和のたしな美塾 vol.3
江戸前寿司と同じくファーストフードとして、庶民の間で人気だった天ぷら。
語源はポルトガル語のtempero(調理)とかスペイン語のtemplo(寺院)で作られた料理などからきているといわれています。
上方では、魚のすり身を揚げたものを「天ぷら」といいました。
江戸前の天ぷらは、手間を省いて、串に刺した魚の切り身を揚げ、それには下味がついていて、食べやすくなっていました。
今で言えば、有楽町の駅前や高架下の赤提灯のような感覚で、庶民が軒下や橋のたもとの可動式の屋台で、立って食べる、そんな手軽な食べ物でした。
「天麩羅」という当て字は、劇作家の山東京伝(さんとうきょうでん)が草案したと考えられています。
大坂からやってきた板前が、上方では、まだ江戸にはない魚肉のつけ揚げが評判だから、夜店でやってみてはどうかと勧めたのがきっかけです。
「天麩羅」の「天」はカラリと揚がる、「麩」は小麦粉、「羅」はうっすらと、ということで、薄い衣をつけて、カラッと揚げた食べ物という意味だそうです。
どんな天ぷらだったかというと、穴子、芝海老、こはだ、貝柱するめなどの魚類すべてです。
聞いただけでも、美味しそうですね。
野菜の揚げ物は、天ぷらとは言わず、「揚げ物」と言いました。
「屋台」というと、今では縁日などでしかお目にかかれませんが、江戸は毎日屋台が庶民のダイニングキッチンとして、庶民の食を満たしてくれていたのです。
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