上善水の如し

今日も和のたしな美塾“®から

たしな美人「和の雑学」をお届けいたします。♡

海の日にちなんで、水をテーマに綴ってみたいと思います。

 

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禊のルーツを辿れば、

イザナギが亡くなった妻イザナミがいる黄泉国から戻ってきて、

身にまとっているものを全部脱いで、

黄泉の国で身体についた穢れを落としたという神話からきています。

 

日本には、禊のもとになる身濯(みそそぎ)、身削(みそぎ)というものが神代の時代からありました。

水の中につかり、穢れを洗い流して心身を清めるというというものです。



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五節句の一つ「雛祭り」も、

川で身を清め邪気を払うという習わしがその元にはあったのですね。

詳しくはこちらから「雛人形」の歴史をご覧くださいませ。

http://derivejapan.com/blog/beauty/hina-matsuri/

 

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小川と緑紅葉

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お互いが憎しみあっている間柄で和睦することを、

「水に流す」

といいます。

心も体も、過去の穢れを落とすという禊から考えれば、

お互いに長く深い憎しみで傷ついた心身を水で洗い流すことで、

後ろばかり見ている生き方から、

創造する未来へとともに前進していきましょうという意味になりますね。

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渓流


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「すみません」という言葉も、

もともと「澄みません」と書いて、

「水が澄んでいないような状態を人間関係において自分が作り出してしまった」

「水を濁らせてしまった」

そういうことに対してお詫びする詫びる意味があったのです。(歴史学者の樋口清之氏)

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「水の如し」という表現もいくつかあります。

 

「上善如水(じょうぜんみずのごとし)」という吟醸酒があります。

雪解けの水のようにさらりとしたフルーティーな味わいのお酒です。

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以前、NHK大河ドラマ『黒田官兵衛』でも描かれていましたが、

戦国乱世の天才軍師であった黒田官兵衛は、家督を嫡男長政に譲った後、

「黒田如水」と名乗って隠居しました。

 

「如水」というのは、

『老子(8章)』からとった言葉とされています。

 

「最高の善は水のようなものである。万物に利益をあたえながらも、他と争わず器に従って形を変え、自らは低い位置に身を置くという水の性質を、最高の善のたとえとした。」と。

 

また「黒田如水」については、

司馬遼太郎著『播磨灘物語』の「如水」には、

「身ハ褒貶毀誉ノ間ニ在リト雖モ心ハ水ノ如ク清シ」

「水ハ方円ノ器ニ随フ」という古語からとったともあります。

水が器によっていかようにも姿を変えるように、自我のない姿を表しています。

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朝日

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鴨長明の『方丈記』の一節

 

「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。

よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。

世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。」

鴨長明は、出家の後、57歳のときに洛南日野の方丈の庵で『方丈記』を書いたそうです。

 

前半部分では、中世的な無常観をもって、

長明が直接体験した五大災害(安元の大火・治承の辻風・福原遷都・養和の飢饉・元暦の大地震)を描写し、この世の無常とはかなさを著しました。

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緑と渓流

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るる書き綴ってきましたが、

日本人の精神性には、神道、老荘思想、仏教など、様々なものが根本にはありますが、

 

生々流転している大自然の中で、とどまることなく流れゆく水のように、

 

思いをとどめず、形を変えながら循環し進化していくことが最もよいのでしょう。

 

この世界のとどまることのない戦乱の中にあって、日本人の独特の精神性、考え方が世界が穏やかで平和になっていく、その一石を投じていくものと思うのです。

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「おもひおく 言の葉なくて つひにゆく みちはまよわじ なるにまかせて」

 

「今となっては思いをとどめおく何ものもない。

この最後の道行に何の迷いもないのだ。

なるように、なるがままに、身をまかせて進んでいこうではないか。」

 

  (黒田官兵衛の辞世の句)
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海