食文化の今昔
Jul 4, 2014

「ところてん」はお好きですか。

おはようございます。

 

トコロテンは、お好きですか。

酢醤油と辛子でいただく冷たい「トコロテン」は美味しいですね。

これからの季節、一時の清涼感に浸れる食べ物です。

 

 

トコロテンは、なぜ「心太」と書くのでしょう。

 

「トコロテン」という名が一般的になったのは、

江戸時代の寛永年間だそうです。

字は「心太」です。

 

 

冷茶

 

 

 

この字「心太」。実はすごい当て字なのです。

 

トコロテンは日本独特の海藻製品です。

テングサ類から熱湯によって寒天質を抽出して冷やし、

ゼリー状にしたものです。

波

 

なんと、このトコロテンは、奈良時代以前から食べられていたようです。

大宝律令にも、その名前が載っているとのこと。

 

平安時代に「古々呂布止(ココロフト)」と呼ぶようになって、

俗に「心太」の字があてられたのです。

 

「ココロ」はコル・コゴル(凝る)。

「フト」は餅のような食品。

ということで「ゴリゴリ固まった餅」という意味です。

 

 

ボート

 

 

 

室町時代になって、この「ココロフト」が「ココロテイ」へ、

そして「ココロテン」から現在の「トコロテン」と、転化していきました。

 

トコロテンを「心太」と呼ぶ飛躍した発想に、大らかさが感じられますね。

 

 

テングサはトコロテンの原料であることから「トコロテングサ」と呼び、

 

上の「トコロ」を省略して「テングサ」と呼ばれるようになりました。

 

 

平安時代に「心太」という字が当てられ、

それが江戸時代にポピュラーになったなんて、なかなか面白いですね。

 

週末にトコロテンはいかがですか。

 

 

トコロテン

 

 

本日もお読みいただきまして、ありがとうございました。

今日も楽しい一日になりますように。

 

 

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“和のたしな美塾” 講座

【浴衣のたしな美&テーブルマナー】

7月7日(月)午前10:00~12:00

東京都中央区明石区民館

 

櫻本 ゆかりさんから男性のスキンケアのお話、

女性のワンポイントメイクアップなどをしていただきます。

 

お時間がありましたら、是非遊びにいらしてください。

https://www.facebook.com/events/538678939588041/

 

 

扇子と花

 

 

 

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Jun 28, 2014

「杜氏(とうじ)」の語源は。

おはようございます。

日本酒の発祥を見てみましょう。昨日の記事はこちらです。

宮崎県西都市の都萬(つま)神社には、

木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)が三人の御子に甘酒を作ってお乳替わりに飲ませ

たという伝説が残っていることから、この地が「日本酒発祥の地」とも言われるそう

です。

その周辺には木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)と邇邇芸命(ニニギノミコト)が

結婚生活をおくったといわれる伝承地が残っているということです。

『日本書紀』によれば、「木花咲耶姫がお米で祝い酒をつくり、お供えした」と

あって、このときの祝い酒が、現在のお神酒の始まりとされているということです。

この記述からも木花咲耶姫が初めて日本酒を作られたということが言われているの

ですね。

ジャーマンカモミール

さて、若い未婚の女性が作る「口噛み酒」ですが、

「大隈国風土記」では神祭りに使われていたということですが、

その後は姿を消してしまったようです。

でも、女性がお酒を作るという、日本人独特の女性崇拝の伝統は

明治以前まで続いていたということです。

この伝統は「杜氏(とうじ)」という言葉にも表れています。

これは、「刀自(とうじ)」という老婆や一家の主婦の尊称から、

また「家室(いえうじ)」という一家の主婦によって

日常の酒づくりが女性によってなされたことを物語っています。

奈良時代、中国から伝わった麹を発酵させてお米から日本酒を醸造してきたわけですが、

元々は女性が生み出してきたということは興味深いですね。

ピンクユリ

そのほかに、天然の木の実が発酵することからヒントを得て、

ぶどう酒も古くから中国地方では作られていたようです。

須佐之男命(スサノオノミコト)が八岐大蛇(ヤマタノオロチ)に飲ませたお酒は

ぶどう酒だったという説もあります。

『古事記』や『日本書紀』には、「八塩折(やしおり)の酒」を飲ませて、オロチを酔わせて退治したとあります。

八回も重ねて醸造したとろとろのお酒だったそうです。

神話とお酒、稲作とお神酒。

日本独自の女性崇拝の伝統。

日本の風土に合った日本酒は独特の伝統があるのですね。

ヤマシャクヤク

本日もお読みいただきまして、ありがとうございました。

楽しい週末をお過ごしになりますように。

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“和のたしな美塾” 講座

7月7日浴衣のたしな美

7月24日江戸女性の美学

男性はいなせに、女性はあでやかに。

詳しくはこちらをご覧ください。

→→ http://derivejapan.com/course/

ワイングラス1

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Jun 27, 2014

お酒づくりの「醸す」の語源は。

おはようございます。

 

お酒を醸造するといいますね。

「醸造」は「醸(かも)す」という言葉を使い、

語源は「噛(か)む」からきています。

ピンク百合

 

最も原始的なお酒は、お米を口で噛んだものを吐き出して、

それを一定期間蓄えてつくったということです。

 

それは唾液の酵素の働きを利用したものですね。

 

「大隈国風土記」にも、口噛みのお酒の記述があります。

 

こうした口噛みのお酒作りはすべて女性によって行われました。

 

殊に、神のお祀りのときに捧げる「神酒(みき)」は、

若い未婚の女性が噛んだお酒でなければならなかったということです。

 

睡蓮白

もともと田植えは早乙女が行う風習があったり、

蚕の糸も若い女性の唾液を使ってつむいだりと、

そんな話を聞いたことがあります。

 

日本には独特の女性崇拝の信仰があったと考えられます。

 

紫クレマチス(ブルーダンサー)

明日もこの続きをお話します。

 

本日もお読みいただきまして、ありがとうございました。

心踊る一日になりますように。

 

 

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“和のたしな美塾” 講座

7月7日浴衣のたしな美

7月24日江戸女性の美学

 

男性はいなせに、女性はあでやかに。

 

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梅和三盆

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Jun 16, 2014

青梅の嬉しさ

おはようございます。

 

青梅を打てば かつ散る青葉哉  (与謝蕪村)

 

この梅雨の季節。

青梅の季節でもありますね。

ウメの実はあっという間に大きくなります。

 

思わず手に取って口にほおばりたくなります。

おばあちゃんに、おなかをこわすので食べないようにと、

言われませんでしたか。

 

青梅

青梅を梅干しにしたり、

梅酒を作ったり、

砂糖で煮て煮梅やジャムにしたり、

 

毎年楽しみにしている人も多いことでしょう。

 

梅雨の時期のうっとうしさの中で、

滋味豊かに味わえる楽しみを自然は与えてくれたのですね。

 

 

梅の花

 

 

ウメはサクラの親族。

バラ科のサクラ属の落葉高木です。

 

ウメの栽培は江戸時代以降に発達したそうです。

明治の末期には300以上の品種に達しました。

 

現在出回っている品種の中で最も大きいのは豊後のウメです。

直径が5センチ。

 

逆に小さいのは甲州ウメです。「コウメ」とも呼ばれます。

 

「小梅ちゃん」という甘酸っぱいキャンディーも、

ひところ人気でしたよね。

 

甘酸っぱさも疲労回復になりますね。

 

 

今年の梅干しや梅酒を楽しみに、過ごしていきたいですね。

 

梅干し

本日もお読みくださいまして、ありがとうございました。

佳き一週間になりますように。

 

 

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“和のたしな美塾” 講座。

6月20日は、

江戸庶民の「環境に優しいエコな生活術」から

女性の生き方を学ぶ。

 

7月7日は浴衣のたしな美で、

若々しく見えるポーズとメイク、

和食のテーブルマナーなどを行います。

 

詳しくはこちらをご覧ください。

→→ http://derivejapan.com/course/

 

 

梅和三盆

 

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Jun 4, 2014

江戸切子と薩摩切子 vol.3

おはようございます。

「江戸切子」と「薩摩切子」について、今日もお話していきます。

江戸切子を作った職人の親戚が薩摩切子に携わったという、

いわば家内工業のように、親戚同士が日本の切子ガラスにかかわっていたというのは興味深いですね。

かたや江戸庶民の間で成長し、かたや薩摩の大名のもとで島津藩の産業の一つとして成長していったのです。

薩摩切子は、島津斉彬(なりあきら)の娘である篤姫のお嫁入り道具としても持参されたそうです。

緑色のかえで

「江戸切子」は法則性のある連続的な曲線模様(まるで江戸小紋の文様のような)を、

「薩摩切子」は色ガラスを幾層にも重ねた色被せ(いろきせ)の分厚い層を生かしたぼかし加工や繊細な直線模様を、

それぞれ特徴としています。

P1120078

「薩摩切子」が薩英戦争などで一時途絶えて、1985年に復刻されたのに対して、

「江戸切子」は第二次大戦で東京の江東区の工場では壊滅的な被害に遭いながらも、

生き残った職人さんたちがHOYAなどを中心にガラス工芸を復活させたという歴史があります。

それぞれ歴史の中で技術をつないできたという努力があったおかげで現在まで
こうして作られてきたのですね。

更に、1881年(明治14)にイギリスの技師ホープトマンの技術指導で現代の技法が確立され、

ガラスが強固になったということです。

ワイングラス4

江戸切子の技の炎を消さないで受け継いできた努力、

薩摩切子の一度途絶えた技を復刻させた根気強さ、

日本人の職人気質が支えて、今日まであるわけですね。

2005-02-14 17.00.30

江戸切子の模様は、イギリスやアイルランドからきたという魚子(ななこ)や、

日本らしい、まるで着物の柄のような麻の葉、菊、格子、花弁などがあります。

デザインも西洋のものと融合しているのですね。

どうぞ手に取って模様もながめてみてください。

日本のガラスの歴史を感じることができると思います。

P1120091

本日もお読みくださいまして、ありがとうございました。

今宵もガラス器で冷たい一口を味わってくださいね。

佳き一日をお過ごしくださいませ。

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“和のたしな美塾” 講座。

6月20日は、

江戸庶民の「環境に優しいエコな生活術」から

女性の生き方を学ぶ。

6月8日と7月7日は浴衣のたしな美で、

若々しく見えるポーズとメイク、

書家林拓鶯さんのお話、和食のテーブルマナーなどを行います。

詳しくはこちらをご覧ください。

→→ http://derivejapan.com/course/

ピンク紫陽花

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Jun 3, 2014

江戸切子と薩摩切子 vol.2

おはようございます。

江戸時代に誕生した「江戸切子」、そして薩摩藩によって創始された「薩摩切子」

これらは製法が似ているといわれています。

実は、それもそのはず。見ていきたいと思います。

額紫陽花1

「江戸切子」は、

江戸で作られた切子ガラスです。

ガラスの製造販売にあたっていた加賀屋の手代文五郎が大坂で修業した後、

1834年、南蛮人が持ってきたガラス製品の表面に金剛砂を用いて細工をしたのが
切子の始まりだそうです。

彼はその後、加賀屋久兵衛を名乗り、

江戸大伝馬町でビイドロ(当時のガラス)問屋を営んでいたところ、

1853年ペリーの注文によって切子瓶を作ったと言われています。

腕のいい職人さんだったのですね。

2005-01-03 17.41.46

「薩摩切子」は、

江戸切子と同じころ、19世紀中頃に、島津斉興(なりおき)が

江戸のガラス職人、加賀屋久兵衛の親戚四本亀次郎を招いて、

薬瓶を作らせたことに始まるそうです。

その後、島津斉彬(なりあきら)の代に紅色透明ガラスが発明されて、

薩摩の紅色ガラスとして有名になったということです。

島津斉彬は、城内で、ガラス職人四本亀次郎に紅ガラスの製法を研究させ、

何百回もの実験の後、銅による紅ガラスの製造に成功したのです。

粘り強さと精密さを兼ね備えている、さすが日本の職人、やりましたね。

根気のいるすごい発明だったのですね。

かなり高価なものだったようです。

2012-09-04 16.30.01

江戸切子を作った職人の親戚が薩摩切子にかかわったということは、

江戸切子と薩摩切子は兄弟のようなものなのですね。

明日もこのお話の続きをしたいと思っています。

本日もお読みくださいまして、ありがとうございました。

薔薇とグラス

今宵、仕事が終わった後、ガラス器で冷たいものをぜひ味わってくださいね。

幸多き一日をお過ごしくださいませ。

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“和のたしな美塾” 講座。

6月20日は、

江戸庶民の生活術に学ぶ「環境に優しいエコな生活術」

6月8日と7月7日は浴衣のたしな美で、

若々しく見えるポーズとメイク、

書家林拓鶯さんのお話、和食のテーブルマナーなどを行います。

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草履と団扇

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Jun 2, 2014

江戸切子と薩摩切子 vol.1

おはようございます。

連日夏日のような暑さで、日中はのどの渇きも増してきますね。

和ガラスで飲む冷たい飲み物、涼やかで一息つけますよね。

緑の楓

江戸時代に製造が始まったガラス器。

西洋のガラス器が西洋からもたらされたのは16世紀中頃、

フランシスコ・ザビエルが持ってきたと言われています。

ガラス器は「ギヤマン」とか「ビードロ」と呼ばれていました。

そう言えば、この言葉、聞いたことがありますね。

和グラス

江戸時代に誕生した「江戸切子」、そして薩摩藩によって創始された「薩摩切子」。

これらカットグラスは、製法は似ています。

実はきょうだいのようなものなのです。

江戸切子は色が鮮明で華やかですが、

薩摩切子は半透明で幽玄な色が魅力です。

それぞれに良さがあって、それぞれ根強い愛好家もいるそうです。

シダ

江戸切子でワイン、薩摩切子で焼酎のロックなんていうのもいいですね。

明日は江戸切子と薩摩切子の関係などを書いてみたいと思います。

本日もお読みくださいまして、ありがとうございました。

ドイツビール

今宵、仕事が終わった後の冷たい一口を味わう楽しみを思い描きながら、

佳き一日をお過ごしくださいませ。

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“和のたしな美塾” 講座。

6月20日は、

江戸庶民の生活術に学ぶ「環境に優しいエコな生活術」

6月8日と7月7日は浴衣のたしな美で、

若々しく見えるポーズとメイク、

書家のお話、和食のテーブルマナーなどを行います。

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紅い朝顔

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Jun 1, 2014

和ガラスは江戸の憧れの的

おはようございます。

東京は昨日も夏日のような陽気でした。

今日から6月ですね。

体調管理には気を付けていきたいものです。

グラスと薔薇

ガラス器は、蒸し蒸しする時にも、涼感を与えてくれますね。

ガラスの歴史は古く、紀元前数千年のメソポタミア文明にまで遡ると言われています。

ローマ時代にはグラス(ローマン・グラス)が作られ、その後、ヴェネツィア共和国やフランス、アメリカなどで改良が進み、現在のようなガラス器が一般家庭の食卓にも並ぶようになりました。

日本で和ガラスの製造が始まったのは江戸時代。西洋の吹きガラス製法を取り入れ、またたく間に大坂や江戸の広がっていきました。

それまで鎖国であった日本では、ガラスは大名から庶民に至るまで、好奇心をあおる格好の産物だったのですね。

ガラスのグラス

江戸で人気だったのが白酒売りの白酒です。

助六をはじめ歌舞伎に度々登場する白酒売は、雛祭りが近づくと、

やってきます。

桶に乗せた箱には、ガラスの徳利が入っていたということで、

それはそれは吉原の花魁にも町屋の女衆にも引っ張りだこだったとか。

白酒は、甘くて口当たりがよい上に、

ガラスの徳利というのが、女心をくすぐる、異国情緒溢れるものを感じさせたのでしょうね。

グラスとレモン

本日もお読みくださいまして、ありがとうございました。

佳き一日をお過ごしくださいませ。

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“和のたしな美塾” 講座。

6月20日は、

江戸庶民の生活術に学ぶ「環境に優しいエコな生活術」

6月8日と7月7日は浴衣のたしな美で、

若々しく見えるポーズとメイク、

書家のお話、和食のテーブルマナーなどを行います。

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ワイングラス3

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May 2, 2014

八十八夜は、田植えシーズン到来の合図

おはようございます。

花過ぎて よし野出日や 別れ霜 (几董・きとう)

立春から数えて88日目にあたる今日5月2日は、「八十八夜」と呼ばれます。

「八十八夜の別れ霜」と言われるように、晩霜の被害が心配された気候も、

八十八夜を過ぎればもう霜が降りることはないと言われていますね。

「別れ霜」は、「忘れ霜」「名残の霜」などともいわれるそうです。

何とも、詩的な表現があるものですね・・。

image

 

この日を境に、農作業にとっては好い季節となります。
また、八十八を組み合わせると、「米」の字になることから、農事にとっては重要な意味を持つ日でもあるそうです。

あちらこちらで田植えが始まりましたね。
私の郷里の宮城では、毎年連休前後から田植えが始まります。
昨年は寒さのために代掻きも遅れていましたが、今年はどうでしょうか。
今東北新幹線で宮城に向かっているところです。

 

image

 

日本は「瑞穂の国」と呼ばれていますね。

みずみずしい稲穂のことを瑞穂(みずほ)といい、
稲が多く取れることから瑞穂の実る国ということで、
「瑞穂国」(みずほのくに)、
「豊葦原千五百秋瑞穂国」(とよあしはらの ちいおあきのみずほのくに)と、
日本国の美称として用いられています。

 

お米作り、これからが忙しくなりますね。

手前をかけ、夏にはお米の花が咲き、
秋にはたわわに稲穂が実り、秋の収穫、豊穣のお祭り・・、
今年も秋の新米を楽しみにしていきたいですね。

 

今日も最後までお読みくださいまして、ありがとうございます。

楽しい一日になりますように。

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和のたしな美塾” 講座。
5月は少し趣向を変えて江戸吉原のお話をします。

http://derivejapan.com/course/

どうぞ遊びにいらしてください。

 

 

image

 

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Apr 8, 2014

花より団子

おはようございます。

お花見の歴史

現在のようなお花見、桜の花が鑑賞されるようになったのは、かなり古く、平安時代からだと言われています。

でも、それはあくまでも高貴な人のものでした。

奈良時代に中国から渡来した梅が貴族の行事として鑑賞されていたのですが、平安時代になると、梅よりも桜への人気が上昇し、お花見と言えば桜の花見に替りました。

元々は、812年に「花宴の節(せち)」として嵯峨天皇が始め、宮中で天皇主催の定例行事として取り入れられました。その様子は『源氏物語』「花宴(はなのえん)」にも描かれています。

030

 

「花より団子」

お花見が庶民に広まったのは江戸時代からで、元禄時代に盛んになりました。

そして、享保年間に徳川吉宗が浅草(墨田川堤)や飛鳥山などに桜を植えさせ、庶民の行楽を奨励したのです。

「花より団子」という言葉はこの頃にできました。

花見団子は、江戸時代の庶民から広まったと言われています。

 

落語の『長屋の花見』や『あたま山』、明治時代に作られた『元禄花見踊り』など、お花見に浮き立つ江戸庶民の様子が生き生きと伝わってきます。

今も使われる「花より団子」は、お花見から生まれた江戸庶民の言葉だったのですね。

みたらし団子

本日も最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。

まだまだ花冷えの季節です。暖かくしてお過ごしくださいね。

 

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