琵琶法師は音楽教師だった

三味線音楽No.2

 

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり

沙羅双樹の花の色

盛者必衰(じょうしゃひっすい)の理(ことわり)をあらはす

 驕れる者久しからず、ただ春の夜の夢の如し。

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ご存知、『平家物語』の冒頭ですね。

実は、琵琶法師はこの『平家物語』のような合戦譚や英雄譚だけを語っただけではなく、

日本の音楽の礎を作った人でした。

例えば、牛若丸とその恋人の浄瑠璃姫の物語を三味線で語り、これが非常に人気を博したそうです。

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ここから、語り物のことを「浄瑠璃」と呼ばれるようになったと言われています。

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このように最初に三味線音楽に関わった琵琶法師は、

次の2つの音楽ジャンルをつくったのです。

 

1つ目は、「歌い物」の原型である「地歌」、

つまり当時民間に流布していた流行り小唄をつなぎ弾いて歌うこと、

 

2つ目は、「語り物」の原型である「浄瑠璃」、

つまり「平家物語」などの「平曲」を弾いて語ることです。

 

 
小泉八雲の「怪談」に出てくる「耳なし芳一」は、

この平曲をかたる琵琶法師のお話ですね。 

また、彼らは合戦譚や英雄譚のほかに、
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牛若丸とその恋人の浄瑠璃姫の物語を三味線で語り、

これが非常に人気を博したそうです。
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ここから、「浄瑠璃」と呼ばれるようになったと言われています。

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室町時代に平曲で専門組織である当道座を作るまでに至った盲人音楽家たちは、

江戸時代になると、幕府の保護を受けることになりました。.

 

従来の平曲に加えて、箏や三味線、海外からきた胡弓の演奏も行うようになって、

大名屋敷や商家、庶民の社交場であった遊里や芝居小屋でも、

彼らは演奏したり、教えたりしました。

 

 
箏や三味線の音色は大勢の人の心を捉え、

一般の市井の人々はそうした音楽を楽しんだり、習ったりするようになりました。
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特に三味線は、持ち運びができるということで、
家庭音楽、座敷音楽のほかに、

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演劇や舞踊との結びつきが強くなり、

様々な種類の音楽を生み出すことになっていきます。(つづく)