「袖すり合うも他生の縁」とは
おはようございます。
今日も“和のたしな美塾”®から
たしな美人「和の雑学」をお届けいたします。♡
「袖振り合うも他生(多生)の縁」
「他生(多生)の縁」とは、
何度も生まれ変わるという輪廻転生(りんねてんしょう)の中での縁という意味です。
「他生(多生)」は「多少」とは書きませんね。
知らない人とたまたま道で袖が触れ合うようなちょっとしたことも、
それは前世からの深い因縁があってのことだと、昔の人は考えました。
昔は着物を着ていましたから、
往来などで人とすれ違い際に袖が触れ合うというのも、ごく自然のことでした。
「袖」にまつわる言葉もたくさんありますね。それはまた後日に・・。
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どんな小さなこと、些細なこと、人との関わり、会話、交渉事、いやなこと、
すべて偶然に起こることではなくて、前世からの関わり、因縁によって起こることと考えていました。
今目の前にアブがいて、ブンブンいってうるさいなあと思っても、
これは前世では自分の親父だったかもしれない、自分も来世ではアブになるかもしれないと、
本気で江戸の人は思っていたそうです。
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Eriko Watanobeさんとの出会い。エルダーフラワーソーダで乾杯。
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現代では、ラッシュ時に袖が触れ合うどころか、ぎゅうぎゅう押し合いへし合いの中で、
そんな悠長な思いにひたってはいられないかもしれません。
でも、日常の中で偶然だと思っている出会いはたくさんありますね。
せっかくの出会いなのだから、あの時のランチ会で出会った人、
今日は気が進まないけれど、どうしても会わなければいけない人、
そういう束の間の出会いやお付き合いでも大切にしようということですね。
その場限りでも自分がこの人を大事にしよう、人間関係を円滑にしようと思ったら、
和やかな雰囲気になりますものね。
ハッピーな時間を過ごすことができます。
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Eriko Watanobeさんお勧めのハーブサラダ。
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昨日お会いした Eriko Watanobeさん。
ベトナムのホーチミン市在住の方です。
Facebookがなければ出会うことはなかっただろうと思う方のお一人です。
着物について精通されていて、着物の縫製に長くかかわってこられました。
「運針縫い」手縫いの大切さをおっしゃっておられます。
今はどんなにミシンや機械での縫製が可能になったとはいえ、
人の手の温もりで縫われた着物にはかないません。
それは着る人の肌が知っているのです。
素敵な出会いに心から感謝しています。
“和のたしな美塾” 同様、
人のこころを大切にしてお仕事をされていることにとても共感を覚えます。
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樋口一葉の『やみ夜』(1894)にはこんな引用があります。
「袖すり合うも他生の縁と聞くを、かりそめながら十日ごしも見馴れては他処の人とは思はれぬ」
赤の他人と思っていたけれど、いつの間にかその人に親しみがわいてきた。
この人とは実は深い縁があったのだろう。
「袖振り合うも他生(多生)の縁」とはよく言ったものだということでしょうか。
人との出会いの神秘。
心からありがとうございます。
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銀座イタリアン GIAG GIOLOにて。
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本日も最後までお読みいただきまして、ありがとうございます。
今日も素晴らしい一日をスタートしましたね。
「おじゃんになる」も江戸生まれ
おはようございます。
昨日は「オシャカになる」の意外な語源を見てみましたが、
今日も江戸で生まれた言葉を見てみましょう。
「おじゃんになる」
聞いたことがありますか。
火事と喧嘩は江戸の華。
江戸は坂東の空っ風にあおられて、何度も火事になったところです。
火の手が上がると、真っ先にかけつけるのは火消したち。
すぐさまその火が燃えている建物の屋根に上って、纏(まとい)を立てます。
その炎が類焼しないように、火消しの男たちは命をかけて火を食い止めます。
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殊に纏い持ちは組一番の美形男子が選ばれます。
火消しの頭もこの纏持ちも、女性の憧れの的でした。
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町の自身番には火の見櫓(やぐら)があって、火事を発見すると半鐘を鳴らして、人々に知らせます。
その火の危険度によって鳴らし方が異なったそうです。
鎮火のときには「ジャン、ジャン」と、二度鳴らすのが決まりでした。
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火事はおさまったよという合図が、略されて「おじゃんだ」、
これで火がおさまった、これでおしまいになったという意味になりました。
現在では、物事がだめになったとか、中途でこの計画はだめになったという意味に転じていますね。
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このように火事の時の半鐘の音から生まれた言葉が「おじゃんになる」です。
ところで、江戸の女性たちはみんな火消したちに憧れていました。
鎮火をして、その場を引き上げて行く火消したちの煤だらけの姿、頭巾や被りものをとったときのその精悍な顔立ちにほれぼれしたそうです。
瞳をキラキラと輝かせて、見入ったのでしょうね。
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本日も最後までお読みいただきまして、ありがとうございます。
今日も元気いっぱいの一日になりますように。
「オシャカになる」って江戸っ子の駄洒落から生まれた
おはようございます。
昨日の4月8日は、各宗寺院で花祭りが行われたましたね。
お釈迦様のお誕生日は、紀元前463年。
性はゴータマ、名はシッタルダ。
ネパール国のタライ地方にシャカ族王子として生まれました。
お釈迦様が生まれたとき、天から龍が降りてきて、水を注ぎかけて洗い清めたという故事から、
花祭りには釈迦像に水や甘茶を注ぎかけるのだそうです。
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こんな言葉を聞いたことはありますか。
「おしゃかになっちゃったあ」
テレビの刑事ドラマで刑事が、被害者のことを「ホトケになる」とか
「おしゃかになる」と言うのも聞いたことがありますよね。
「おしゃかになる」という語源にはこんな説があります。
不良品を作ってしまったとき、
物事に失敗したとき、勝負事に負けて無一物になったとき
などに使う言葉です。
これは、鋳物職人がお地蔵様を作っていたところ、どこを間違えたのか、
お釈迦様を鋳てしまったというところから出てきた言葉だという説があります。
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また、この言葉は、金物細工の職人が仕事に失敗した話から出ているという説があるのです。
昔、金物細工の職人が金属を溶接しようとして、火が強すぎて失敗しました。
そこで「火が強かった」を江戸なまりで「シガツヨカッタ」、
つまり「四月八日だ」としてしゃれたのです。
丁度この日がお釈迦様の誕生日だったので、
不良品を作ることを「おしゃかになった」といったというのです。
さすが駄洒落の大好きな江戸っ子らしい発想ですね。
本日も最後までお読みいただきまして、ありがとうございます。
今日も幸せいっぱいの一日になりますように。
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結城市「つむぎの館」で糸くくりで遊ぶ
花より団子
おはようございます。
お花見の歴史
現在のようなお花見、桜の花が鑑賞されるようになったのは、かなり古く、平安時代からだと言われています。
でも、それはあくまでも高貴な人のものでした。
奈良時代に中国から渡来した梅が貴族の行事として鑑賞されていたのですが、平安時代になると、梅よりも桜への人気が上昇し、お花見と言えば桜の花見に替りました。
元々は、812年に「花宴の節(せち)」として嵯峨天皇が始め、宮中で天皇主催の定例行事として取り入れられました。その様子は『源氏物語』「花宴(はなのえん)」にも描かれています。
「花より団子」
お花見が庶民に広まったのは江戸時代からで、元禄時代に盛んになりました。
そして、享保年間に徳川吉宗が浅草(墨田川堤)や飛鳥山などに桜を植えさせ、庶民の行楽を奨励したのです。
「花より団子」という言葉はこの頃にできました。
花見団子は、江戸時代の庶民から広まったと言われています。
落語の『長屋の花見』や『あたま山』、明治時代に作られた『元禄花見踊り』など、お花見に浮き立つ江戸庶民の様子が生き生きと伝わってきます。
今も使われる「花より団子」は、お花見から生まれた江戸庶民の言葉だったのですね。
本日も最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。
まだまだ花冷えの季節です。暖かくしてお過ごしくださいね。
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結城紬って、知っていますか。
おはようございます。
日本の民族衣装である着物。
日常の中では着るチャンスって、そんなにありませんよね。
晴れの日、行事の日、会合のとき、観劇のときなど、ぜひ着て楽しみたいものです。
着物を楽しむ人は、「染めの着物」から「織りの着物」へと趣味が変っていくといわれています。
織りの着物は、肌になじみやすく、軽くて着やすいのが特徴です。
「織りの着物」つまり着やすい紬にみんな惹かれていくのですね。
紅花紬、黄八丈、小千谷紬、本場大島紬、牛首紬、久米島紬など、
紬は産地の名をとってこのように呼ばれています。
そんな中で、「結城紬」もまた格別の味わいがあります。
見た目には絹光りもせず、軽くて暖かく、素朴で独特な風合を持った織物です。
室町時代に結城家から室町幕府・鎌倉管領に献上品として使われたところから
「結城紬」という名が生まれたと言われています。
江戸時代に、何度も倹約令や奢侈禁令が出ましたが、
老中水野忠邦による天保の改革(1841年)では、
お菓子や玩具から肌着までもが禁止の対象になったそうです。
でも、結城紬は、経糸に木綿糸、緯糸に紬糸(貫紬)にしたので、禁止令から外れ、
命を永らえることができました。
見かけは木綿のように見えることから、武士にも好まれていたことはよく知られています。
結城紬は、真綿から手つむぎ糸や地機(いざり機)を使用するという工程をもつことから、
国の重要無形文化財に指定され、ユネスコ無形文化遺産にも登録されています。
この真綿の糸を作るためには、桑の木を育て、蚕を育てなければなりません。
気の遠くなるような作業を結城地方の農家の人たちは行ってきたのですね。
結城紬はたしかに高価なものですが、その反物の作成の工程を見れば、
いかに手がかかっているかがよく理解できます。
結城市にある「つむぎの館」という結城紬のミュージアムがあります。
奥順株式会社が提供しているところですが、小江戸風の町並みや喫茶も楽しめる素敵な空間です。
とってもくつろげる場所です。
お勧めですよ。
反物ができるまでの工程を描く資料館
古民家風の喫茶ルームで、珍しい桑の実のジャムを
本日も最後までお読みださり、ありがとうございました。
花冷えには気を付けて、週末をお過ごしください。
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新宿御苑の桜のもとで幻想的な撮影を
おはようございます。
命二ツの中に活きたる桜かな (松尾芭蕉)
芭蕉が、同郷の旧友服部土芳(とほう)と20年ぶりに再会したときに詠んだ句です。
二人の命が再会に喜び合っているところで、満開の桜をふと見上げると、桜がより
一層いきいきと目に映ったという様子が描かれています。
二人の命と咲き誇る桜の命の輝きを表現しているのですね。
春の桜は、花王とも賞賛されて、日本人にとっては格別の花です。
花といえば、桜であり、日本を代表する花でもありますね。
山桜、ヒガンザクラ、ソメイヨシノなど白生種だけで3種類以上、栽培種を加えると数百種に及ぶといわれています。
朝空気の澄んだとき、夕暮れの静かな光の中で、桜は美しい存在感を表しています。
先日、3月30日に、新宿御苑で写真の撮影をしました。
早朝、ほんのりと桜の香りが漂っていました。
雨風がどんどん強くなっていきましたが、比較的人出は少なく、
青いビニールシートも敷かれていなかったので、
撮影のロケーションとしては最高でした。
以下の写真は、岡本好美さん撮影の撮影風景写真です。
山桜、ヒガンザクラ、しだれ桜、ソメイヨシノなど、たくさんの種類の桜が咲いていました。
地面につくほど垂れ下がったしだれ桜など、満開の桜の中で、
びしょぬれになりながらも、幻想的な雰囲気が醸し出されました。
桜とともに過ごせたことは幸せでした。
外国人の観光客と
写真撮影は、日本人としての着物姿と調和した四季折々の風景を是非外国の方々にも見てもらいたいという思いから始めました。
写真は、いつも岡本好美さん(ハワイアンヒーラー)の妹さんの岡本和代カメラマンにお願いして撮影していただいています。
女性ならではの、微妙な心を映し出してくださる写真家です。
→ ご連絡先はこちらです。
四谷の桜並木にて
下の2枚の写真は、お正月の明治神宮御苑と新宿御苑での撮影風景です。
明治神宮御苑にて
時が過ぎてみると、そのときの様子をまた懐かしく思い出します。
よい写真が出来上がることを心待ちにしているところです。
本日も最後までお読みださり、ありがとうございました。
幸多き一日をお過ごしくださいね。
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増上寺の献茶式に参列して
おはようございます。
昨日は、芝、大門の増上寺の献茶式に行ってまいりました。
浄土宗宗祖法然上人の命日の法要ということで、表千家の堀内宗完宗匠によって
ご本尊の阿弥陀如来と法然上人にお茶が献ぜられました。
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桜の花が満開で、
朱塗りの建物やすぐそばにそびえる東京タワーの赤い色と桜の花がうまくマッチして、
素晴らしい風景を見ることができました。
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元々は正月25日が法然上人の命日で、正月に一週間、御忌献茶式として修されたようですが、
明治ごろから4月に営まれるようになったそうです。
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御忌献茶式は今年で31回目を迎えました。
昭和57年、法然上人の降誕850年慶讃法要から始まったのがこの献茶式です。
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増上寺は、徳川家の菩提寺として、六人の将軍(二代秀忠公、六代家宣公、七代家継公、九代家重公、十二代家慶公、十四代家茂公)の墓所がもうけられています。
そこには各将軍の正室と側室のお墓ももうけられていますが、家茂公の正室で悲劇の皇女として知られる和宮のお墓もあるということです。
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昭和20年に空襲によって、三解脱門や黒門などを除きほとんど増上寺の建物は消失したのですが、
その後復興を遂げ、現在に至っているのですね。
「三解脱門(さんげだつもん)」は、三つの煩悩であるむさぼり、いかり、おろかさを解脱する門のことだそうです。
この門をくぐることによって、三毒(三つの煩悩、貪・瞋・痴)が解脱できるとされています。
今抱いている悩みを解消したいなあという時に、この門をくぐって、三毒を解脱できるといいですよね。
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本日もお読みくださいまして、ありがとうございます。
東京は桜の花びらが散る様さえも美しい季節です。
今日も佳き一日になりますように。
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エイプリル・フールを迎えた日本の朝
おはようございます。
今日は、「エイプリル・フール」。
今日こそ「エイプリル・フール」であってほしいです。
消費税アップで、日本中朝から気ぜわしいですね。
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「エイプリル・フール」は、
18世紀ごろから西洋で行われる風習で、この日の午前中は社会に悪影響がない限り、
どんな嘘をついてもとがめられないという、いたずらが許される日とされています。
この日のいわれについては、いろいろな説があります。
その一つは、暦の変更にまつわる説で、フランス起源説です。
16世紀頃まではヨーロッパでは新年が今の3月25日にあたり、
この日から4月1日まで春分の祭りが行われ、
その最後の日には贈り物を交換する習慣があったそうです。
ところが、フランスのシャルル9世が、1564年に新しい暦を採用して、
新年を1月1日に改めました。
しかし、旧教徒の人々は、この改正を不服に思い、
4月1日の昔の正月をしのんで、
昔同様の新年のまねごとをしてふざけあって楽しんだのが起こりで、
それが次第に西洋の各国に広がって今日に至ったというのです。
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また一説には、東洋起源説として、
インドの仏教徒は、3月末の一週間、苦行をすることになっていますが、
その行が終わると、またもとの凡人に返ってしまうのを戒めようとする「揶揄節(やゆせつ)」から起こったともいわれています。
更に、これは面白い有名な話ですが、
1815年6月18日、ナポレオンが、前戦からの手紙をエイプリル・フールの悪ふざけと思い、
くずかごに放り込んでおいたため、援軍が間に合わなかったので、
ワーテルローの戦いで敗北したのだということです。
悪ふざけも度が過ぎると、大変なことになりますね。
日本は今日から消費税8パーセントにアップがスタートしました。
せめて午前中だけでも、5パーセントでいいのよと、そんなジョークが許されると
いいですね。
本日もお読みくださいまして、ありがとうございます。
素敵な方々に囲まれて〜第2回 "和のたしな美塾" 講座〜
第2回 ”和のたしな美塾”講座を終えて
~旧きを訪ねて新しきを知る~
3月20日、冷たい雨の中、ご参加くださった皆様、ありがとうございました。
「穀雨」という季節雨は、植物にとっての恵みの雨ですが、人にはちょっと辛い雨ですね・・。
今回も素晴らしい方々においでいただいて、楽しいひと時を過ごさせていただきました。
二次会でのお茶会でも、縄文時代の平和な母系社会の話に花が咲き、女性パワーで盛り上がりました。
(株)アド・ウイングの塙喜吉さんからは、初出版記念ということで、
赤ワインと小冊子の表紙をシールにしたラベルをプレゼントしていただきました。
塙さんには、小冊子を作成する際にそして毎回の写真撮影でお世話になっています。
江戸庶民の間で流行した三味線音楽。これは元々琵琶法師など盲人音楽家が生み出した楽曲。江戸の町の路地を歩けば、三味線の音色が流れ、長唄や常磐津の師匠が軒を連ねていたといいます。嫁入り前の娘は三味線、琴や踊りも習っていました。武家の家にご奉公に上がるにはこういう習い事が条件だったそうですよ。男性も小粋な女師匠に憧れて習っていました。
長唄の中でも一番古い曲でおめでたいときに舞われる『七福神』。
講座の前半でそのお話を少ししました。
そこでは、古事記で述べられている壮大なる日本の国づくりの話がなんと登場します。
なぜと思うでしょう。そこが江戸の人の素敵な感性です。大好きなところです。踊りというのは、神仏に見ていただき、どうぞ受け取ってくださいという想いがとても強かったんだなあとつくづく思います。いつも神仏がそばにいたのですね。
七福神のうち日本の神様は恵比寿様だけだったということはご存知でしたか。
今回はお集りの方々がお互いに初対面ということでしたので、
講座後半では、江戸のホスピタリティーの心意気を学んでいただき、その後で名刺交換をしながらいろいろ交流を深めていただきました。
この講座の中で出会う方々皆さんが末永く縁(えにし)で結ばれ、日本のこころ、和のこころで、分かち合い、助け合い、それぞれが応援し合える間柄になれるようにと願っています。
最後に、長唄『七福神』のチラシの部分、
縄を引き締めるようにこのご縁が長く続きますように、
皆様に幸あれ、という祈りを込めた踊りで締めくくりました。
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今回の講座にご参加くださった皆様のご感想
お集りの方々、みんな素敵ですね~!というお言葉に、私も鼻が高いです。
加藤勢津子さん ~40代の女性が自分らしく生きるための心理カウンセラー~
江戸時代や和の話が好きです。日本の女性の生き方や社会のあり方まで、本日参加された方々とも共有できそうで、嬉しかったです。
高橋寿於さん ~屏風や掛軸に絵を描く斬新さを取り入れた日本画家~
Facebookで宮本さんの投稿記事に興味があって、お話を聞いてみたかったです。本日参加された皆様が同じ和の心や志を持ち、表現方法は違っても方向が同じだということを感じました。
櫻本ゆかりさん ~フェイシャル&メイクサロンさくら代表~
日本人のDNAは素晴らしいと思っていましたので、それを伝承したいと思っていました。日本の伝統文化をますます学んでみたくなりました。
素敵な方々と出会えて感謝です。
千藤麻乃さん ~マインドブロックインストラクター~
江戸博物館での浮世絵展を見て以来、江戸への興味がわいてきました。今日のお話を聞いてもっと江戸女性のことを知りたいと思いました。
千葉博正さん ~Facebookマスター講座講師~
大阪の友人が古事記や日本書紀に詳しいので、以前から興味があり、今日は勉強ができてよかったです。素敵な方々が集まっているので、交流の場としても楽しかったです。冊子は女性の立場から書かれていますが、日本人として学ぶものがたくさんありました。
水嶋康男さん ~原子力規制委員会技術参与ほか~
和のこころを少しでも知りたいと思って参加しました。知らない歴史を教えていただいて、大変参考になりました。
蔵多のり子さん ~代謝美容・未病サロンマノマッジオ代表~
江戸の女性、和のたしなみに興味がありましたので、本日は貴重な情報をいただき、ありがとうございました。
参加者の方々も素晴らしい方々ばかりでした。
赤塚このみさん ~みんなのチアリーダー「アッカー倶楽部」代表~
「恕」と「祈」。ゆるす心と祈る心を感じる講座です。江戸の庶民や女性の生き方から学べることが多いです。冊子はお母様のことも交えながら、あくまで喜恵子さんの言葉でつづられていることに好感が持てます。現状を当たり前と思っている現代人全員に読んでいただきたい冊子を丁寧に作って下さって感謝しています。
真下吉弘さん ~知的シニアライフをエンジョイされ、自費出版の著書も多数~
宮本さんのコラムの内容がいつも素晴らしいので、会って一度お話を聞いてみたかったです。想像以上に素晴らしい女性でありました。冊子には、現代に活かせる知恵が多方面に記述されていて、改めて江戸を見直しました。
中島裕実さん ~Facebookページ「神社ってイイネ!」主催~
各分野でご活躍の皆様のお話が面白かったです。冊子から江戸の庶民の知恵を勉強させていただき、ありがとうございました。
このほかに、長唄『七福神』の話、これはなかなか人に教えてもらうことができないので、とても勉強になりましたというご感想もいただきました。
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江戸商人はお互いの商売が共倒れにならないようにと、互助の精神で商いをしていました。
また、江戸は火事や災害が多かったので、武士も町人もそれぞれ町ぐるみで人と人とのつながりを大切にして生きていました。一夜にして大切な人、家も物も失うという人生が一変してしまう体験をたくさんしていたからですね。私たちだって、あの3年前の大震災を経験してきました。災害に立ち向かう江戸の人々の心意気は現代の私たちにも大変参考になると思っています。
こうして、この講座に集う皆様にも、そんな江戸の心意気を学び、実践していただきながら、お互い心を通わせ、応援し合い、ともに日本のこころを、たしな美の心を広げていきたいと願っています。
またご参加いただいた皆様と集える機会を持ちたいと思っています。
私の一つの夢
オリンピックの年にビッグな祭典に趣向をこらした企画で、是非皆様にも参加していただけたらいいなあと念願しています。
日本の和のこころを世界に広げていきましょう。
是非よろしくお願いします。
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次回の講座は、
平成26年4月24日(木)午後2時15分~4時45分です。
そして、その次は・・・。
詳しくはこちらをご覧くださいね。
→ http://derivejapan.com/course/
ぼた餅とお萩の違いは
おはようございます。
もうすぐ春分の日(お彼岸の中日)がやってきます。
お彼岸には、おばあちゃんが牡丹餅を作って、ご先祖様によくお供えしたものです。
今は手軽にスーパーでも売っていますから、つい買っちゃいますね。
ぼた餅とお萩と違いは?
実は、ぼた餅(牡丹餅)もお萩も同じものなのです。
春のお彼岸はその頃咲く牡丹の花から、秋のお彼岸は同じく萩の名前をつけたと言われています。
甘いものは仏教の言葉で「甘露」と言われます。
「甘露」は、梵語 amṛta の訳で、不老不死の甘く清々しい飲み物のことです。
転じて、仏の教え、仏の悟りにたとえられます。
仏壇やお墓に甘いものをお供えすることが多いのは、こんな言葉も関係しているようですね。
また、お彼岸に牡丹餅(お萩)を食べる習慣は、江戸時代から始まったと言われています。
「小豆」は古来より邪気を払うとして信仰され先祖の供養と結びついたとか、
砂糖や米が大変貴重だった時代に、先祖に牡丹餅(お萩)を供えて近所にお裾分けすることが大変な功徳を積むことになったからとか、言われています。
日本人としての牡丹餅(お萩)を食べる習慣、大切にしていきたいですね。
本日もお読みくださいまして、ありがとうございました。
今日も清々しい気持ちで過ごしてまいりましょう。
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