古文書を楽しむ会
<江戸座学>
古文書を楽しむ会
変体仮名の看板などが読めるようになって、さらに江戸の文化を深く楽しむことができます。
『古文書を楽しむ会』(毎月1回定例・毎月第3土曜日)
昔の崩し字はなんと書いてあるのか分からない、
これが少しでも読めるようになれば、もっと興味を持って深く歴史を読み解けるのに・・。
そんな経験はありませんか。
モーツァルトのオペラだって、あんなに高尚に聴こえるのに、実はたわいのない会話だったり、そんなことをよく耳にします。
古文書、例えば「旅日記」を読むと、九州の武士が江戸までの旅で経験したごくごく普通の日常のことを書き綴っていたりして、
文章が読めると、その人物に親近感を持つこともできます。
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『第10回目 古文書を楽しむ会』
日時:平成30年10月20日(土)10:00~12:00
(和菓子・お抹茶つき)
内容:
「古文書は・・」という難しいことは抜きにしたいと思います。
今でも看板にあるような変体仮名や日本の書体の変遷なども軽く面白くご紹介し、江戸時代の子どもたちが習う字はどのようなものだったかなども説明します。
一行ずつ読んでいきながら、何度も出てくる字を発見すると、面白みも増してきます。
先生から、現代訳も渡していただくので、ご自分で復習にもなります。
第10回目では、
『衣食訓』の読み下し
江戸庶民の旅日記の読み下し
前回の『北国道中記』(庶民の旅日記)パート3
宿坊に着いた前後の日記とそこで出された食事の内容
お時間のある方はお気軽にご参加ください。
お待ちしております。
講師:野口明氏
受講費:2,000円
ランチは有志で近くの小料理屋を予定しています。(別途 お一人1,000円前後)
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講師紹介
野口明氏
昭和24年生まれ。本業は40年以上のベテラン電気工。
子供の頃から時代劇が好きで、よく東映の映画館に通い続ける。
平成20年放送大学教養学部卒。平成24年放送大学院卒。両卒業論文のテーマは日本の近世史。
江戸時代の貨幣、暦、時刻などに興味を抱くようになり、崩し字に出会うと何と書いてあるのか、卒論に取り組む頃から本格的に古文書の勉強を始める。
現在放送大学教養学部に在籍し、サークル活動「古文書を読む会」の副会長を務める。
生涯学習2級インストラクター取得。
NHK通信講座古文書を読む解説実践コースで研鑽中。
ボランティア活動として、佐倉の国立歴史民俗博物館の「第3室 近世の寺子屋」で古文書体験コーナーで活躍中。
同じく佐倉文化財ボランティアガイドとして、武家屋敷、旧堀田邸、順手堂記念館で活躍中。
☆ご参加お待ちしております。
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そのほか、こんなこともやっています。
寄席・歌舞伎・東をどり鑑賞、舟遊び、江戸散策などを通して、江戸文化も楽しんでいます。
<舟遊び>
江戸人の目線で桜を愛でる『桜咲く 風流舟遊び』
桜の季節。
川面から眺めるお花見は格別なものがあります。
こんな楽しみ方も江戸流。
4月1日(日)午後8:35〜9:50(満員御礼)実施
4月5日(木)午後1:00〜2:30(満員御礼)実施
江戸人の目線で『中秋の名月を楽しむ舟遊び』
9月24日(月) 午後6:00〜8:30(満員御礼)実施
名月をひやおろしの日本酒、茶巾寿司、和菓子で味わう格別のお月見。
乙なものです。
江戸座学、風流舟遊び・・満開の桜・夜桜見物、風流な十五夜・十六夜、江戸情緒あふれる神田巡り、佃住吉神社大祭での八角神輿船渡御見学、
江戸から続く文化・東をどり鑑賞、歌舞伎鑑賞、寄席などを楽しみます。
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桜舟
神田巡り
歌舞伎鑑賞
寄席
佃住吉神社大祭での八角神輿船渡御見学
新橋芸者の踊り
江戸歌舞伎〜顔見世興行
12月といえば、歌舞伎の「顔見世興行」が行なわれますね。
「顔見世」というのは、江戸時代期には歌舞伎の重要な年中行事の一つでした。
向こう一年この新しい顔ぶれの役者で興行を行いますという、お披露目だったのです。
旧暦11月1日(現在12月ごろ)、
芝居は出演する役者によって収益が左右されるため、
10月半ばに江戸三座(中村座・市村座・森田座)の興行主が集まって、
各座に出演する役者を決めていたということです。
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「顔見世や 一番太鼓 二番鶏」
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映画やテレビ、インターネットなどがない時代、江戸庶民は芝居に熱狂しました。
歌舞伎芝居は、夜も明けやらぬ一番鶏が鳴く前から始まりました。
夜明けの一番太鼓とともに入場の準備が始まるため、前夜のうちにお弁当を作って、
夜道に提灯をぶら下げて、又は駕籠をあつらえて、芝居町に向かいました。
江戸時代には、旧暦12月は「芝居の正月」ともいましたが、幕末に無くなり、
現在では「顔見世興行」という名称だけが残っているのですね。
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着物を着て、たまには歌舞伎見物に出掛けてみましょうか。
成田屋〜市川海老蔵の『鳴神』
当世、坂東玉三郎と市川海老蔵が出演する歌舞伎は大当たりです。
歌舞伎座の12月公演の夜の部は、市川家のお家芸、歌舞伎十八番の内『鳴神(なるかみ)』の通し狂言が上演されています。
海老蔵の演技を見ていると、父十二世市川團十郎の面影と声色がだぶってきます。
まるで亡き父が息子を見守っているかのように思えてきます。
何度も何度も目頭が熱くなりました。
市川家の屋号は「成田屋」です。
大向こうから「成田屋」と、ちょうどいいタイミングで掛け声がかかります。
その間合いの心地よいこと。
江戸時代の初め、寛永のころ、庶民階級は苗字を許されなかったため、
屋号を褒め言葉として用い、互いに屋号で呼び合ったということです。
俳優を屋号で呼ぶようになった一番初めは、この歌舞伎の市川家です。
初代市川團十郎が下総に住み、成田山新勝寺の不動尊を深く信仰していたことから、
「成田屋」と呼ばれるようになりました。
海老蔵が市川家のお家芸を伝承し、その中でも「成田屋」の由来になる不動明王を描いた通し狂言『雷神不動北山櫻(なるかみふどうきたやまざくら)』を今般上演することは、
歴史ある市川家の芸の継承と父團十郎の跡を継ぐことへの責任感など、さまざまな思いが交錯していることを痛感します。
不動明王の不動心。それは市川家の芸の中に息づいています。
市川家を応援せずにはいられません。
日本版「ロミオとジュリエット」〜『蝶の道行』
蝶の戯れ・・。
日本では、虫や蝶をあの世に旅立った人の化身と考えることもありますよね。
それが芸術にまで高められていきます。
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日本版「ロミオとジュリエット」と言われる歌舞伎舞『蝶の道行』。
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二匹の蝶は助国と小巻の化身。
恋人同士であった二人は、北畠家のお家騒動の中で両家が巻き込まれ、
身代わりとなって首を打たれて死んでしまいます。
その二人の首から雌蝶・雄蝶が飛び立って、
もつれ合いつつ花園の上を飛んでゆきます。
蝶たちはやがて助国・小巻の姿となり、美しい花々が一面に咲き乱れる大和の野辺
で、現世で結ばれなかった二人が二人の出会いや思いのたけを語り合うのです。
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「世の中は夢か現か ありてなき蝶となりしが」と置きが唄います。
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後半は、二人とも蝶に化身して狂い、
「修羅の迎えはたちまちに」と、地獄の業火に焼かれる責め場となります。
最後には、「夢に見る草の露」で、二人は静かに重なり合い息絶えていき、
幕となります。
幻想的で、哀しくも美しい舞台です。
義太夫という語りがなお一層切なさを醸し出します。
日本では、「間を合わせる」という言葉がありますね。
舞台は、踊り手と演奏家との息がピッタリ合って、
その心が伝わってきた時、見る側もその外観の美しさだけではなく、
心に響くものを感じるものですね。
演じ手と観客との一体感。それが舞台を楽しむ素晴らしさだと思います。
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10月にも行います。
“和のたしな美”講座
女性限定~和のマナー講座・基礎編~浴衣でアンチエインジング~
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藤の花と紫深き水道の水
おはようございます。
今日は端午の節句ですね。
鯉のぼりがはためく青空の下、
お子様やお孫さんと柏餅を召し上がるのも楽しみの一つですね。
粒あん、こしあん、味噌あんなど、いろいろ種類があって、
どれにしようかと、迷ってしまいますね。
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藤の花が美しい季節になりました。
藤の花と言えば、歌舞伎舞踊『藤娘』を連想します。
藤の大枝をバックにして黒い塗笠をかぶった女性がひと枝の藤の枝を片肩に担いで、振り返るシーンから舞台は始まります。
歌舞伎役者六代目尾上菊五郎(現菊五郎の祖父)が考えた舞台演出。
バックに松の大きな幹にふさふさの大きな藤の花をからめたのは、
自分を小さく、可愛らしく見せるためだったそうです。
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琵琶湖の南岸、三井寺(みいでら)門前で売られている土産物の大津絵の中に、
藤の枝を担いだ女性の絵がありました。
この大津絵には「良縁を得る」という意味もあったそうです。
大津絵から絵が抜け出して絵師の災厄を救ったという逸話から、
それが三井寺の仏画となり、
除災招福の札として全国に広がったともいわれています。
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長唄『藤娘』は、
「人目せき笠 塗笠しゃんと 振りかかげたる一枝は
紫深き水道の水に 染めて嬉しき由縁(ゆかり)の色の
いとしとかいて藤の花 エゝ しょんがいな……」
と、始まります。
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江戸の文政9年、大阪の歌舞伎役者 二世関三十郎が、
故郷の大阪へ帰るときに、江戸のお客様にお名残惜しやという思いで、
大津絵にちなむ五変化の所作事を舞った舞踊の一つがこの『藤娘』でした。
甘く匂う、深い紫色の藤の花を流れる水に浸すと、
水の色が「由縁(ゆかり)」、
つまり紫(ゆかり)の色になったということです。
水の清々しい清らかさと、藤の花の美しく新鮮で甘美な藤色が溶け合っている様子、
美しい世界の表現ですね。
また「紫」とは江戸のことを意味します。
「紫深き水道の水に」とは、私も江戸の水にも馴染みましたと、
大阪出身のこの役者さんが江戸のお客様に対してお礼も込めて、
そう表現したのですね。
江戸の水になじみ、江戸のお客様とのえにしが深まったと、
この二つを掛け言葉にしたのでしょう。
言葉の意味を考えいくと、より一層舞踊も楽しめますね。
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水は命の源泉。
稲作も農作物も水がなくては育ちません。
また、美味しい日本酒も、美しい友禅染めも、
清い水があってこそ味わえるものですね。
本日もお読みくださいまして、ありがとうございました。
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“和のたしな美塾” 講座。
5月は少し趣向を変えて江戸吉原のお話をします。
どうぞ遊びにいらしてくださいね。
→→ http://derivejapan.com/course/
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大正ロマン風に『君恋し』
おはようございます。
たまにはこんな歌もいいですね。
大正ロマン風に・・。
私は、これはフランク永井の歌だと思っていましたが、 これは彼によってカバーされた曲だったのですね。
大正11年に、二村定一によってこの歌が歌われ、世に出て、
昭和36年(1961)に、もっとリズミカルな雰囲気にアレンジして、 フランク永井によって歌われました。
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『海雪』でデビューした黒人演歌歌手・ジェロもこの曲を再度カバーしています。
歌謡舞踊(新舞踊)の一曲としてこの曲を踊ったときには、
大正のモダンな香りと恋心の溶け合い、
そして着物とのコンビネーションが 何とも言えず心地よく楽しかったです。
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『君恋し』
歌 : フランク永井
作詞 : 時雨音羽
作曲 : 佐々紅華
宵闇せまれば 悩みは 果てなし
乱るる心に うつるは 誰が影
君恋し 唇あせねど
涙はあふれて 今宵も更け行く
こちらがフランク永井が歌う『君恋し』です。
本日もお読みいただきまして、ありがとうございます。
心晴れやかに、最高の一日をお過ごしくださいませ。
東大寺「お水取り」から誕生した歌舞伎舞踊「韃陀(だったん)」
おはようございます。
あちらこちらで桃の節句を祝うお雛様の人形が飾られ、美しさにほんわかとした春を感じますね。
「桃の節句」。この言葉を聞いただけでも、心が浮き立ちますね。
草木がいよいよ生い茂る弥生月。
今月もどうぞよろしくお願いします。
奈良東大寺の「お水取り(修二会)」といわれる行事が3月1日から14日まで、二月堂本堂で行われています。
「奈良のお水取りが終わると春がくる」と、関西の方々にとって、この「修二会」は春を迎える行事なのですね。
「修二会」は752年から千二百五十年以上にわたって行われ、一度も絶えることがなかったという法会です。
「十一面悔過(じゅういちめんけか)」という行が行われます。
二月堂本尊である十一面観音菩薩に、万民に代わって、僧侶が懺悔の行を勤め、
天下泰平や五穀豊穣万民の平安を祈願するものです。
神道、仏教、民間信仰が入り交じっているような感がしますね。
十一面観音の須弥壇を飾る和紙の良弁椿の花拵え(はなごしらえ)
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「お水取り」の儀式では、13日午前1時半ごろ、井戸から汲み上げる「お香水(こうずい)」を供えるのだそうです。
「お松明(たいまつ)」は練行衆が宿所から二月堂に上堂するときに足下を照らす道明かりです。
満行に行われる「韃陀(だったん)」は、行のクライマックスで、参詣者も沸き上がるのです。
このとき、松明の火の粉をかぶると厄を祓い、無病息災を得ると言われています。
よくテレビのニュースでも見かける場面ですね。
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この満行に行われる「韃陀(だったん)」。
大松明を抱える練行衆とお香水の器を抱える練行衆が向かい合って走り、飛び跳ねるというクライマックスを見た、先代の尾上松緑さんが「お水取りを舞踊化したい」という思いから発案したのが、
歌舞伎舞踊の「韃陀(だったん)」です。
この舞踊、テレビでちらりと白黒の映像が放映されたときには、本当に鳥肌が立ちました。
どうしても生の舞台を見たくて、京都の南座で見たときには、感動しました。
主人公の僧侶集慶と、“煩悩”の象徴として登場するこの青衣(しょうえ)の女人(にょにん)。
“荒行に疲れた集慶の心の幻影”として女人を捉え、青衣は“煩悩”の象徴。
ストーリーについては、東大寺に伝わる文書をヒントにして創作されたということです。
幻想的な雰囲気と艶やかな情感。
クライマックスの、集慶が大勢の練行衆と共に見せるダイナミックな群舞は圧巻です。
一度是非ご覧くださいね。
本日もお読みくださいまして、ありがとうございました。
素晴らしい弥生月をお過ごしになられますように。
今月も幸あれ。
畳一畳で舞う上方舞
三味線音楽No.8
今日は「上方舞」について、ご紹介したいと思います。
京や大阪の上方で発達した舞踊を総称して「上方舞」といいますが、
その地歌の演奏は、長唄や浄瑠璃のように高い台に乗らずに、
平床に毛せんを敷いて、そこで演奏されます。
「上方舞」は、歌詞の内容にいって、次のように分類されます。
「葵の上」「鉄輪」「八島」など。
「愚痴」「ゆかりの月」「雪」など。
手事物としては「鐘が岬」など。
「荒れ鼠」「かわず」など。
「京の四季」「東山」など。
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酒宴席の座敷での舞として行われていたので、埃をたてないように、
一畳の空間でも舞うことができるように作られています。
屏風を立て、燭台にロウソクを灯して舞われることが多いのも座敷で舞われていた名残ですね。
「上方舞」は、能の動きを基本に歌舞伎や浄瑠璃の要素を加えたもので、
優雅な落ち着いた舞が特徴です。
女性の心理を表現した演目が多く、深い心情を舞で表現しています。
江戸前の舞踊とは全く違った味わいがあることに気付かれることと思います。
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掛合という三味線音楽のコラボレーション
三味線音楽No.7
昨年の中村勘三郎丈の訃報は日本中の人に悲しみを与えましたね。
元々、中村屋は、江戸時代に芝居小屋の興行主でした。
面白い演目を庶民に提供していたのですが、そのサービス精神から、
今度は自分たちが舞台で演じようということになったのです。
人々を楽しませようという中村屋の心をまさに体現していたのが、
中村勘三郎丈だったと思います。
舞台で何をやっても華があり、踊りの名手でもありましたね。
江戸時代の文化文政の頃、同じ舞台で異なる種目の三味線音楽を演奏する「掛合」の形式が生まれました。
文化が熟成し、新奇なものや華やかなものが求められていた時代でしたので、
掛合の演出は大変効果的でした。
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特に早変わりで踊る変化舞踊(へんげぶよう )が流行してからは、
長唄と浄瑠璃の掛合が盛んになりました。
長唄と常磐津節との掛合のとして、「瓢箪鯰」「奴道成寺」
長唄と清元節の掛合として、「座頭」「舌出し三番叟」
長唄と竹本の掛け合いとして「素襖落」
三味線演奏者は、何挺何枚(なんちょうなんまい)
三味線音楽No.6
江戸時代に歌舞伎所作事の地の音楽としての長唄は、その後の舞台上の一つの演奏形式を確立しました。
現代の日本舞踊の舞台形式も同じです。
長唄は舞台正面後方の二段の雛壇の上段で演奏されます。三味線は暗譜で演奏し、歌い手は見台に譜面を乗せて前に置いています。
三味線は「何挺(ちょう)」と数え、歌い手は「何枚」と数え、
「五挺五枚」とか「七挺七枚」というふうに人数をあらわします。
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バレエやオペラなどの洋楽の演奏家が舞台前面下の、
穴のようなオーケストラボックスで演奏されるのとは対照的で、
興味深いです。
さらに舞台にはお囃子が加わり、
舞台の三味線の一段下で演奏する出囃子と舞台の下手(客席から見て左)の陰の黒御簾の中で演奏する陰囃子とがあり、
「下座音楽」とも言われています。