三味線音楽No.7
昨年の中村勘三郎丈の訃報は日本中の人に悲しみを与えましたね。
元々、中村屋は、江戸時代に芝居小屋の興行主でした。
面白い演目を庶民に提供していたのですが、そのサービス精神から、
今度は自分たちが舞台で演じようということになったのです。
人々を楽しませようという中村屋の心をまさに体現していたのが、
中村勘三郎丈だったと思います。
舞台で何をやっても華があり、踊りの名手でもありましたね。
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江戸時代の文化文政の頃、同じ舞台で異なる種目の三味線音楽を演奏する「掛合」の形式が生まれました。
文化が熟成し、新奇なものや華やかなものが求められていた時代でしたので、
掛合の演出は大変効果的でした。
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特に早変わりで踊る変化舞踊(へんげぶよう )が流行してからは、
長唄と浄瑠璃の掛合が盛んになりました。
長唄と常磐津節との掛合のとして、「瓢箪鯰」「奴道成寺」
長唄と清元節の掛合として、「座頭」「舌出し三番叟」
長唄と竹本の掛け合いとして「素襖落」