おもてなしの言葉8「しばしお待ちください」
「しばしお待ちください」
「しばしお待ちを」
相対的な時間のことを言いますが、
耳にする言葉ではありますが、なかなか普段は使わなくなりました。
この言葉は古くから使われてきた言葉のようです。
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天津風(あまつかぜ) 雲の通ひ路(かよひじ) 吹き閉ぢよ
をとめの姿 しばしとどめむ
と、百人一首にあります。
古今和歌集におさめられた僧正遍照作の一首です。
天を吹く風よ、天女たちが帰っていく雲の中の通り道を吹き閉ざしてくれ。
乙女たちの美しい舞姿を、もうしばらく地上に留めておきたいのだ。
新嘗祭(にいなめさい)の翌日、
「豊明節会(とよのあかりのせちえ)」の宴の後に舞楽を舞う5人の公家の娘たちを天女に見立てているのです。
ああ、もうしばらくこの美しい乙女たちの舞姿をみていたいという思いですね。
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「しばし」という言葉がこの和歌が作られた平安時代の貞観11年(869)に使われています。
この時代から、今までずっと同じ意味で使われているのですね。
「しばしの別れ」
「しばし待て」
などちょっと古風な感じがしますが、
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お客様をお待たせしているとき、
「しばしお待ちください」
「しばしお待ちを」
結婚式場やパーティーの席上で、
「しばしご歓談くださいませ。」
なんて言えたら、慌ただしさの中にも古風な落ち着きを相手の方に感じさせますね。
時間の感覚はそれぞれ、その時々によって違うものですが、
じゃあ、少しお待ちしましょうか、という心和やかな心持ちになりますね。
ちょっと意識して使ってみてはいかがでしょうか。
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(参考:高橋こうじ著『日本の大和言葉を美しく話す』)
おもてなしの言葉7「ことほぐ(言祝ぐ)」
「新郎新婦の前途を祝して、乾杯〜!」
「祝して」という言葉が私は大好きです。
ご祝儀舞踊の歌詞にも、この言葉がよく使われます。
日常に使いなれた言葉「祝う」をさらに高めた言葉が
「ことほぐ(言祝ぐ・寿ぐ)」です。
古代日本では、祝いの言葉を述べる事を「ことほぐ(言祝ぐ)」といい、
「こと」は「言」、「ほぐ」は動詞「祝く(ほく)」を意味します。
これは、もともとは漢字の「寿詞や寿賀」に由来したもので、
「ことほぐ(言祝ぐ)」を「寿」の訓としましたので、
「言祝ぐ」とも「寿ぐ」とも書くようになったのです。
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この言葉には、
言葉を口にすることによって、幸福を招き入れるという言霊思想が宿っています。
平安時代以降、「ことほく」から「寿ぐ・言祝ぐ(ことほぐ)」や「寿く(ことぶく)」ともいうようになり、
「ことぶく」の連用形が名詞化して「寿(ことぶき)」になったということです。
「ことほぐ(言祝ぐ・寿ぐ)」には、
おめでたい言葉を口にすると、本当に幸せが訪れると、
そういう先人の思いが込められていたのです。
梅の花や河津桜は満開を迎えて、
「春の訪れを言祝ぐ」
結婚式で、新郎新婦に対して、
「ご結婚を言祝ぎ、舞をひとさし・・・」
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日本は発する言葉に特別の力があるとして、言葉を大切にしてきた国です。
美しい言葉、相手にも心地よい言葉、自分にもポジティブに語りかける言葉は
相手も自分も癒され、新たなエネルギーの交歓が生まれますね。
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この「ことほぐ(言祝ぐ・寿ぐ)」にも、
相手に対する末広がりの幸福や長寿が現実のものとして叶いますようにと願う、
そんな優しい思いが込められていることを覚えておいてくださいね。
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おもてなしの言葉6「ほんのお口汚しですが」
日本には謙遜の言葉がたくさんありますね。
この言葉もその一つです。
「ほんのお口汚しですが。」
今この言葉を使える人がいるでしょうか。
「お口汚し」というのは、口の中を汚すまずいものという意味ではなく、
口の中を汚すだけのほんのわずかな量ということです。
お土産を人様に差し上げるとき、
お酒の肴としておつまみを出すとき(大皿ではなく小皿料理)、
「ほんのお口汚しですが。」
と、使ってみたいですものね。
こういう言い方もありますね。
簡単に、「お口汚しですが。」
前回ご紹介した言葉、「お口に合いますかどうか・・・。」
そう言いながら、
大切な年長者や目上の方にお渡ししたら、
お口に合わないかもしれませんが、
どうぞ召し上がってくださいませ、
という謙遜を込めた表現になりますね。
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お着物を着て相手の方のお宅にお伺いする際、
座敷で風呂敷の包みを開いて、
相手の方に菓子折りをそっと差し出す時、
「ほんのお口汚しですが」と、ひと言。
そんな日本の古来の風習の光景が目に浮かびますね。
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同世代の友達に使うにはちょっと不向きかもしれません。
でも、知っておくと、いざという時には
さりげない奥ゆかしさを発揮できると思いますよ。
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謙遜、相手に対してへりくだるという心を大切にする風習が薄らいできている昨今です。
真心を伝える素直さ、相手の心遣いを理解する心のゆとり、
それはやはり日本人の美徳の一つだと思います。
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おもてなしの言葉5「お口に合いますかどうか」
皆様、おはようございます。
昭和の時代までは、女性は花嫁修行としてお茶にお花・・が必須といわれ、
人を家にお招きするのがごく普通のことでした。
現代はホテルなどの非日常の場所で集うことが多くなりましたね。
ですから、家庭にお客様をお招きして、手料理でおもてなしをする機会も少なくなりました。
「お口に合いますかどうか・・・」
そんな言葉もそういえばあったなあ~という程度で忘れ去られているように思います。
お客様の味覚に合うかどうかわかりませんが、
もてなす側としては、精一杯のご馳走をご用意いたしました。
目には見えませんが、下ごしらえにも心をくだきました。
その結果はいかがでしょうか。
お客様がどのように感じてくださるか、不安半分、緊張半分の心持ちです。
「お口に合いますかどうか・・・」
と、そんなシチュエーションで言われたら、
客人は、もし仮にそれが自分の好みの味ではなかったにせよ、
私のために用意してくださったのだなあと、
心から幸せな気持ちになります。
客人をもてなすご亭主の心配りにありがたいなあという思いにかられます。
まさにそれがお茶事の根本であるともいわれています。
「お口に合いますかどうか・・・」
何でもいいのです。
一品でも、心を込めて、手作りのものでお客様をお迎えしてみませんか。
おもてなしの言葉4「どうぞごゆるりと」
飲食店や喫茶店に入ってお茶を出された後、
「どうぞごゆるりと」とか、
「どうぞごゆっくり」と言われると、
ほっとする気持ちになりますね。
日本語は不思議です。
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「ゆ」とつく言葉には、何かリラックス効果のある言葉がたくさんあります。
「ゆっくり」「ゆるやか」「ゆとり」「湯」など、
副交感神経を休めるような、そんな言葉がたくさん散りばめられています。
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そこに「ご」とか「お」をつけて日常の中で使っているのです。
「ごゆるりと」で、手足を伸ばしてくださいと、
「ごゆっくり」で、時間に制約はありませんよと、
そんな相手の思いが伝わってきますね。
どちらも、言われると嬉しくなる、致される言葉です。
お店が混雑していて接客にも大変だろうなあと思いながらも、
この言葉を耳にすると、ああ、しばらくここでくつろげるなあという気分になりますね。
言葉というのは、本当に不思議なものです。
自分でも、相手のために、早速今日から使ってみましょう。
相手の方もきっと癒されることでしょう。
現代人には、忙しいからこそ、より一層この言葉を使ってほしいものです。
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おもてなしの言葉3「どうぞお上がりください」
我が家へお客様をお迎えするとき、
「どうぞお上がりください。」
と言いますね。
丁寧な言葉です。
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玄関で履いている履物を脱いでいただき、
一歩、二歩と上がり框(かまち)から上がってくださいと、
そんな意味も込められていますね。
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「どうぞお入りください。」というのも
よく使われる言葉ですが、
これは履物を履いたまま入っていただく、
お店や事務所、会社などにふさわしい言葉ですね。
外国では靴を履いたまま個人宅に入りますので、
この言葉のほうがしっくりきます。
さて、お客様に親しみと歓待の思いを込めて、
「どうぞお上がりください。」と、
さらりと言えるようになりたいものです。
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おもてなしの言葉2「ようこそ、お運びくださいました」
空港で外人さんをお迎えする言葉。
「ようこそ、日本へ!」
空港でよく見かけますね。
帰国してきた日本人でさえ、嬉しくなります。
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お客様をお迎えするとき、
「ようこそ」に続いて「おいでくださいました。」
というのが最初のおもてなしの言葉ですね。
「ようこそ、おいでくださいました。」
「ようこそ、いらっしゃいました。」
さらに、こんな歓迎の言葉もあります。
「ようこそ、お運びくださいました。」
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「お運び」には、遠方より足をここまで運んでくださった、その労力や時間、費用など全部をひっくるめて感謝とねぎらいの気持ちを表す言葉です。
ここまで来てくれるのは当然でしょうなどという思いは微塵も感じさせません。
ただただ相手を思いやる気持ちのみです。
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「本日はお足元の悪い中」というふうに、雨や雪の日には言いますね。
防寒をし、傘を差しながらも 衣服や履物などを濡らし、
時間を割いて、ここまでおいでくださった、なんてありがたいことなんだろうという思いが込められていますね。
昨日は”和のたしな美塾”の新年会でした。
大寒が過ぎ、寒さもひとしお、そして雨や雪も懸念されましたが、
お天気に恵まれてほっと胸をなで下ろしました。
年に一度の行事にわざわざ足を運んでくださる皆様には心から感謝しています。
ありがとうございました。
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どんな方に対しても、心のこもった歓迎の言葉
「ようこそ、お運びくださいました。」を使いたいものです。
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後日お礼状には、
「ようこそのお運び、厚く御礼申し上げます。」
なんて、さらりと書けたら、かっこいいですね。
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おもてなしの言葉1「お待ちしていました」
「もてなし」の丁寧語は「おもてなし」。
この言葉はオリンピック招致のプレゼンの時の滝川クリステルさんによって、
本当に有名になりましたね。
「お」「も」「て」「な」「し」のジェスチャーも流行しました。
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「おもてなし」は「表がない」ことに通じます。
「裏表がない心」を表します。
ということは、真心を持って相手を歓待する誠意をそのまま表現することになります。
それは日常のごく普通の心のあり方にも通じるように思います。
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お客様を迎える時の言葉
「お待ちしていました。」
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お茶のお稽古に出向いて、師匠の前で「今日もよろしくお願いします。」と
一礼するときに、いつも 「お待ちしていました。」と、
この言葉をおっしゃってくださいます。
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ああ、待っていてくださったのだなあと、毎回この言葉を聞くたびに感激します。
電車を乗り継いで、やっと辿り着いた師匠の家で最初に語りかけてくださる言葉。
「お待ちしていました。」
素敵なおもてなしの言葉です。
人は真心のこもった言葉によって癒されますね。
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日本の「働く」の本当の意味は
おはようございます。
今日も“和のたしな美塾”®から
たしな美人「和の雑学」をお届けいたします。♡
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「働く」って、職業として仕事をするとか、
生計を維持するために稼ぐという意味なのだとばかり思っていませんか。
日本と西洋とでは「働く」ことの意味合いが元々違っていたようです。
西洋的な「働く」という発想から見ると、
「働く(Work)」の反対語は「遊ぶ(Play)」ということだといいます。
もともと労働階級が資産家に時間を拘束されて「働く」という考え方からきているものなのです。
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日本では、「働く」は、
「はたらく(傍楽)」と書いて、
周囲(傍)の人を楽にする、楽しくするという意味があったと言われています。
日本の「働く」には、
奉仕するという意味合いが含まれていて、
苦しいもの、拘束されるという概念はなかったのですね。
日本と西洋との「働く」ことの意味合い、こんなにも違うことに気づかされます。
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先日、野中ともよさんという以前NHKのニュースキャスターをされていた方のお話をお聞きした際に、
お父様から「働くというのは、傍(はた)の人を楽にする、楽しくするものだと教わった。」と、
おっしゃっていました。
そういう教育をお父様から受けてこられたのだと、感銘を受けました。
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明治期から、日本は西洋文明の影響で思想的にも大きな影響を受けて、
物質的にも豊かな経済大国として、先人の努力によってここまでやってきました。
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ところが、東日本大震災、そして熊本大震災を経て、あれ、何か違うと、気づき始めてきたのではないでしょうか。
命のはかなさと生きることの意味を考えざるをえなくなりました。
心の中に、人のために自分ができることを何かしたいという「奉仕」の心が強く芽生え、意識されてきたように思います。
まさに「傍(はた)を楽にする」、自分の命を使って周囲の人に喜びを与える生き方は、
これからの世界をリードする「働く」意味でもあると思います。
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限りあるこの命を大切に使っていきましょうね。
今日もお元気に心晴れやかな一日をお過ごしくださいませ。
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上善水の如し
今日も“和のたしな美塾“®から
たしな美人「和の雑学」をお届けいたします。♡
海の日にちなんで、水をテーマに綴ってみたいと思います。
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禊のルーツを辿れば、
イザナギが亡くなった妻イザナミがいる黄泉国から戻ってきて、
身にまとっているものを全部脱いで、
黄泉の国で身体についた穢れを落としたという神話からきています。
日本には、禊のもとになる身濯(みそそぎ)、身削(みそぎ)というものが神代の時代からありました。
水の中につかり、穢れを洗い流して心身を清めるというというものです。
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五節句の一つ「雛祭り」も、
川で身を清め邪気を払うという習わしがその元にはあったのですね。
詳しくはこちらから「雛人形」の歴史をご覧くださいませ。
http://derivejapan.com/blog/beauty/hina-matsuri/
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お互いが憎しみあっている間柄で和睦することを、
「水に流す」
といいます。
心も体も、過去の穢れを落とすという禊から考えれば、
お互いに長く深い憎しみで傷ついた心身を水で洗い流すことで、
後ろばかり見ている生き方から、
創造する未来へとともに前進していきましょうという意味になりますね。
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「すみません」という言葉も、
もともと「澄みません」と書いて、
「水が澄んでいないような状態を人間関係において自分が作り出してしまった」
「水を濁らせてしまった」
そういうことに対してお詫びする詫びる意味があったのです。(歴史学者の樋口清之氏)
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「水の如し」という表現もいくつかあります。
「上善如水(じょうぜんみずのごとし)」という吟醸酒があります。
雪解けの水のようにさらりとしたフルーティーな味わいのお酒です。
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以前、NHK大河ドラマ『黒田官兵衛』でも描かれていましたが、
戦国乱世の天才軍師であった黒田官兵衛は、家督を嫡男長政に譲った後、
「黒田如水」と名乗って隠居しました。
「如水」というのは、
『老子(8章)』からとった言葉とされています。
「最高の善は水のようなものである。万物に利益をあたえながらも、他と争わず器に従って形を変え、自らは低い位置に身を置くという水の性質を、最高の善のたとえとした。」と。
また「黒田如水」については、
司馬遼太郎著『播磨灘物語』の「如水」には、
「身ハ褒貶毀誉ノ間ニ在リト雖モ心ハ水ノ如ク清シ」
「水ハ方円ノ器ニ随フ」という古語からとったともあります。
水が器によっていかようにも姿を変えるように、自我のない姿を表しています。
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鴨長明の『方丈記』の一節
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。
よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。
世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。」
鴨長明は、出家の後、57歳のときに洛南日野の方丈の庵で『方丈記』を書いたそうです。
前半部分では、中世的な無常観をもって、
長明が直接体験した五大災害(安元の大火・治承の辻風・福原遷都・養和の飢饉・元暦の大地震)を描写し、この世の無常とはかなさを著しました。
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るる書き綴ってきましたが、
日本人の精神性には、神道、老荘思想、仏教など、様々なものが根本にはありますが、
生々流転している大自然の中で、とどまることなく流れゆく水のように、
思いをとどめず、形を変えながら循環し進化していくことが最もよいのでしょう。
この世界のとどまることのない戦乱の中にあって、日本人の独特の精神性、考え方が世界が穏やかで平和になっていく、その一石を投じていくものと思うのです。
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「おもひおく 言の葉なくて つひにゆく みちはまよわじ なるにまかせて」
「今となっては思いをとどめおく何ものもない。
この最後の道行に何の迷いもないのだ。
なるように、なるがままに、身をまかせて進んでいこうではないか。」
(黒田官兵衛の辞世の句)
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