和のおもしろ文化遊覧
Sep 2, 2013

『曾根崎心中』〜大阪の観客が見たものは〜

人形浄瑠璃 文楽『曾根崎心中』

元禄16年(1703)4月。大坂は天神の森で情死がありました。

男は内本町の醤油屋の手代で徳兵衛。女は北の新地の遊女でお初。

それぞれ互いに結婚話が持ち込まれ、加えて徳兵衛には冤罪も着せられ、

それゆえの心中でした。

大坂ではこの心中事件が人の口の端にのぼるほど、噂は広がっていたのです。

近松門左衛門は、この大事件をそのまま同名で浄瑠璃にしました。

心中事件から15日後、大坂道頓堀の竹本座で、竹本義太夫の語りで上演されました。当時、現代劇なんて、見たことがない時代。
空前の大当たりとなりました。
以後、この「世話物」というシリーズが続々と生まれていきます。
この「世話物」の主人公は、金も力もない普通の庶民の男たち。
大坂の人々は、一体どんな思いでこの『曽根崎心中』を観たのでしょうか。

女性、殊に遊女は男性を救うという観音信仰がありました。

出だしの部分は「観音廻り」。お初が大坂33か所の札所廻りをする道行から始まります。観音様がお初を救い、お初が徳兵衛を救うという暗示が込められています。

次に、二人が死に至るまでのいきさつや事実が語られます。
最後に、再び二人が死への旅路の道行をたどるという構成です。

観客はこの心中事件のあらましを知っています。食い入るように見たことでしょう。

舞台にまず、お初が現れ、観客は観音様の到来を見を見ます。
加えて、お初の人形を通して、生身の人間の霊魂(憑坐・よりまし)を見るのです。(現在、この部分は上演されていないそうです。)

次に、二人の死を決意するまでの事実や心の動きを知ります。
観客は、二人の人生を見て、嘆き、悲しみに浸り、カタルシスをも体験します。

最後に、二人が死へと旅立つ姿を、生々しく再現されるのを見ます。

観客はこのいきさつの一部始終を見て、中には数珠を手に持って成仏を祈った人もあるほどでした。

この作品は一つの宗教儀礼としての貴重な作品とも言われているのです・・。

是非、機会があれば、ご覧になってみてください。

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Aug 18, 2013

どうして「文楽」と呼ばれるの?

皆様、おはようございます。

「人形浄瑠璃」のことを現在では「文楽」と呼んでいますよね。

これは、どうしてかと言いますと、
18世紀に一度歌舞伎の人気に押されて衰退しつつあった人形浄瑠璃が、19世紀に植村文楽軒という人によって大阪で復興したことから、現在では人形浄瑠璃のことを「文楽」と言うようになったそうです。

写真 2013-06-14 12 30 31 (HDR)

文楽は、大坂で生まれ育った大衆芸能です。庶民の日々の暮らしの中から生まれた喜怒哀楽を、太夫と三味線と人形が三位一体になって演じる伝統芸能です。

「情を語り、情を弾き、情を動かして見せる」

そこから人間を生き生きと描写しようという芸です。

文楽で出てくる言葉は大阪弁ですね。
浄瑠璃の言葉が大阪弁であり、文楽は浄瑠璃から作品のほとんどを取り入れているからです。

人形遣いの吉田箕助さんが言っています。

人形が生きているようだとか、人間のように動くとか言われていますが、人形も初期は人間に近づくように写実性を追求していました。

でも、もう人形の開き直りですよ。「うしろぶり」などがその例です。

人形の限界を人形の可能性へと転換させたのです。そして、人形にしかできない独特の美を完成させたのです、と。

箕助さんがニューヨーク公演のときに、著名な演出家やモダンバレエの演出家がびっくり仰天したそうです。誰があんな振り(「うしろぶり」のこと)を考案したのかと。
それは昔から伝わっているものでしてと、答えるしかなかったそうです。
修練と伝統に裏付けされたものなのですね。

ところで、人形とは、生と死を連想させる憑坐(よりまし)として、人間の身体の身代わりとして神霊が宿るという側面もありました。そんな使われ方もしてきたのですね。

三百余年の芸と知恵が凝縮された文楽。人形でしか表せない芸と人間描写。

次回は、当時の人がホットなニュースとして舞台で見た、近松門左衛門作『曽根崎心中』をご一緒に味わってみませんか。(つづく)

今日の日曜日、佳き時間をお過ごしくださいね。

 

Aug 11, 2013

人形浄瑠璃(文楽)

盲人音楽家(琵琶法師)がつくった2つの音楽ジャンル、1つ目は当時民間に流布していた流行り小唄をつなぎ弾いて歌う「地歌」、2つ目は「平家物語」などの「平曲」を弾いて語る「浄瑠璃」でしたね。1つ目の「地歌」は、当時の流行歌を組み合わせて弾き歌いをするものから、三味線の技巧の発展とともに歌詞に一連の意味あるものをつくるようになり、「長歌」と呼ばれました。また短い洒落た歌詞を用いた創作曲は「端歌」と呼ばれました。
更に歌と歌との間には「合の手」が挿入され、名人芸的な技巧も発達しました。
2つ目の「浄瑠璃」は、人形芝居と結びついて「人形浄瑠璃」として興行されるようになりました。また、浄瑠璃の語り手が独立して「太夫」と呼ばれ、
江戸、大阪、京都では、それぞれの特色ある浄瑠璃が発達しました。「人形浄瑠璃」だけではなく、歌舞伎芝居と結びついたり、音楽本位の「歌浄瑠璃」になったりしました。
この「人形浄瑠璃」は、大阪に竹本義太夫が登場して、大作家の近松門左衛門と組んだことで、「義太夫節」が人形浄瑠璃の代名詞になるまでになりました。義太夫は歌舞伎舞伎にも取り入れられていきます。
また、「歌浄瑠璃」から、一中節、豊後節、この豊後節から常磐津節、清元節などが生まれました。現在舞踊でも有名な常磐津、清元も、ここから誕生したのですね。(つづく)

写真 2008-10-13 11 43 59 人形浄瑠璃「菅原伝授手習鑑 寺子屋の段」松王丸

 

Aug 2, 2013

一服の清涼剤〜舞踊『鷺娘』

白鷺に魅せられて・・・歌舞伎舞踊『鷺娘』

 

ダイサギはシラサギ(白鷺)の仲間です。

この白い姿は葦原の風景の中で一際輝きを放っていて、人はこの姿に魅了されてしまいます。

写真 2011-06-26 13 00 07

かつて、江戸時代の浮世絵師鈴木春信が傘をさした白無垢姿の美人画を描きました。

そこから生まれたのが歌舞伎舞踊『鷺娘』です。

私も大好きな演目で、舞台で踊ったことがあります。

白鷺が人間の男性に恋をするのですが、それは悲しい結末となって終わります。

バレエ「瀕死の白鳥」のように、最後は地獄の責めにあい、息も絶え絶えに死んで

ゆくのです。



人間は、白鷺の美しさに憧れを抱いているがゆえに、

叶わぬ恋心をこんなストーリーに想いを込めたのでしょうか。

白鷺も人のそばにいて、ともに生きているのが好きだったのだろうと思うのです。

里山の風景って、人と水鳥が一緒にいる情景がとっても似合いますよね。

鷺娘1           一人しょんぼり佇む白鷺の化身(国立小劇場にて)
最後に苦しんで苦しんで死んでいく白鷺は、鳥の分際で人間に恋をしてしまった、

その罰を受けて地獄の苦しみを味わうというものなのですが、

本当は、彼らが大好きな人間が彼らが住むところを奪ってしまって、

人間と一緒に暮らせなくなってしまった悲しさを訴えているのだと思ったのです。

 

鷺娘2          地獄の責めにあう白鷺の化身(国立小劇場にて)

私たちはあなた方をこんなに愛しているのに、

どうして私たちを追い払い、命までも奪うのですか・・・

そんな叫びが聞こえてくるようでした。

私も、舞台の上で、最後の苦しみの中で、鷺が羽をバタバタさせながら、

もがき苦しみ息絶えていくところを演じました。

ものすごく体力も要るのですが、

鳥たちの苦しみや叫びが聞こえてくるように思ったのです。

どうして人に恋をしてはいけないの?

ねえ、いいでしょう?

鷺1

渡良瀬遊水地に行くと、晩夏から初秋にかけて約500羽を超える白鷺がやってきて、
ねぐらをつくって、壮観な光景を見せてくれるそうです。

水鳥や野鳥にとっては、魚や昆虫、植物など豊かな自然環境が必要です。
そこは、人間にとっても、鳥や自然と会話する素晴らしいオアシスです。

そう、人にとってのオアシスでもあるのです。

自然や鳥たちとの調和と共存。

私たちは彼らとともに生きていることを忘れないで生きていきたいですね。

飛び立つ白鳥の群れ 2

 

 

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Feb 4, 2012

十二代目市川團十郎さんのこと

昨日は、十二代目市川團十郎さんの本葬の模様をテレビのニュースでやっていました。

ご覧になられましたか。

 

團十郎さんと言えば、市川家のお家芸、歌舞伎十八番の内『暫』がとても印象的でした。

『暫』の鎌倉権五郎は、荒事の主人公で、超人的な活躍をするスーパーマンです。

江戸元禄時代のおおらかさが舞台いっぱいに広がります。

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2012-08-21 15.47.24

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本舞台の上で悪人方が善人方をやっつけようとしているまさにその瞬間、

主人公の権五郎(ごんごろう)は花道から「しばらく、しばらく」と言って、正義の味方として馳せ参じるのです。

 
市川家の三升の紋が大きく入った座布団のような素袍(すおう)を着て、頭の格好といい、隈取りといい、

江戸時代のスーパーマンとはこういったものかと感心するような出で立ちです。

 

團十郎さんは、最後に「色即是空」の文字が入った言葉を残していたのをテレビで見ました。

空の境地になると、自我欲望、小さい肉体の自分が本当の自分ではないということ分かり、本源の自分である、仏性・仏さまが現れてくるのだと、お釈迦様が言っています。

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常に己の心を磨き、芸を磨き高め上げていた團十郎さん、

心から感謝申し上げたいと思います。
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羽子板勧進帳1

 

 

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