日本人の清潔好きは神話から始まった
おはようございます。
東京のほうは先日の雪がまだ残っていて、まだまだ足元に気を付けて歩かなければいけません。
雪国の方から見たら、ごく普通のことをと、思われるでしょうね。
そちらのほうはいかがですか。
1月にご紹介しました、言霊信仰に関連することをもう少し今日は書いてみたいと思っています。
日本では古代から言葉には不思議な霊威が宿ると信じられてきました。
「言霊信仰」と言われるものですね。
「あなたとご家族の皆様が幸せでありますように」
言葉を発したその瞬間から言葉が発動して、言葉通りのことが起こると信じられてきました。
神祭で捧げられる祝詞(のりと)の根本に、もともとこの「言霊信仰」があったのですね。
この記事はこちらです。
神話時代の言葉を今に残すものが「大祓詞(おおはらいのことば)」でしたね。
この祝詞によって、祓戸四柱(はらえどのよはしら)の神が人間の罪を祓ってくれるのだということが、この中に記されているからです。
この記事はこちらです。→ http://blog.derivejapan.com/mythology/norito-2/
穢れを祓い、清めるということは、実は、日本人は日常の中でもいつも行っていることです。
例えば、お風呂に入ること、衣類を毎日着替えること、洗濯をすることです。
これを行うと、すっきり、しゃっきりした気分になれますね。
それは身や心が清められるからなのですね。
こういうことが実は神道で行う禊・祓え(みそぎ・はらえ)と同じ考え方からきているのです。
神道では、汗や埃がついて汚れた衣服には、罪や穢れが付着していると考えます。
人々を不幸にし、そのままにしておくと死にまで至らしめる、その衣類に付着している罪や穢れを、
洗い流し、心身を清めるのが禊(みそぎ)というものです。
これは、もともと、イザナギが、亡くなった妻のいる黄泉の国から戻ってきたときに、海水に入って身体についた穢れを落としたという神話に由来しています。
日本人の清潔好きは、イザナギの神話から、そして神道からきているものなのですね。
次回は「大祓(おおはらい)」がいつ、どのように行われているかについて、お話しますね。
今日もお読みくださいまして、ありがとうございます。
心清らかに、今週もスタートなさいますように。
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小冊子をあなたのもとへ♡
おはようございます。
フィギュアスケートの羽生結弦選手の活躍に注目です。なんと嬉しいことでしょう。
もちろん、どの選手にもここまでの不断の努力があったのですね。
晴れの舞台で、精一杯、
100パーセント以上、120パーセントも200パーセントも力を発揮していただきたいですね。
みんな、心から応援していますよ。
羽生選手はまだ19歳。
19歳にして、
「日本人として、ショートプログラムの結果を、まず誇らしく思いたいなと思います。」
と言えることが素晴らしいですね。
精神的にも、自分を律し、対外的なプレッシャーもたくさん受ける中で頑張る姿には、
大人も学ぶところがいっぱいありますね。
神は自分が乗り越えられることしか与えない、といわれます。
ということは、
人の器は計り知れない可能性を秘めているということですね。
彼だけが特別ではない。
表現の仕方はみな違っても、みんなその可能性を秘めているのです。
「日本人として」
「誇りをもって」
普段はなかなか意識できないことですが、
外国に行ったときや外国人と接する時に感じることですよね。
私の小冊子が出来上がりました!
印刷屋さんから、やっと昨夜自宅に到着しました。
これでやっと皆様のところにお送りできます!
心を込めて作りました。
来週には発送しますね。
”和のたしな美塾”という名称の講座を開いて、
そこでもっともっと皆さんとご一緒に学んでいきたいと思っています。
「日本人として」
もう忘れかけていた、こころをもう一度、思い起こしてみましょう。
分かち合い、譲り合い、励まし合い、
互いに譲り合って、心豊かに、
みんなが愉快に暮らす。
そんな生活をしていた江戸から
今を生きる私たちの心が
慈雨で潤されていくようになればいいなと、
心から願っています。
今日もお読みくださってありがとうございます。
都心部はまたもや雪。
気を付けてお出掛けくださいね。
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がんばれ、ニッポン!
おはようございます。
オリンピック選手の活躍に日々寝不足の方も大勢いらっしゃることでしょう。
今までの努力が報われるように、晴れの舞台で100パーセント力を発揮してくれることを祈っています。
「がんばれ、ニッポン!」
ところで、
いつから「日本(にっぽん)」と呼ばれるようになったのでしょうか。
『古事記』『日本書紀』には、我が国のことを
「大八州(おおやしま)」
「豊葦原瑞穂国(とよあしはらのみずほのくに)」
「葦原中国(あしはらのなかつくに)」
などと呼んでいたと書かれています。
その後、大和朝廷の勢力が広まって、政治権力の中心の「やまと」が
そのまま総称として使われるようになりました。
一方、中国は我が国のことを「倭(わ)」と呼んでいました。
『大宝律令』(701年)に初めて「日本」という国号が定められました。
その呼び名は、初めは「やまと」とか「ひのもと」でした。
そのうちに漢字の知識が広まって、奈良時代以後は「にほむ」と呼ばれるようになりました。
更に室町時代になって「にほん」とか「にっぽん」という読み方に変わってきました。
昭和の初期以来「にっぽん」という読み方に統一しようという運動がありました。
昭和9年(1934)に文部省の臨時国語調査会で「にっぽん」を正式名称とする決議がなされましたが、国家的制定にまでならず、現在に至っています。
ですから、今は「にっぽん」「にほん」、どちらも使っているのですね。
今日もお読みくださいまして、ありがとうございます。
暖かくして、お過ごしくださいね。
素敵な一日をお過ごしくださいませ。
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大地を癒すヒーラーの岡本好美さん
ハワイアンヒーラーの岡本好美さんをご紹介します。
今日も素晴らしいセッションを受けさせていただきました。
好美さんのセッションを受けてちょうど一年がたちました。
私は毎月受けさせていただいてきたのです。
いつもアミノ酸パウダーの栄養満点のドリンクをいただいてセッションに入ります。
終わったころにはおなかもすいて、手作りの美味しいパンケーキをごちそうになります。
身も心もスッキリ、さっぱりとして身軽になって家路に着きます。
今日も素晴らしいメッセージをいただきました。
それは好美さんを通じて、それは天からおりてくるのです。
みなそれぞれこの世に誕生した使命があります。
よりよく自分の持ち味や遂行したいと思っていることができるように、
アドバイスをしていただくのです。
いっぱいエネルギーチャージをして、素敵な明日に向けて、
よし、がんばるぞ〜!
そんなセッションを受けられる私は、幸せ者ですね〜。♡
今日のお月様は綺麗でした。
「うすらひ」〜建国記念日に〜
おはようございます。
今日も“和のたしな美塾”®から
たしな美人「和の雑学」をお届けいたします。♡
うすらひや わずかに咲ける 芹の花 (宝井其角)
東京もまだ路上の脇には先日の雪が残っています。
薄ら寒く、うすうすと氷が張るのを見かけます。
芹の花を見ることはできませんが、
嬉しいことに、沈丁花が雪の中でも蕾をのぞかせ始めました。
「うすらひ」は「薄ら氷」のことで、春先の薄氷のことです。
「はくひょう」とか「うすらい」といいます。
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写真:埼玉県日高市の 高麗神社にて
昭和41年に国民の祝日となった「建国記念日」の昨日。
いかがお過ごしでしたか。
この日は、「紀元節」といわれ、
「梅花節」「梅佳節」ともいわれてきました。
「紀元節」は、「四方拝」「天長節」「明治節」とともに、
四大節として祝されました。
神武天皇が即位した日を太陽暦に換算した日です。
「日本書紀」に書かれています。
戦後さまざまな論議を呼んだのですが、昭和41年に国民の祝日に復活しました。
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写真:さいたま市武蔵一宮氷川神社にて
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「日本」という国号は、『大宝律令』(701年)に正式な国号として記録されてたようです。
この国号については、また次回にお話します。
本日もお読みくださいまして、ありがとうございました。
暖かくしてお過ごしくださいませ。
写真:埼玉県川越市氷川神社にて
春雪
おはようございます。
袖に来て 遊び消ゆるや 春の雪 (高浜虚子)
日本海側と違って、太平洋側では冬は晴れの日が多いため、
むしろ雪は春先になって降ることが多いといわれています。
今回の雪は、約半世紀ぶりの積雪だったようです。
私も友人の快いもてなしを受けて、無事に家までたどり着くことができました。
励ましのお言葉をありがとうございました。
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この春先の雪を
「春雪」
「春吹雪」
というのですね。
気温が高くなっているために淡雪になることが多いのです。
「桜田門外の変」や「二・二六事件」のときの春の雪が有名ですね。
今週も寒さが厳しいと思われます。
暖かくしてお過ごしください。
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江戸のファーストフード「天ぷら」
和のたしな美塾 vol.3
江戸前寿司と同じくファーストフードとして、庶民の間で人気だった天ぷら。
語源はポルトガル語のtempero(調理)とかスペイン語のtemplo(寺院)で作られた料理などからきているといわれています。
上方では、魚のすり身を揚げたものを「天ぷら」といいました。
江戸前の天ぷらは、手間を省いて、串に刺した魚の切り身を揚げ、それには下味がついていて、食べやすくなっていました。
今で言えば、有楽町の駅前や高架下の赤提灯のような感覚で、庶民が軒下や橋のたもとの可動式の屋台で、立って食べる、そんな手軽な食べ物でした。
「天麩羅」という当て字は、劇作家の山東京伝(さんとうきょうでん)が草案したと考えられています。
大坂からやってきた板前が、上方では、まだ江戸にはない魚肉のつけ揚げが評判だから、夜店でやってみてはどうかと勧めたのがきっかけです。
「天麩羅」の「天」はカラリと揚がる、「麩」は小麦粉、「羅」はうっすらと、ということで、薄い衣をつけて、カラッと揚げた食べ物という意味だそうです。
どんな天ぷらだったかというと、穴子、芝海老、こはだ、貝柱するめなどの魚類すべてです。
聞いただけでも、美味しそうですね。
野菜の揚げ物は、天ぷらとは言わず、「揚げ物」と言いました。
「屋台」というと、今では縁日などでしかお目にかかれませんが、江戸は毎日屋台が庶民のダイニングキッチンとして、庶民の食を満たしてくれていたのです。
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江戸前寿司
和のたしな美塾 vol.2
よく、江戸前の寿司というと、江戸湾でとれた魚類を使った寿司というふうに思われるでしょう。
実際には、江戸湾で採れた魚は4割ぐらいだけだったそうです。
江戸風というのは、江戸風に仕上げた、江戸スタイルだということだったのです。
といいますのも、
江戸の料理は、上方から元々はきたものなのです。
京懐石など、すべて上方風の料理を模して作られていたので、高級だったのです。
庶民は手も足も出ません。特別なときだけしか食べれませんでした。
それが江戸後期になると、江戸も経済力をつけ始めて、上方とは違った、江戸独自のものを作ろうじゃないかと、こういうことで、「江戸前」というものが作られていきました。
江戸前の寿司の特徴は、
片手でポイと口にほおばれる一口サイズで、しかも味つきでした。
屋台が主流でしたから、みんな立って食べます。
風呂敷の結び目を押さえていないと首が絞まってしまう商人さんには、とても人気だったそうです。
江戸庶民が考えた「江戸前寿司」。
屋台で食べるファーストフード感覚の食べ物だったのです。
花のお江戸の底力
和のたしな美塾 vol.1
「江戸っ子」とよくいいますが、生粋の江戸っ子は、なんと人口の5パーセント足らず。
みんな地方からきた人々。
彼らのごった煮のようなエネルギーと情熱が江戸文化を作り上げました。
「食い気」は人の命。
食文化を創り上げたのも彼らのエネルギーです。
「色気」も大事だけれど、「食い気」も大事。
食べ物のことって、すごく興味がありますよね。
さあ、始めましょう。
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女性のつつましさは江戸から学ぶ
おはようございます。
梅が香に のつと日の出る 山路かな (松尾芭蕉)
春浅き 水を渡るや 鷺一つ (河東碧梧桐)
立春が過ぎても、まだまだ寒い日が続く今日この頃。
降雪もあるし、風も強い。
樹木の膚や芽吹きに春の息吹が感じられますね。
江戸の庶民の生活はどこか現代にも似ています。
お見合いよりも恋愛結婚が多かったのです。
女性は家庭にあっては「かかあ」として座し、
商売でも勘やマネージメントに才を発揮していました。
女性は将来を担う子どもを生み育てるというものという意識が社会にあって、主婦は重きをおかれていました。
でも、彼女たちは強いだけではなく「つつましさ」を持っていました。
男性は思慮深く、女性はつつましく、が求められたようです。
講などの寄り合いがあると、女性は男性より先に来ていたとしても、一、二列離れた
上がり框(かまち)に近いところに履き物をぬいだそうです。
女性は男性を立てるという行為でもあったのでしょうし、上がり框(かまち)を大きくまたぐことは、はしたないというたしなみがあったのですね。
男性は男性としての役割、女性は女性としても役割があります。
そこをきちっと押さえていたのが江戸の人々だったのです。
江戸って、もしかしたら、ある意味で今よりも進んでいたかもしれませんね。
今日もお読みくださいまして、ありがとうございます。
佳き一日をお過ごしくださいませ。
江戸の女性の生き方についての
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