食文化の今昔
Jun 16, 2014

青梅の嬉しさ

おはようございます。

 

青梅を打てば かつ散る青葉哉  (与謝蕪村)

 

この梅雨の季節。

青梅の季節でもありますね。

ウメの実はあっという間に大きくなります。

 

思わず手に取って口にほおばりたくなります。

おばあちゃんに、おなかをこわすので食べないようにと、

言われませんでしたか。

 

青梅

青梅を梅干しにしたり、

梅酒を作ったり、

砂糖で煮て煮梅やジャムにしたり、

 

毎年楽しみにしている人も多いことでしょう。

 

梅雨の時期のうっとうしさの中で、

滋味豊かに味わえる楽しみを自然は与えてくれたのですね。

 

 

梅の花

 

 

ウメはサクラの親族。

バラ科のサクラ属の落葉高木です。

 

ウメの栽培は江戸時代以降に発達したそうです。

明治の末期には300以上の品種に達しました。

 

現在出回っている品種の中で最も大きいのは豊後のウメです。

直径が5センチ。

 

逆に小さいのは甲州ウメです。「コウメ」とも呼ばれます。

 

「小梅ちゃん」という甘酸っぱいキャンディーも、

ひところ人気でしたよね。

 

甘酸っぱさも疲労回復になりますね。

 

 

今年の梅干しや梅酒を楽しみに、過ごしていきたいですね。

 

梅干し

本日もお読みくださいまして、ありがとうございました。

佳き一週間になりますように。

 

 

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“和のたしな美塾” 講座。

6月20日は、

江戸庶民の「環境に優しいエコな生活術」から

女性の生き方を学ぶ。

 

7月7日は浴衣のたしな美で、

若々しく見えるポーズとメイク、

和食のテーブルマナーなどを行います。

 

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梅和三盆

 

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Jun 4, 2014

江戸切子と薩摩切子 vol.3

おはようございます。

「江戸切子」と「薩摩切子」について、今日もお話していきます。

江戸切子を作った職人の親戚が薩摩切子に携わったという、

いわば家内工業のように、親戚同士が日本の切子ガラスにかかわっていたというのは興味深いですね。

かたや江戸庶民の間で成長し、かたや薩摩の大名のもとで島津藩の産業の一つとして成長していったのです。

薩摩切子は、島津斉彬(なりあきら)の娘である篤姫のお嫁入り道具としても持参されたそうです。

緑色のかえで

「江戸切子」は法則性のある連続的な曲線模様(まるで江戸小紋の文様のような)を、

「薩摩切子」は色ガラスを幾層にも重ねた色被せ(いろきせ)の分厚い層を生かしたぼかし加工や繊細な直線模様を、

それぞれ特徴としています。

P1120078

「薩摩切子」が薩英戦争などで一時途絶えて、1985年に復刻されたのに対して、

「江戸切子」は第二次大戦で東京の江東区の工場では壊滅的な被害に遭いながらも、

生き残った職人さんたちがHOYAなどを中心にガラス工芸を復活させたという歴史があります。

それぞれ歴史の中で技術をつないできたという努力があったおかげで現在まで
こうして作られてきたのですね。

更に、1881年(明治14)にイギリスの技師ホープトマンの技術指導で現代の技法が確立され、

ガラスが強固になったということです。

ワイングラス4

江戸切子の技の炎を消さないで受け継いできた努力、

薩摩切子の一度途絶えた技を復刻させた根気強さ、

日本人の職人気質が支えて、今日まであるわけですね。

2005-02-14 17.00.30

江戸切子の模様は、イギリスやアイルランドからきたという魚子(ななこ)や、

日本らしい、まるで着物の柄のような麻の葉、菊、格子、花弁などがあります。

デザインも西洋のものと融合しているのですね。

どうぞ手に取って模様もながめてみてください。

日本のガラスの歴史を感じることができると思います。

P1120091

本日もお読みくださいまして、ありがとうございました。

今宵もガラス器で冷たい一口を味わってくださいね。

佳き一日をお過ごしくださいませ。

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6月20日は、

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6月8日と7月7日は浴衣のたしな美で、

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ピンク紫陽花

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Jun 3, 2014

江戸切子と薩摩切子 vol.2

おはようございます。

江戸時代に誕生した「江戸切子」、そして薩摩藩によって創始された「薩摩切子」

これらは製法が似ているといわれています。

実は、それもそのはず。見ていきたいと思います。

額紫陽花1

「江戸切子」は、

江戸で作られた切子ガラスです。

ガラスの製造販売にあたっていた加賀屋の手代文五郎が大坂で修業した後、

1834年、南蛮人が持ってきたガラス製品の表面に金剛砂を用いて細工をしたのが
切子の始まりだそうです。

彼はその後、加賀屋久兵衛を名乗り、

江戸大伝馬町でビイドロ(当時のガラス)問屋を営んでいたところ、

1853年ペリーの注文によって切子瓶を作ったと言われています。

腕のいい職人さんだったのですね。

2005-01-03 17.41.46

「薩摩切子」は、

江戸切子と同じころ、19世紀中頃に、島津斉興(なりおき)が

江戸のガラス職人、加賀屋久兵衛の親戚四本亀次郎を招いて、

薬瓶を作らせたことに始まるそうです。

その後、島津斉彬(なりあきら)の代に紅色透明ガラスが発明されて、

薩摩の紅色ガラスとして有名になったということです。

島津斉彬は、城内で、ガラス職人四本亀次郎に紅ガラスの製法を研究させ、

何百回もの実験の後、銅による紅ガラスの製造に成功したのです。

粘り強さと精密さを兼ね備えている、さすが日本の職人、やりましたね。

根気のいるすごい発明だったのですね。

かなり高価なものだったようです。

2012-09-04 16.30.01

江戸切子を作った職人の親戚が薩摩切子にかかわったということは、

江戸切子と薩摩切子は兄弟のようなものなのですね。

明日もこのお話の続きをしたいと思っています。

本日もお読みくださいまして、ありがとうございました。

薔薇とグラス

今宵、仕事が終わった後、ガラス器で冷たいものをぜひ味わってくださいね。

幸多き一日をお過ごしくださいませ。

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草履と団扇

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Jun 2, 2014

江戸切子と薩摩切子 vol.1

おはようございます。

連日夏日のような暑さで、日中はのどの渇きも増してきますね。

和ガラスで飲む冷たい飲み物、涼やかで一息つけますよね。

緑の楓

江戸時代に製造が始まったガラス器。

西洋のガラス器が西洋からもたらされたのは16世紀中頃、

フランシスコ・ザビエルが持ってきたと言われています。

ガラス器は「ギヤマン」とか「ビードロ」と呼ばれていました。

そう言えば、この言葉、聞いたことがありますね。

和グラス

江戸時代に誕生した「江戸切子」、そして薩摩藩によって創始された「薩摩切子」。

これらカットグラスは、製法は似ています。

実はきょうだいのようなものなのです。

江戸切子は色が鮮明で華やかですが、

薩摩切子は半透明で幽玄な色が魅力です。

それぞれに良さがあって、それぞれ根強い愛好家もいるそうです。

シダ

江戸切子でワイン、薩摩切子で焼酎のロックなんていうのもいいですね。

明日は江戸切子と薩摩切子の関係などを書いてみたいと思います。

本日もお読みくださいまして、ありがとうございました。

ドイツビール

今宵、仕事が終わった後の冷たい一口を味わう楽しみを思い描きながら、

佳き一日をお過ごしくださいませ。

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紅い朝顔

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Jun 1, 2014

和ガラスは江戸の憧れの的

おはようございます。

東京は昨日も夏日のような陽気でした。

今日から6月ですね。

体調管理には気を付けていきたいものです。

グラスと薔薇

ガラス器は、蒸し蒸しする時にも、涼感を与えてくれますね。

ガラスの歴史は古く、紀元前数千年のメソポタミア文明にまで遡ると言われています。

ローマ時代にはグラス(ローマン・グラス)が作られ、その後、ヴェネツィア共和国やフランス、アメリカなどで改良が進み、現在のようなガラス器が一般家庭の食卓にも並ぶようになりました。

日本で和ガラスの製造が始まったのは江戸時代。西洋の吹きガラス製法を取り入れ、またたく間に大坂や江戸の広がっていきました。

それまで鎖国であった日本では、ガラスは大名から庶民に至るまで、好奇心をあおる格好の産物だったのですね。

ガラスのグラス

江戸で人気だったのが白酒売りの白酒です。

助六をはじめ歌舞伎に度々登場する白酒売は、雛祭りが近づくと、

やってきます。

桶に乗せた箱には、ガラスの徳利が入っていたということで、

それはそれは吉原の花魁にも町屋の女衆にも引っ張りだこだったとか。

白酒は、甘くて口当たりがよい上に、

ガラスの徳利というのが、女心をくすぐる、異国情緒溢れるものを感じさせたのでしょうね。

グラスとレモン

本日もお読みくださいまして、ありがとうございました。

佳き一日をお過ごしくださいませ。

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ワイングラス3

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May 2, 2014

八十八夜は、田植えシーズン到来の合図

おはようございます。

花過ぎて よし野出日や 別れ霜 (几董・きとう)

立春から数えて88日目にあたる今日5月2日は、「八十八夜」と呼ばれます。

「八十八夜の別れ霜」と言われるように、晩霜の被害が心配された気候も、

八十八夜を過ぎればもう霜が降りることはないと言われていますね。

「別れ霜」は、「忘れ霜」「名残の霜」などともいわれるそうです。

何とも、詩的な表現があるものですね・・。

image

 

この日を境に、農作業にとっては好い季節となります。
また、八十八を組み合わせると、「米」の字になることから、農事にとっては重要な意味を持つ日でもあるそうです。

あちらこちらで田植えが始まりましたね。
私の郷里の宮城では、毎年連休前後から田植えが始まります。
昨年は寒さのために代掻きも遅れていましたが、今年はどうでしょうか。
今東北新幹線で宮城に向かっているところです。

 

image

 

日本は「瑞穂の国」と呼ばれていますね。

みずみずしい稲穂のことを瑞穂(みずほ)といい、
稲が多く取れることから瑞穂の実る国ということで、
「瑞穂国」(みずほのくに)、
「豊葦原千五百秋瑞穂国」(とよあしはらの ちいおあきのみずほのくに)と、
日本国の美称として用いられています。

 

お米作り、これからが忙しくなりますね。

手前をかけ、夏にはお米の花が咲き、
秋にはたわわに稲穂が実り、秋の収穫、豊穣のお祭り・・、
今年も秋の新米を楽しみにしていきたいですね。

 

今日も最後までお読みくださいまして、ありがとうございます。

楽しい一日になりますように。

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和のたしな美塾” 講座。
5月は少し趣向を変えて江戸吉原のお話をします。

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どうぞ遊びにいらしてください。

 

 

image

 

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Apr 8, 2014

花より団子

おはようございます。

お花見の歴史

現在のようなお花見、桜の花が鑑賞されるようになったのは、かなり古く、平安時代からだと言われています。

でも、それはあくまでも高貴な人のものでした。

奈良時代に中国から渡来した梅が貴族の行事として鑑賞されていたのですが、平安時代になると、梅よりも桜への人気が上昇し、お花見と言えば桜の花見に替りました。

元々は、812年に「花宴の節(せち)」として嵯峨天皇が始め、宮中で天皇主催の定例行事として取り入れられました。その様子は『源氏物語』「花宴(はなのえん)」にも描かれています。

030

 

「花より団子」

お花見が庶民に広まったのは江戸時代からで、元禄時代に盛んになりました。

そして、享保年間に徳川吉宗が浅草(墨田川堤)や飛鳥山などに桜を植えさせ、庶民の行楽を奨励したのです。

「花より団子」という言葉はこの頃にできました。

花見団子は、江戸時代の庶民から広まったと言われています。

 

落語の『長屋の花見』や『あたま山』、明治時代に作られた『元禄花見踊り』など、お花見に浮き立つ江戸庶民の様子が生き生きと伝わってきます。

今も使われる「花より団子」は、お花見から生まれた江戸庶民の言葉だったのですね。

みたらし団子

本日も最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。

まだまだ花冷えの季節です。暖かくしてお過ごしくださいね。

 

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Mar 19, 2014

ぼた餅とお萩の違いは

おはようございます。

もうすぐ春分の日(お彼岸の中日)がやってきます。

お彼岸には、おばあちゃんが牡丹餅を作って、ご先祖様によくお供えしたものです。

今は手軽にスーパーでも売っていますから、つい買っちゃいますね。

ぼた餅とお萩と違いは?

実は、ぼた餅(牡丹餅)もお萩も同じものなのです。

春のお彼岸はその頃咲く牡丹の花から、秋のお彼岸は同じく萩の名前をつけたと言われています。

淡いピンクの牡丹                   牡丹

甘いものは仏教の言葉で「甘露」と言われます。

 

「甘露」は、梵語 amṛta の訳で、不老不死の甘く清々しい飲み物のことです。

転じて、仏の教え、仏の悟りにたとえられます。

 

仏壇やお墓に甘いものをお供えすることが多いのは、こんな言葉も関係しているようですね。

 

萩                   萩

また、お彼岸に牡丹餅(お萩)を食べる習慣は、江戸時代から始まったと言われています。

「小豆」は古来より邪気を払うとして信仰され先祖の供養と結びついたとか、

砂糖や米が大変貴重だった時代に、先祖に牡丹餅(お萩)を供えて近所にお裾分けすることが大変な功徳を積むことになったからとか、言われています。

 

 

日本人としての牡丹餅(お萩)を食べる習慣、大切にしていきたいですね。

 

本日もお読みくださいまして、ありがとうございました。

今日も清々しい気持ちで過ごしてまいりましょう。

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Mar 10, 2014

再び「草餅」の歴史を

こんにちは。

草餅の 柔らかければ 母恋し  (川端茅舎)

先週、ご紹介しました「草餅」には、
ヨモギではなくてハハコグサを用いたというお話をしました。

 

「草餅」についてはこちらです。

 

 

ハハコグサ(母子草)は、春の七草の一つ、
ゴギョウ(御形・オギョウ)のことです。

へらのような丸みを帯びた葉っぱを餅の中に入れていたのです。

 

ヨモギのほうが香りもよく、健康にもよさそうだと思いがちですね。

どうして、ハハコグサ(母子草)にこだわったのでしょうか。

038

「ハハコグサ(母子草)」というのは、葉っぱや茎に白い柔らかい毛が生えていて、暖かく子どもを包み込むようなイメージがありますね。

 

毛が多い植物ですし、毛を持った種子が形成されるということを「ほほけ立つ」と呼んで、「ホホケグサ」がなまったものとも言われています。

「ホホケグサ」から「ハハコグサ」へ。

 

 

どうも古い呼び名はホウコグサ」とも呼ばれていたようです。

 

この呼び名が、実は雛(ひいな)送りという、桃の節句に行われる身を浄め災いを祓うという風習と結びついているように思います。

 

春の七草の一つである

ハハコグサ(母子草)、つまりゴギョウ(御形・オギョウ)の、

「御形」とは幼児がハイハイをするような形の人形のことで、

これを「這子(ほうこ)」と呼びました。

 

「這子(ほうこ)」は、上巳の祓い(桃の節句)のときに幼児に贈られた人形です。

 

幼児の枕元に置かれ、祓いの後に神聖なものとして、翌年にもそれが使われるようになって、

幼児が3歳になるまで身に添えて持たせるという風習も生まれたといいます。

いわば神聖なぬいぐるみやお人形の形のお守りのようなものですね。

 

ヨモギではなく、ハハコグサ(母子草)が草餅に使われ、桃の節句にお供えしていた意味が何となく分かるような気がしてきました。

 

可愛い女児に、病気や災いがなく、健やかに育ってほしいという親心でしょうか。

 

いかがですか。

 

 

東北では、幼児や無垢な女の子のことを「おぼこ」といいますが、

「這子(ほうこ)」と語源に通じるものがあるようにも思います。

 

003

 

===========

 

源氏物語にも出ている「雛遊び(ひいなあそび)」

この古くからの女児の人形遊びと上巳の祓いの人形とが結びついて、

更に江戸中期以降には次第に豪華なお雛様に発展していったのですね。

 

 

「雛人形」の歴史については、こちらです。

 

 

 

 

江戸幕府が3月3日の節日を「五節句」の一つに定めたことが、「雛遊び」を「雛祭り」にしたということが雛祭りが大きく発展していった大きな要因となったようです。

 

 

上巳の人形(ひとがた)が次第に保存され、飾ることによって人形に願いを込めるというふうになったのですね。

時代が進んでも、娘の幸福を願う親心に変わりはありません。

 

子どもの幸福を願う「桃の節句」や「端午の節句」。

未来を創っていく子どもたちを、大人はみんなで育てていきたいものです。

 

江戸っ子が、

子どもはみんなのもの、地域の財産なのだから、みんなで育てるものだ

という気概を持っていたように、

 

子どもたちを慈しんで育てていきたいですね。

 

 

本日もお読みくださいまして、ありがとうございました。

 

今週も幸多き一週間でありますように。

 

 

緑光

 

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Mar 7, 2014

春の香りがする草餅は

こんにちは。

おらが世や そこらの草も餅になる (小林一茶)

 

「草餅」も、桃の節句にそなえるものですね。

田んぼの畦道などに生えている蓬(よもぎ)の香りが何とも言えないのが草餅ですね。

子どもの頃は、柔らかい新葉を摘んできて、祖母や母に草餅をよくつくってもらったものです。

 

江戸の中期から明治になってこの蓬が使われるようになったそうです。

それまでは、草餅といえば、春の七草の一つ「御行(ごぎょう)」でした。

 

「御行(ごぎょう)」は、「母子草(ははこぐさ)」の通称です。

母子草               母子草(ゴギョウ)

小林一茶や松尾芭蕉も「草餅」といったら、この「御行(ごぎょう)」が入った餅のことを指していました。

一茶が言う、そこいらに生えている草だったのですね。

 

 

滝沢馬琴が編纂した俳句の季語を分類した『俳諧歳時記』(1803)の中には、

 

   三月三日に母子草を採り、蜜と和して粉にしてこれを龍古(羹)という

 

と、このように記されています。

 

小野蘭山の『本草綱目啓蒙』(1803~6)には、

 

   三月三日の草餅はこの(母子)草で作ったものであったが、

   近ごろは蓬で作ったほうが、緑が濃くて喜ばれるようになった

 

と、このようにあります。

 

ほぼ同年にこのような二つの書物ができて、

「草餅」は母子草でつくるもので、「蓬餅」とは違うのだと述べているようです。

とても興味深いですね。

七草2

「母子草(ははこぐさ)」は、「鼠麹草(そきくそう)」とも呼ばれ、

咳の薬でもあるということです。

 

 

春先の季節の変わり目に、咳にも良いとされるこの「母子草(ははこぐさ・ごぎょう)」を食したことは、

お手軽で、身近な薬草だったのかもしれませんね。

 

 

本日もお読みくださいまして、ありがとうございました。

 

明日から週末になりますね。

今日の午後もきらきらとお過ごしくださいね。

たんぽぽ綿毛

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