそうです。
それまでは、草餅といえば、春の七草の一つ「御行(ごぎょう)」でした。
「御行(ごぎょう)」は、「母子草(ははこぐさ)」の通称です。
小林一茶や松尾芭蕉も「草餅」といったら、この「御行(ごぎょう)」が入った餅のことを指していたようです。
一茶が言う、そこいらに生えている草だったのですね。
滝沢馬琴が編纂した俳句の季語を分類した『俳諧歳時記』(1803)の中には、
三月三日に母子草を採り、蜜と和して粉にしてこれを龍古(羹)という
と、このように記されています。
小野蘭山の『本草綱目啓蒙』(1803~6)には、
三月三日の草餅はこの(母子)草で作ったものであったが、
近ごろは蓬で作ったほうが、緑が濃くて喜ばれるようになった
と、このようにあります。
ほぼ同年にこのような二つの書物ができて、
「草餅」は母子草でつくるもので、「蓬餅」とは違うのだと述べているようです。
とても興味深いですね。
「母子草(ははこぐさ)」は、「鼠麹草(そきくそう)」とも呼ばれ、
咳の薬でもあるということです。
春先の季節の変わり目に、咳にも良いとされるこの「母子草(ははこぐさ・ごぎょう)」を食したことは、
お手軽で、身近な薬草だったのかもしれませんね。
現代では母子草を目にすることも少なくなりました。
そこいらにある季節の草花を食し、体にもいいなんて、今なら贅沢なことかもしれませんね。
次は母子草と桃の節句の関わりに触れてみます。
本日もお読みくださいまして、ありがとうございました。
今日もきらきらとお過ごしくださいね。
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桃の節句に白酒を飲むのは、どうして?
おはようございます。
「少し白酒召されたか 赤いお顔の右大臣」
~童謡「うれしいひなまつり」より~
雛祭りにお雛様に供える「白酒」。
室町時代からあったという白酒とひな祭りが結びついたのは江戸時代からだと言われています。
江戸の町で、吉原の花魁や女性たちにも人気だったのが白酒です。
当初は清酒や濁酒をベースにしてつくられていたようです。これは酸味が強くなって余り美味しくなかったようです。
現在の白酒は、みりんや焼酎をベースにしていて、もち米と米こうじを混ぜて約1か月熟成させて、
石うすで米粒を細かに砕いて作るものだそうです。
殊に江戸時代の桃の節句には、この時期「白酒」は欠かすことのできない飲み物だったのです。
江戸時代に、白酒がそんなに人気だったとは、今では想像もできませんよね。
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「白酒売り」という商売は、江戸庶民にとても親しまれていたのです。
歌舞伎十八番の『助六』にも登場してきます。
白酒売りは、「山川白酒」と書いてあるうちわを持っていますが、これは当時の人気の京都の銘柄でした。
桃の節句が近づくと、「山川白酒」と記した桶を天秤棒でかついで、甘くて口当たりのいい白酒を売り歩きました。
吉原の花魁にも町の女性たちにも人気の「白酒売り」。
桶に乗せた箱には、ガラスの徳利が入っていたというのも、女心をくすぐる、そんな演出があったようです。
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桃の節句には、欠かせない白酒。
普段は酒屋では置かない白酒が、この時期だけ店頭に並んでいたのです。
桃の節句に白酒を飲む風習は、鎌倉河岸町豊島屋(現在の内神田二丁目2-1)が
発祥といわれています。
初代豊島屋十右衛門の夢枕に紙雛が現れて、白酒の製法を伝授したといいます。そのとおりに製造して、桃の節句の前に売り出したところ、それがものすごく売れたのです。
「山ならば富士、白酒ならば豊島屋」と言わしめるほど、評判の酒屋でした。
荒くて辛味があるが、精製されていてうまい。
桃の節句の前の2月25日に、白酒の大売り出しが行われ、江戸中から人が大勢やってきて、江戸の風物詩になったそうです。
何しろ人が山のように集まり、容易に買うことができないほどでした。
白酒はその日の昼頃には売り切れて、1400樽、売上げは数千両だったとか・・。
現代、これに匹敵する飲み物があるでしょうか。
この豊島屋(創業慶長元年・1596年)は、現在でも東京千代田区猿楽町で東京最古の酒屋として営業を続けています。
当時、お酒は「下りもの」として、上方からきたものだったのです。江戸には上方のような製造技術がなかったのですが、この豊島屋の白酒は群を抜いて美味だったのですね。
京都の白酒売りや江戸豊島屋の白酒。
江戸時代にタイムスリップして、見て、味わってみたいですね。
今日もお読みくださいまして、ありがとうございました。
佳き一日になりますように。
江戸の桜餅の始まりは
おはようございます。
「桜餅」の起源を見てみましょう。
江戸時代、五代将軍綱吉の時世、元禄4年(1691 )、
向島の長命寺の寺男として住み込みを始めた山本新六さん。
享保2年(1717)の八代将軍吉宗の時世になったころ、
(この年は、大岡越前守忠相が江戸南町奉行になった年です。)
長命寺で門番をしながら、毎日毎日向島堤の桜の落ち葉の掃除に手を焼いていたそうです。
この桜の葉っぱを何かに使えないものかと思案した挙げ句、考えついたのが桜の葉の塩漬けでした。
小麦粉を溶いて、薄い鉄板の上にのばして、白焼きを作り、
その中に小豆のこしあんを包んで二つ折りにして、
更にその上からこの塩漬けの葉で包みました。
これが「桜餅」として売られたのです。
錦絵 江戸名所百人美人
描かれている娘は、初代新六の孫娘お豊さん。
1日700個以上売れたそうです。
お花見の時期だけで、一年分の収入を上げたといわれます。
その評判たるや、江戸中に広まったのですね。
将軍吉宗が隅田川堤や品川御殿山などに桜を植えさせましたから、庶民は隅田川堤は花見の宴をここで大いに楽しむことができました。
裏長屋の熊さん、はっつぁんも、ご近所総出で花見に隅田川堤まで出向いて楽しんだことでしょう。
桜餅
隅田川堤の桜を愛でながら、川に向って塩漬けの葉っぱにくるまれた桜餅を食べるのがおつなものとされました。
関西のもち米で作る俵型の「道明寺」と区別するために、
関東の桜餅として「長命寺桜もち」ともいわれます。
長命寺の桜餅
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道明寺
もうすぐ満開の桜を楽しめますね。
『和のたしな美塾』では、
3月31日と4月5日に、風流舟で味わう桜見の会を企画しています。
川面から眺める桜を堪能したいと思っています。
皆様も今日も佳き一日をお過ごしくださいませ。
美肌効果の切り干し大根
切り干し大根は、独特の甘み・歯ごたえ・風味があり、
大根をそのまま食べるよりも栄養価が高いとされています。
切り干し大根は、太陽の光をいっぱい 浴びることによって、
糖化されて甘みが増しています。
その上、カルシウム、カリウム、鉄分が大根よりも多く含まれています。
さらに嬉しいことに、
切干大根に含まれる不溶性食物繊維のリグニンなどにはガンを予防する効果があるそうです。
また、コレステロールを体外に排出して動脈硬化を予防し、便秘改善や美肌にも効果があります。
切り干し大根の煮物は、アンチエイジング効果のある、日本の伝統的なおふくろの味なのですね。
赤ワインのアンチエイジング効果
ぶどうは、ヨーロッパでは「畑のミルク」といわれています。
食べると、たちまちエネルギー源になるぶどう糖を多く含む疲労回復の食べ物なのです。病気療養中や病後の栄養補給にもなりますね。
育ち盛りのお子さんや妊婦さんにもぶどうの生食やジュースは
最適です。
干しぶどうは、鉄分が多く含まれていますから、貧血気味の人は1日に5、6粒食べるとよいとされています。
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赤ワインや赤ぶどうに含まれている「レスベラトロール」という化学物質が、
なんとアンチエイジング効果をもたらすということです。
老化予防だけではなく、聴力損失の防止にもなるそうです。
電車の中でイヤホーンを多用したり、騒音の激しいところで仕事をしている人には朗報ですね。
みかんには血管の若返り効果が
「こたつに入ってみかんを食べる」のが冬の定番でしたね。
わたしたちがよく食べるみかんは
「温州(うんしゅう)みかん」と呼ばれる種類です。
主な栄養素は、ビタミンA、C、フラボノイド(ヘスペリジン)、ミネラルではカルシウム、カリウムなどです。手軽に摂れるビタミンやミネラルの宝庫です。
この温州みかんの色素であるβ-クリプトキサンチンにがんを予防する効果があるそうです。
すじや袋には、食物繊維による整腸作用、フラボノイドの一種
ヘスペリジンによる高血圧や動脈硬化の予防効果があります。
すじや袋にはこんな効果があるのですね。血圧上昇を抑え、血管の老化も防いでくれて、おなかにもいいのですね。
風邪の免疫力アップのほかにもたくさんの効用のある温州みかん。
これからの季節、毎日摂っていきましょう。
りんごを食べて血液サラサラに
西洋の諺でも、りんごを1日1個食べると医者を遠ざけるといわれています。
日本でも、津軽地方の人を調べたところ、りんごを多く食べていることによって、血圧が低く、高血圧の患者が少ないということが分かっています。
りんごに含まれる抗酸化物質の一つであるペクチンが、コレステロールと血圧を下げ、心臓病や脳卒中の予防になっているそうです。
りんごの皮の内側には、このペクチンのほか、ミネラルもたくさん含まれているので、老化予防にもなるとのことです。
できるだけ、りんごを皮ごと1日1個は食べて、血液サラサラで日々元気に過ごしたいですね。
梨も免疫力アップ
日本の梨には、二十世紀、長十郎、豊水、幸水などがありますね。
梨には解熱作用や二日酔いにも効果があるといわれています。
風邪で熱があり、喉が渇くときに梨を食べると、
熱をやわらげ、喉の渇きも止めてくれます。
梨をジューサーにかけ、氷砂糖あるいはハチミツを加えて弱火で
煮つめ、この煮汁を1日数回飲めば、咳やのどの痛みにも効果的
です。
二日酔いのときには、梨と蓮根と同量をジューサーにかけて、
ジュースにした「蓮梨汁」を飲めばすっきりします。
日本ではそのまま食べることが多い梨ですが、薬膳の材料として
使えば一石二鳥ですね。
体がゾクゾクしたら
風邪のときゾクゾク感を感じたら、体を芯から温めることです。
更に、漢方では、「風邪」の邪気を取り除くために発汗作用の
あるものを取り入れて、悪い邪気を追い払う必要があると言われ
ています。
風邪のゾクゾク感を解消するためには「生姜」が最適。
体を温めてくれます。
生姜紅茶、生姜湯もいいですね。
痰が気になるときには、強い殺菌力のある「ネギ」が最適。
悪い気を発散させてくれます。
チキンスープに生姜やネギを入れ、温かいスープで芯から温まりましょう。