和のおもしろ文化遊覧
Oct 28, 2013

江戸時代、三味線が流行

三味線音楽No.4

 

江戸時代、新参楽器の三味線はあっという間に庶民の心をとらえて、様々な種類に発展していきました。

 

それは歌詞の内容や節回しなど、その歌い方や語り方に差異が生じていっただけではなく、

三味線という楽器そのものにも細かい工夫が凝らされていきました。

 

つまり、音楽の種類の多様化とともに、その音色にも変化を求めて、

その曲種にふさわしい微妙な味わいを出していきました。

これは洋楽の楽器とは全く違うところです。

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同じ楽器でどの種目も演奏される洋楽器とは異なり、

三味線は楽器の大きさも棹の太さも、皮の張り具合、糸の太さ、駒の形、撥の大きさや厚さも

みんなそれぞれの種目で違うため、音色もすべて微妙に異なります。

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日本人の聴覚がいかに素晴らしいか、それが際立ちます。

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写真 2012-10-20 6 36 08

 

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一般的に三味線は、棹の太さによって、「太棹」「中棹」「細棹」の三種に区分します。

 

「細棹」は、長唄、江戸の端唄や小唄、河東節、荻江節などに用います。

「中棹」は、上方舞の伴奏としての地歌や常磐津節、清元節などに用います。

「太棹」は、義太夫節の三味線で、お腹にデンデンと響く、太くて力強い音色を奏でます。

 

京舞の地として祇園の綺麗どころが演奏する京三味線は、

「細棹」よりも更に細い棹の三味線で、撥も、琵琶法師が使っていたような、小さくて独特のものです。(つづく)

 

 

Oct 28, 2013

琵琶法師がつくった音楽ジャンル

三味線音楽No.3

 

琵琶法師がつくった2つの音楽ジャンル、

1つ目は当時民間に流布していた流行り小唄をつなぎ弾いて歌う「地歌」、

2つ目は「平家物語」などの「平曲」を弾いて語る「浄瑠璃」でしたね。


1つ目の「地歌」は、当時の流行歌を組み合わせて弾き歌いをするものから、

三味線の技巧の発展とともに歌詞に一連の意味あるものをつくるようになり、

「長歌」と呼ばれました。また短い洒落た歌詞を用いた創作曲は「端歌」と呼ばれました。

更に歌と歌との間には「合の手」が挿入され、名人芸的な技巧も発達しました。

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2つ目の「浄瑠璃」は、人形芝居と結びついて「人形浄瑠璃」として興行されるようになりました。

また、浄瑠璃の語り手が独立して「太夫」と呼ばれ、 

江戸、大阪、京都では、それぞれの特色ある浄瑠璃が発達しました。

 

「人形浄瑠璃」だけではなく、歌舞伎芝居と結びついたり、音楽本位の「歌浄瑠璃」になったりしました。

 

 

この「人形浄瑠璃」は、大阪に竹本義太夫が登場して、大作家の近松門左衛門と組んだことで、

「義太夫節」が人形浄瑠璃の代名詞になるまでになりました。

義太夫節は歌舞伎にも取り入れられていきます。

 

また、「歌浄瑠璃」から、一中節、豊後節、この豊後節から常磐津節、清元節などが生まれました。
 

現在舞踊でも有名な常磐津、清元も、ここから誕生したのですね。(つづく)

 

 

 

Oct 27, 2013

琵琶法師は音楽教師だった

三味線音楽No.2

 

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり

沙羅双樹の花の色

盛者必衰(じょうしゃひっすい)の理(ことわり)をあらはす

 驕れる者久しからず、ただ春の夜の夢の如し。

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ご存知、『平家物語』の冒頭ですね。

実は、琵琶法師はこの『平家物語』のような合戦譚や英雄譚だけを語っただけではなく、

日本の音楽の礎を作った人でした。

例えば、牛若丸とその恋人の浄瑠璃姫の物語を三味線で語り、これが非常に人気を博したそうです。

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ここから、語り物のことを「浄瑠璃」と呼ばれるようになったと言われています。

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このように最初に三味線音楽に関わった琵琶法師は、

次の2つの音楽ジャンルをつくったのです。

 

1つ目は、「歌い物」の原型である「地歌」、

つまり当時民間に流布していた流行り小唄をつなぎ弾いて歌うこと、

 

2つ目は、「語り物」の原型である「浄瑠璃」、

つまり「平家物語」などの「平曲」を弾いて語ることです。

 

 
小泉八雲の「怪談」に出てくる「耳なし芳一」は、

この平曲をかたる琵琶法師のお話ですね。 

また、彼らは合戦譚や英雄譚のほかに、
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牛若丸とその恋人の浄瑠璃姫の物語を三味線で語り、

これが非常に人気を博したそうです。
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ここから、「浄瑠璃」と呼ばれるようになったと言われています。

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室町時代に平曲で専門組織である当道座を作るまでに至った盲人音楽家たちは、

江戸時代になると、幕府の保護を受けることになりました。.

 

従来の平曲に加えて、箏や三味線、海外からきた胡弓の演奏も行うようになって、

大名屋敷や商家、庶民の社交場であった遊里や芝居小屋でも、

彼らは演奏したり、教えたりしました。

 

 
箏や三味線の音色は大勢の人の心を捉え、

一般の市井の人々はそうした音楽を楽しんだり、習ったりするようになりました。
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特に三味線は、持ち運びができるということで、
家庭音楽、座敷音楽のほかに、

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演劇や舞踊との結びつきが強くなり、

様々な種類の音楽を生み出すことになっていきます。(つづく)

 

 

Oct 27, 2013

三味線音楽の始まり

三味線音楽No.1

 

今日は庶民の音楽としての三味線音楽の始まりについて、
少しご紹介します。

 
 
平安時代の貴族は雅楽を、鎌倉時代の武士は平家琵琶を、

室町時代の以降の武士はそれに加えて能楽を楽しみ、

庶民は笛や打楽器などを楽しんでいました。
 
室町時代に鉄砲やキリスト教の伝来に次いで、

三味線の祖型になる楽器が大阪の貿易港の境に上陸しました。
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それが、南の琉球(沖縄)の三線(さんしん)という楽器で、

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胴が錦蛇の皮でくるまれた三絃の楽器であったそうです。.

三線の胴体は蛇皮なので、しばらくすると破れてしまいます。

でも、日本には大きな蛇の皮を調達することはできなかったので、

手近な皮を張って工夫した結果、猫や犬の皮を張った現在の三味線が誕生しました。

 

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最初に三味線音楽に関わったのは琵琶法師でした。

やがて、そこから、主として歌曲を旋律的に聞かせる「歌い物」と、

物語を劇的に聞かせることを主眼とした「語り物」という、

 

二つの大きな流れの発展していくことになるのですね。(つづく)

 

琉球の三線

 

 

 

Oct 23, 2013

能の鑑賞法〜No.7

ー能舞台の鑑賞法ー

6世紀以上も生き続けてきた能。シェイクスピアより2世紀も前に世阿弥が作った能が、現代まで生き続けてきた魅力、最も古くて、異国の人をも魅了する秘密、今まで何回かにわたって大まかに述べてきました。

織田信長が、桶狭間で、今川の軍勢に必死の攻撃をかけるのに先立って、

「人間五十年、下天の内にくらぶれば、夢まぼろしのごとくなり。

一度生をうけ、滅せぬ者のあるべきや」と、

『敦盛』を舞うシーンを映画やドラマで見かけます。

戦国の時代、生と死はいつも隣り合わせにあって、武将たちは心の安寧を禅宗に求めたように、能舞台の世界に入り込むことによって、様々な苦悩を忘れ、現実から逃避することができたのでしょう。

そんな原点を振り返りながら、なぜ能はこれほど長い歴史を保ち続けてきたのか、再度、その能楽の魅力を生の舞台を通じて考えてみるのもいいですね。

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Oct 23, 2013

面(オモテ)こそ能の表舞台〜No.6

ー面(オモテ)こそ能の表舞台ー

能楽師が鏡の間で面をかける瞬間、自分自身を日常の世界から切り放し、面の中に没入させる、いわば違う次元への変身の一瞬です。人は、なぜ仮面に郷愁の思いを感じるのでしょうか。

世界には様々な仮面があります。

紀元前14世紀のツタンカーメンは、黄金の仮面。
紀元前6世紀のギリシャ劇の仮面は、大型の頭からかぶる拡声装置つきのもの。
中国から渡ってきた伎楽面、舞楽面は、大陸で生まれた芸能の雄大さを有した仮面。

また、未開の民族は仮面に霊の憑りうつりを信じて、仮面そのものが悪魔や災害を祓う力を持っていると考えていました。

現代でも、お祭りや縁日で、月光仮面から仮面ライダーまで子どもたちに仮面が好まれるのも、古代人の意識が現代人の血の中に流れているのではないかと思います。

ところが、世界の仮面の中で、能面は特異な地位を占めています。

 

Oct 23, 2013

能のリズム〜No.5

ー能の謡のリズムー

パリで能楽を上演したとき、若い音楽家たちが「やられた」と叫んだそうです。

五線譜に束縛されない、指揮者によって統率されることもない、それぞれの内的リズムのぶつけ合いによる新しい音楽を作りたいと、彼らは考えていたのです。

パリの音楽家たちが考えていたことを、能楽は何百年も前からやってきたのです。
能の謡は、西洋音楽や歌舞伎、他の邦楽とは違う独特のものです。

能の謡と囃子は八拍子という八つのリズムを基本にします。

八拍子のそれぞれの間は、等間隔ではなく、一拍一拍が独創的な間で、謡とリズムがそれぞれ自己主張しつつ、変化し、しかも調和を乱さないのだそうです。繰り返しはしない、いつもが真剣勝負というところに能の面白さと芸術性があります。能の発声は、腹から出る力強い声で、舌や喉ぼとけを押し下げるような特殊な発声法を用い、これは他の邦楽や西洋音楽にもないものです。女性の役でも、歌舞伎の女形とは違い、男性的な声で最高の女性美を表現しようとします。

 

Oct 23, 2013

舞台を演ずる人々〜No.4

ー舞台を演ずる人々ー

今日は能舞台を演ずる人々について見てみたいと思います。

世阿弥は、能修行については厳しいことを述べています。
「7歳を以って初めとす」
「能は若年より老後まで習い徹るべし」
「命には終わりあり。能には果てあるべからず」

老後に最高の芸を目標とするカリキュラムを、世阿弥はつくったのです。

能の役者さんは、六十代、七十代が円熟期とされています。長老の演技は、どんな若さの花も及ばないみずみずさにあふれているとされています。これは、心の演技を極めていった、何百年もの努力の結果なのですね。
現代のような寿命の長くなった時代に生きる私たちにとっては、大きな励みとなりますね。

 

Oct 23, 2013

情念の純化〜「夢幻能」〜No.3

ー情念の純化「夢幻能」ー

観阿弥の子世阿弥は、「夢幻能」という演劇手法を生み出しました。

死後の世界の時点から、生きていた時間のすべて、情念そのものを凝縮して描くタイプの能です。
リアリズム演劇に行き詰った西欧の演劇が、能を前衛芸術として高く評価したのは、そこに大きな理由があるようです。

能舞台では、時間は自由に停止し、逆行し、亡霊や神、鬼、天狗などの異次元の存在まで自由に舞台に登場します。

「夢幻能」では何を描くのかと言うと、美しく、純粋に情念そのものを描くことです。

能の世界では、それを何百年もかけて追求してきたのですね。

世阿弥が独り寝の妻の悲しみと死を描いた能「砧 (きぬた) 」。

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Oct 23, 2013

「能」No.2 型〜最小限の動きの先にあるものは〜

型ー最小限の動きの先にあるものはー

能が時代や国境を越えて愛されてきた理由の一つに、

演劇としての能の表現が、再現的な写実の描写ではなく、

人間の情念を舞台に純粋に結晶しようと、

詩劇の形式をとったことが挙げられることを前回申し上げました。

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ちょうど、竜安寺の石庭を鑑賞するのと同じような心境だと考えられます。

草や木もない石だけの庭を無心に眺める、そこにある石と心で対話をする、そんな心境です。

禅の「無」の境地が能にも色濃く表れているのです。

 
能の演技は、すべて型という様式に律せられ、人間の最小限の動きを煮詰めた極限にあると言われます。

能では、手足の動きが心の動きを表現するまでに昇華させてしまいました。


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写実的な、例えば涙を流す、はるかなる空を仰ぐとか、このような表現すら様式化され、抽象的、象徴的な型と融け合っています。

これらはすべて何百年もかけて磨き上げたものです。

 
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例えば、「隅田川」の狂女が、さらわれた我が子を尋ねる果てしない旅の心を、わずか数歩を出す演技で表現します。

この数歩にははるか千里のはるけさの思いが凝縮されています。

時間と空間を自由自在に使いこなしています。

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人間の感情を最も豊かに表現するのは顔ですが、動かない能面で覆ってしまいました。

指先の演技も極限まで制約して、肩と肘と手首だけが、常に円と直線の動きをします。

能では、足運びの流れるリズム感が大切とされています。白足袋の動きの美しさを最高に活かすのが鏡板です。

この音響効果抜群の文字通り檜舞台の上で響かせるのが足拍子です。

この制約された動きの中で、手足こそが心の表現をするのです。

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また、能の舞台は老い松の絵があるだけですが、演目によっては、必要最小限度の道具(作り物)が使われ、

それも象徴的な意味を表します。

異次元空間とも自由に行き交います。

 

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例えば、「船弁慶」の船は幼稚園の工作のように見えますが、

ひとたびこの船が現れると、舞台はたちまち海上となり、

平家の亡霊が嵐を起こして源義経主従の船に襲いかかるのです。

 

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「安達原(黒塚)」では荒野に独り住む老女が回す糸車は、むなしくて長い彼女の人生であり、苦しみの世界に生き死にする人間の輪廻の姿を表します。

その背後にある寝室の作り物は、人間のおかした罪の集積を表現します。

 
写実的な描写ではなく、人間の情念を舞台に凝縮させた型を通して心を見ようとするとき、

能は無限の思いを語りかけてくるのです。

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室町時代の武将たちが心の安寧を禅宗に求めたように、

能舞台の世界に入り込むことによって、様々な苦悩を忘れ、現実から逃避することができたのだと思います。

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私たちが虚心になって舞台に対するとき、思いもよらない衝撃や感動が心の中から湧いてくるでしょう。

世界中で能が受け入れられるのは、型を超えたところに心と心が交流しあえるものがあるからなのですね。

 
少しはご理解いただけましたか。

今日もお付き合いいただきまして、ありがとうございました。

素晴らしい一日をお過ごしくださいね。(つづく)

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竜安寺石庭

 

 

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