食文化の今昔
Mar 5, 2014

桃の節句に白酒を飲むのは、どうして?

おはようございます。

 

「少し白酒召されたか 赤いお顔の右大臣」

~童謡「うれしいひなまつり」より~

 

雛祭りにお雛様に供える「白酒」。

 

室町時代からあったという白酒とひな祭りが結びついたのは江戸時代からだと言われています。

 

江戸の町で、吉原の花魁や女性たちにも人気だったのが白酒です。

 

 

当初は清酒や濁酒をベースにしてつくられていたようです。これは酸味が強くなって余り美味しくなかったようです。

 

現在の白酒は、みりんや焼酎をベースにしていて、もち米と米こうじを混ぜて約1か月熟成させて、

石うすで米粒を細かに砕いて作るものだそうです。

 

殊に江戸時代の桃の節句には、この時期「白酒」は欠かすことのできない飲み物だったのです。

江戸時代に、白酒がそんなに人気だったとは、今では想像もできませんよね。

写真 2013-01-30 15 30 49

 

「白酒売り」という商売は、江戸庶民にとても親しまれていたのです。

 

歌舞伎十八番の『助六』にも登場してきます。

白酒売りは、「山川白酒」と書いてあるうちわを持っていますが、これは当時の人気の京都の銘柄でした。

桃の節句が近づくと、「山川白酒」と記した桶を天秤棒でかついで、甘くて口当たりのいい白酒を売り歩きました。

吉原の花魁にも町の女性たちにも人気の「白酒売り」。

桶に乗せた箱には、ガラスの徳利が入っていたというのも、女心をくすぐる、そんな演出があったようです。

 

歌舞伎・白酒売り

坂東三津五郎の白酒売り 歌川国安画 文政のころ(1818-30)ころ

『たばこと塩野博物館』所蔵のものより掲載させていただきました。

桃の節句には、欠かせない白酒。

普段は酒屋では置かない白酒が、この時期だけ店頭に並んでいたのです。

 

桃の節句に白酒を飲む風習は、鎌倉河岸町豊島屋(現在の内神田二丁目2-1)が
発祥といわれています。

初代豊島屋十右衛門の夢枕に紙雛が現れて、白酒の製法を伝授したといいます。そのとおりに製造して、桃の節句の前に売り出したところ、それがものすごく売れたのです。

 

「山ならば富士、白酒ならば豊島屋」と言わしめるほど、評判の酒屋でした。

 

荒くて辛味があるが、精製されていてうまい。

 

桃の節句の前の2月25日に、白酒の大売り出しが行われ、江戸中から人が大勢やってきて、江戸の風物詩になったそうです。

 

何しろ人が山のように集まり、容易に買うことができないほどでした。

白酒はその日の昼頃には売り切れて、1400樽、売上げは数千両だったとか・・。

現代、これに匹敵する飲み物があるでしょうか。

江戸名所図絵豊島屋の賑わい『江戸名所図絵 巻の一』より掲載させていただきました。

この豊島屋(創業慶長元年・1596年)は、現在でも東京千代田区猿楽町で東京最古の酒屋として営業を続けています。

 

当時、お酒は「下りもの」として、上方からきたものだったのです。江戸には上方のような製造技術がなかったのですが、この豊島屋の白酒は群を抜いて美味だったのですね。

京都の白酒売りや江戸豊島屋の白酒。

江戸時代にタイムスリップして、見て、味わってみたいですね。

今日もお読みくださいまして、ありがとうございました。

佳き一日になりますように。

 

 

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Feb 7, 2014

江戸のファーストフード「天ぷら」

和のたしな美塾 vol.3

 

江戸前寿司と同じくファーストフードとして、庶民の間で人気だった天ぷら。

 

語源はポルトガル語のtempero(調理)とかスペイン語のtemplo(寺院)で作られた料理などからきているといわれています。

 

上方では、魚のすり身を揚げたものを「天ぷら」といいました。

江戸前の天ぷらは、手間を省いて、串に刺した魚の切り身を揚げ、それには下味がついていて、食べやすくなっていました。

 

今で言えば、有楽町の駅前や高架下の赤提灯のような感覚で、庶民が軒下や橋のたもとの可動式の屋台で、立って食べる、そんな手軽な食べ物でした。

 

 

 

天ぷら2

 

 

「天麩羅」という当て字は、劇作家の山東京伝(さんとうきょうでん)が草案したと考えられています。

大坂からやってきた板前が、上方では、まだ江戸にはない魚肉のつけ揚げが評判だから、夜店でやってみてはどうかと勧めたのがきっかけです。

 

「天麩羅」の「天」はカラリと揚がる、「麩」は小麦粉、「羅」はうっすらと、ということで、薄い衣をつけて、カラッと揚げた食べ物という意味だそうです。

 

どんな天ぷらだったかというと、穴子、芝海老、こはだ、貝柱するめなどの魚類すべてです。

聞いただけでも、美味しそうですね。

野菜の揚げ物は、天ぷらとは言わず、「揚げ物」と言いました。

 

「屋台」というと、今では縁日などでしかお目にかかれませんが、江戸は毎日屋台が庶民のダイニングキッチンとして、庶民の食を満たしてくれていたのです。

 

天ぷら1

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Feb 7, 2014

江戸前寿司

和のたしな美塾 vol.2

 

よく、江戸前の寿司というと、江戸湾でとれた魚類を使った寿司というふうに思われるでしょう。

 

実際には、江戸湾で採れた魚は4割ぐらいだけだったそうです。

江戸風というのは、江戸風に仕上げた、江戸スタイルだということだったのです。

 

といいますのも、

 

江戸の料理は、上方から元々はきたものなのです。

京懐石など、すべて上方風の料理を模して作られていたので、高級だったのです。

庶民は手も足も出ません。特別なときだけしか食べれませんでした。

 

 

 

鯵寿司一貫

 

 

 

それが江戸後期になると、江戸も経済力をつけ始めて、上方とは違った、江戸独自のものを作ろうじゃないかと、こういうことで、「江戸前」というものが作られていきました。

 

江戸前の寿司の特徴は、

片手でポイと口にほおばれる一口サイズで、しかも味つきでした。

 

屋台が主流でしたから、みんな立って食べます。

風呂敷の結び目を押さえていないと首が絞まってしまう商人さんには、とても人気だったそうです。

 

 

江戸庶民が考えた「江戸前寿司」。

屋台で食べるファーストフード感覚の食べ物だったのです。

 

 

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寿司海老イクラ

 

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Feb 7, 2014

花のお江戸の底力

和のたしな美塾 vol.1

 

「江戸っ子」とよくいいますが、生粋の江戸っ子は、なんと人口の5パーセント足らず。

みんな地方からきた人々。

彼らのごった煮のようなエネルギーと情熱が江戸文化を作り上げました。

 

「食い気」は人の命。

食文化を創り上げたのも彼らのエネルギーです。

 

「色気」も大事だけれど、「食い気」も大事。

 

食べ物のことって、すごく興味がありますよね。

 

さあ、始めましょう。

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Jan 17, 2014

ちゃんこ鍋は和をつくる

おはようございます。

寒い日が続いていますね。

こういう日は、やはり夜は寄せ鍋でしょうか。

 

江戸三大娯楽といえば、歌舞伎・遊郭・相撲でした。

この相撲力士が食べるのは「ちゃんこ鍋」。

 

「ちゃんこ」は相撲料理のことを指しますね。

昔、相撲部屋の料理人をつとめていた古参力士のことを、

みんなが「おとっつぁん」という意味合いを込めて「ちゃん公」と呼びました。

それが「ちゃんこ」の始まりのようです。

 

「ちゃんこ鍋」は、鶏ガラをだしにしてスープをつくるものがポピュラーだそうです。

 

もともと、相撲部屋の家庭的な雰囲気をつくるために、鍋料理が取り入れられました。

 

第19代横綱常陸山(ひたちやま・大正3年引退)が考案したものです。

 

「和やかな家庭的な雰囲気はみんなで囲む鍋料理に限る。」

家庭だけではなく、仲間とのコミュニケーションでもみんなで鍋をつつくというのは必要なことですね。「寄せ鍋」の「寄せ」とは、人が集まる意味もあるのですね。

今日もあったかくして、お過ごしくださいね。

写真 2013-06-18 16 17 47 (1)

 

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Jan 8, 2014

江戸の将軍も食べた七草がゆ

皆様、おはようございます。

 

七草や あまれどたらぬ ものもあり  (加賀千代女)

 

おせち料理やお屠蘇などで疲れた胃を休める「七草がゆ」。

 

「せり、なずな、ごぎょう、はこべら、ほとけのざ、すずな、すずしろ」

 

 

七草3

 

おなかに優しいおかゆをいただくのは理にかなった行事です。

「春の七草」の材料がそろわなければ、冷蔵庫にある野菜で代用してもよいのです。

 

 

江戸の徳川幕府が定めた五節句の一つ、

昨日(1月7日)は「人日(じんじつ)の日」でした。

もともとは中国からきた行事です。七種菜羹(ななしゅさいのかん)といって、

七種類の野菜の羹(あつもの)を食べて、無病息災を祈る風習がありました。

 

この日は公式の行事として、将軍様はじめ皆が七草がゆを食べる日でした。

 

でも、日本でも古くから人日の節句に七草がゆを食べる習慣が定着していたようです。

平安中期の『延喜式』にも登場します。

また、『枕草子』には「七日の若菜」とあり、

六日に摘んだ七草を七日におかゆにして食べていたことが分かります。

 

七草2

 

 

 

『延喜式』によれば、平安中期にはおかゆの中味は

米、粟、黍(きび)、稗子(ひえ)、みの、胡麻(ごま)、小豆(あずき)の七種類の穀物でした。

七草の種類は諸説あって、地方によっても異なっていたようです。

 

七草の行事は、古くから「子(ね)の日の遊び」ともいわれ、

正月最初の子の日に、近くの野原に出て若菜を摘む風習があったのです。

それは平安朝ではとても人気のある行事だったそうです。

「七日の若菜を人の六日にもて騒ぎ」と、『枕草子』にあります。

 

摘んできた七草を六日の夜から七日にかけて、まな板でとんとんの刻みます。

このときに囃すのが「七草囃子」です。

 

七草なずな

菜切り包丁

まな板

唐土の鳥が日本に渡らぬ先に

合わせてバッタバタ  (愛知・静岡地方)

 

七草囃子は地方によって違います。

 

 

これは実は鳥追い唄で、農作物を荒らす鳥を追い払い豊作を願う行事と七草がゆの行事が

結びついたともいわれています。

 

 

いろいろといわれを見てみると、興味深いですね。

 

七草4 ハコベ

 

 

 

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Dec 21, 2013

無病息災の柚子湯

明日は冬至ですね。

昼がもっとも短く、夜がもっとも長い日です。

太陽の力が弱まると考えられたこの日は、生命の終わる日ともいわれ、

厄祓いの祈願もされてきました。

 

夏に収穫し保存していた栄養価の高い南瓜を食べたり、ゆず湯に入り、

その香りで邪気を祓ったりしましてきました。

 

ゆず湯は、体が温まり、しもやけにならないとか、

「無病息災」の効用があるとされてきました。

 

戦前の東京では、冬至の日に市中のどの銭湯にも入口に「柚子湯」と、

張り紙がされていたそうです。

 

日本のお風呂の年中行事に5月5日の菖蒲湯と12月の柚子湯があります。

家庭のお風呂でも大事にしたい行事ですね。

 

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柚子は、みかん科の常緑樹です。

夏には白い花が咲き、冬には実が黄色く色づきます。

酸っぱすぎてみかんやオレンジのように生食はできませんが、

皮はよき芳香がありますから、鍋物にもよく合いますね。

「無病息災」のもう一つの風習。

南瓜と小豆を一緒に煮た「冬至南瓜」を食べることです。

小豆の赤い色が厄よけになるということから、食べられるようになったそうです。

小豆は滋養強壮にもとてもよいとされています。

お正月に赤い小豆をいただくのも、厄を祓い、新年をことほぐという意味もきっとあるのですね。

 

 

冬至が過ぎれば、次第に昼が長くなっていきますね。

静かに初春を迎える準備をしていくことになります。

 

 

暖かくして、この週末もお過ごしくださいね。

浅草酉の市フリー

 

 

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Dec 8, 2013

食物や穀物は豊受大神が担う

今年、伊勢神宮に参拝に行かれた方も多いと思います。

豊受大神がお祀りされている下宮を訪れると、森閑とした雰囲気が漂い、別世界に足を踏み入れた感じがして、清々しい気分になれます。

人によっては、もうそこで満足して、内宮に行かずに帰ってしまう人もあるそうです。

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                下宮入口

豊受大神(豊受気毘売神・とようけびめのかみ)は、天照大神の食事を司る女神です。

豊かさの象徴である食物や穀物の神様です。そして、米作りや衣食住すべてにかかわる産業の神様でもあります。

転じて、女性らしい優美さや女性性の象徴ともいわれています。

内宮の鎮座よりも500年も後、雄略天皇の御代に、天照大神の大御饌(みけ)、つまり食事を司る神様として、丹波の国から伊勢の国に迎え入れられたとのことです。

鎮座以来ずっと、毎日朝夕二度、天照大神にお食事を差し上げています。

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伊勢の名物 伊勢うどん

『古事記』でも『日本書紀』でも、言われてきたことですが、豊受大神は、七代の最初に現れた神々の一神とされることから、伊勢神道(度会神道)を興した下宮の神職であった度会家行は、このように言っています。

天之御中主神・国常立神と同神であって、この世に最初に現れた始源神であって、豊受大神を祀る外宮は内宮よりも立場が上であると。

ところで、庶民の商売繁盛を願う神様としてのお稲荷さんと豊受大神とは、何か関係があるのでしょうか。

お稲荷さん(稲荷神社)は、朱い鳥居と、神使の白い狐がシンボルとなっている神社として、よく見かけますよね。

先日友人の 中島裕実さん にご案内していただいた、六本木の久国神社という稲荷神を祀る神社があります。
こんなところにひっそりとたたずむ閑静で由緒ある神社。
歓待を受け、大変嬉しく楽しい時間を過ごすことができました。

稲荷神(稲荷大神、稲荷大明神)は、現在の伏見稲荷大社(山城国稲荷山(伊奈利山))に鎮座する神様で、伏見稲荷大社から勧請されて全国の稲荷神社などで祀られる食物、農業、殖産興業、商業、屋敷を司る神様です。

どおりで、屋敷内にも祀られているわけですね。

稲荷神(お稲荷さん)とは、宇迦之御魂神(うかのみたま、倉稲魂命のこと)のことなのです。

 

神道の稲荷神社では、『古事記』や『日本書紀』などの日本神話に登場する宇迦之御魂神(うかのみたま)、豊宇気毘売命(とようけびめ)、保食神(うけもち)、大宣都比売神(おおげつひめ)、若宇迦売神(わかうかめ)、御饌津神(みけつ)などの穀物・食物の神様を主祭神としています。

ですから、豊受大神と稲荷神は食べ物を守護するという点で共通していますね。
でも、少し違いがあるようです。

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下宮の引っ越し前の古いお社

実は、伊勢神宮の内宮のほうには、宇迦之御魂神(うかのみたま)が守護する稲の倉庫があって、御稲御倉神(みしねのみくらのかみ)と呼ばれています。

神宮神田(伊勢市楠部町)で収穫された抜穂(ぬいほ)が保管され、天照大神に献上されるのですね。

内宮でお稲荷さんが天照大神に捧げる稲穂をお護りし、下宮で豊受大神が天照大神のお食事を司っている。

天照大神に捧げるお米と稲穂。そして、その最高の祭祀者は天皇です。

葦原の国、瑞穂の国と呼ばれる日本は、稲作がいかに大切なもので生活に根付いているか、その一端をここでも見ることができます。

豊受大神を祀る外宮と内宮との関係や、お稲荷さんと豊受大神との関係など、

まだまだ調べればもっともっといろんなことが学べそうです。

 

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Nov 18, 2013

おでんが食べたい

寒くなると、鍋物が食卓の中心になりますね。

簡単だし、あったまるし・・。

今夜はおでんもいいですね。

 

どんな具を入れようか、楽しみです。

「おでん」は「煮込み田楽」の愛称。

 

現在のようなおでんが生まれたのは江戸中期で、江戸で発達しました。

こんにゃく、ヤツガシラ、焼き豆腐などを竹串にさしたまま煮たそうです。

 

大正時代の中頃に関西に入り、「関東だき」として親しまれました。

東京では次第に衰退し、関東大震災後、この「関東だき」の手法が関西から逆輸入されたということです。

 

おでんに付きものの辛子には殺菌作用があります。

昔屋台に衛生設備が整っていなかった頃、辛子をとるのは、合理的な意味があったのですね。

 

新しい週の幕開けです。
今週もよろしくお願いします。

写真 2013-11-13 9 17 28

 

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Oct 31, 2013

新米と新酒

秋祭り。

稲作の始めと終わりに際し、

春に神様を田におりてくるのをお迎えするのが春祭り、また山に帰るのを送るのが秋祭りです。

田の神様への祈願と報恩の意を表したこの氏神祭りは、

年に2回春2月(または4月)と秋11月に行われていました。

 

日本人にとって、新米も新酒も意味深く、天からの嬉しい贈り物ものですね。
.

.

稲と白米

 

 

江戸時代、日本の中心であった京都から新興都市の江戸へ運送された上等な産物を「下りもの」と呼び、

江戸近郊で作られた産物を「下らないもの」として一段低い立場においたのですね。

 

上方からは米や酒など上質なものが入ってきて、高値の取引がされました。

 

一番の人気が「富士見酒」。

 

富士山を左手に見ながら江戸湊に入ってくる新酒です。

樽の杉の香りと新酒が波でブレンドされて、ほどよい香りとマイルドな風味になって、

産地で飲むより江戸で飲んだほうがずっと美味しいお酒になったのです。

特に最初に到着した樽は大変な高値がついたとか。

 

 

秋口から冬にかけて、隅田川河口は大賑わい。船で大渋滞です。

新川に並ぶ酒問屋では、赤い法被の若い衆が、日の丸のついた扇子をかざして、

新しい荷が到着する度に囃し立て、小売の人も利き酒を楽しみ、

どれを買おうか迷っているうちに酔っ払う人も多かったとか。

 

江戸時代、活気を呈した船での物流。

新酒の時期は、まるでお祭りのようでしたね。

新年会日本酒吹毛剣

 

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