掛合という三味線音楽のコラボレーション

三味線音楽No.7

 

昨年の中村勘三郎丈の訃報は日本中の人に悲しみを与えましたね。

元々、中村屋は、江戸時代に芝居小屋の興行主でした。

面白い演目を庶民に提供していたのですが、そのサービス精神から、

今度は自分たちが舞台で演じようということになったのです。

人々を楽しませようという中村屋の心をまさに体現していたのが、

中村勘三郎丈だったと思います。

舞台で何をやっても華があり、踊りの名手でもありましたね。

心から感謝を捧げたいと思います。

.

 

写真 2013-04-13 0 29 03

 
.
 

江戸時代の文化文政の頃、同じ舞台で異なる種目の三味線音楽を演奏する「掛合」の形式が生まれました。

文化が熟成し、新奇なものや華やかなものが求められていた時代でしたので、

掛合の演出は大変効果的でした。

.

 

 

特に早変わりで踊る変化舞踊(へんげぶよう )が流行してからは、

長唄と浄瑠璃の掛合が盛んになりました。

長唄と常磐津節との掛合のとして、「瓢箪鯰」「奴道成寺」

長唄と清元節の掛合として、「座頭」「舌出し三番叟」

長唄と竹本の掛け合いとして「素襖落」

長唄と常磐津節と竹本の三方掛合の「紅葉狩」など、

舞台を華やかに演出しました。(つづく)
.
.

 

三味線 のコピー