女三界に家なし
江戸の町には自由性があって、元禄文化も大きく花開きましたが、
お寺が戸籍簿である人別帳を管理していた時代が終わりました。
明治政府は、天皇制によって政治権力を安定させようとして、天皇と国民の関係を戸主と家族の関係になぞらえたのですね。
江戸のいわば事実婚から、法律婚への切り替わりです。
とてもこれは強烈に響きました。
女は幼少のときは親に、嫁に行ってからは夫に、老いては子供に従うものだから、広い世界のどこにも身を落ち着ける場所がないという意味です。
そうだったのだろうかと、長く思ってきました。
でも、今もその影を引きずっているところが社会の中にはまだ残っているようにも思います。
自由性の中で創造的な芸術も花開き、江戸ルネッサンスの空気すら感じます。
しかも、私たちが失いつつある心の大切なものがいっぱいあります。
江戸だけではなく、置き忘れてきた日本のよさを見つけていきたいとも思っています。
フクシア 花言葉は「暖かい心」
お花は「フクシア」。
「ホクシャ」とか「ツリウキソウ (釣浮草) 」とも呼ばれています。このお花が好きな方が多いのですね。
第一次大戦後、アメリカで品種改良がなされて、今では何千種類もの品種が生み出されているそうです。
可愛い表現ですね。
江戸の女性もアイディアビジネスを
山暮れて紅葉の朱を奪ひけり (与謝蕪村)
火の温もりを感じているような、そんな思いが伝わってきます。
昔流行ったコマーシャル、三船敏郎さんの「男は黙って⚪︎⚪︎ビール」とは大分違いますね。
女性の起業家も増えてきていますね。
妻のほうが収入が多いのも珍しくありません。
アルバイト的に洗濯や家事の代行をするなど、単身赴任者が多い江戸では、女性が一生働き口に困ることはなかったそうです。
夫も妻を支え、夫婦関係は平等で、互いによきパートナー。
現代に通じるものがありますね。
仕事にも生かしていたなんて、お見事ですね。
身の回りの断捨離グッズにもいっぱいアイディアがありそうです。
今日はそんなことを考えてみませんか。
江戸の男性はユーモアのセンスが結婚の条件
江戸庶民の家庭生活はどんな感じだったのでしょうか。
江戸では、男性が家事育児をすることは、当たり前だったようです。
今の若い夫婦のように、どちらか手の空いたほうが家事育児をやっていました。
男性は何か付加価値がないと、嫁に来てもらえなかったのです。
自信のない男性は、駄洒落をいくつか習ってから嫁をもらったとか。
ここは注目すべきところですね。
ひところまで言われていた女性の結婚相手の条件は、高学歴高収入。
江戸庶民の結婚〜バツイチなんて気にしない〜
ふた葉三葉ちりて日くるる紅葉かな (与謝蕪村)
そんなことを感じさせてくれます。
「揉み出るもの」の意味であるといわれています。
自然の厳しさの中から、美しい色が醸し出されてくるのですね。
実際に何回帰ってきても、恥ずかしいことではなかったとか。
結婚届を役所に提出するわけでもなく、1年おきの「人別調べ」(戸籍調査)のときに申し出ればよく、その間に出たり入ったりがあったとしても、それが人別帳に載るわけではありません。
でも、武家の娘はそうはいきません。
また、いったん敷居をまたげば「二夫にまみえず」と、里帰りも厳しく禁じられていたのですね。
もちろん今の時代もまたそれとは異なります。
そんな中で、幸せってなんだろうと、考えてみたいですね。
このように過去をリサーチすることで、固定概念が変わっていきます。
新米と新酒
秋祭り。
稲作の始めと終わりに際し、
春に神様を田におりてくるのをお迎えするのが春祭り、また山に帰るのを送るのが秋祭りです。
田の神様への祈願と報恩の意を表したこの氏神祭りは、
年に2回春2月(または4月)と秋11月に行われていました。
日本人にとって、新米も新酒も意味深く、天からの嬉しい贈り物ものですね。
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江戸時代、日本の中心であった京都から新興都市の江戸へ運送された上等な産物を「下りもの」と呼び、
江戸近郊で作られた産物を「下らないもの」として一段低い立場においたのですね。
上方からは米や酒など上質なものが入ってきて、高値の取引がされました。
一番の人気が「富士見酒」。
富士山を左手に見ながら江戸湊に入ってくる新酒です。
樽の杉の香りと新酒が波でブレンドされて、ほどよい香りとマイルドな風味になって、
産地で飲むより江戸で飲んだほうがずっと美味しいお酒になったのです。
特に最初に到着した樽は大変な高値がついたとか。
秋口から冬にかけて、隅田川河口は大賑わい。船で大渋滞です。
新川に並ぶ酒問屋では、赤い法被の若い衆が、日の丸のついた扇子をかざして、
新しい荷が到着する度に囃し立て、小売の人も利き酒を楽しみ、
どれを買おうか迷っているうちに酔っ払う人も多かったとか。
江戸時代、活気を呈した船での物流。
新酒の時期は、まるでお祭りのようでしたね。
一番人気の富士見酒
皆様、おはようございます。
水上交通が発達していた大都市江戸。
人々の暮らしを支えていた交通機関の屋台骨でした。
現代の高速道路に匹敵しました。
船には、猪牙舟、渡し船、茶船、荷足船、高瀬船などがありました。
ターミナルとなる渡し場には、茶店で賑わい、問屋の蔵なども建ち並び、
河岸周辺は活気を呈していました。
大勢の女性も彩りを添えて、こういう場で働いていたことでしょう。
新米、新酒の時期、秋口から冬にかけては出荷時期のピークを迎え、
隅田川の河口付近は大渋滞です。
上方からは上質なものが入ってきていて、高値の取引がされました。
日本酒は、幕末に至るまで上方からの下りものが圧倒的に多かったそうです。
一番の人気が「富士見酒」。
富士山を左手に見ながら江戸湊に入ってくる新酒です。
特に最初に到着した樽は大変な高値がついたとか。
江戸が経済的に自立するまで経済の発展を支えていたのは、上方出身の商人たちでした。
本店は京都、支店は江戸。
これが上方出身の商人の自負だったのですね。
「江戸店持ち京商人(えどたなもちきょうあきんど)」と呼ばれました。
味覚の秋、日本酒とともに、秋をたっぷりと味わいたいものです。
今日もお元気に行ってらっしゃ〜い。
そぞろ寒し、いい女房になるために
秋深し。
「やや寒」から「そぞろ寒」の感がしてきましたね。
じいんと身のうちに覚える寒さ、膚にも感じる秋の寒さですね。
冬の訪れさえも感じてきますね。
江戸時代の女性の着物は小袖の着流しが普通で、冬になると、重ね着が主流で、コートやジャケットは着なかったようです。
季節による衣替えは現代よりも厳格に、決められた日に衣替えをしていました。
江戸の暦は月の満ち欠けを基準にする旧暦です。
端午の節句(5月5日)と重陽の節句(9月9日)が衣替えの日でした。
9月からは袷(あわせ)を着ます。
冬には、ドテラのように、着物と裏地の間に綿を入れた綿入れを着ていました。
衣替えのシーズンには、この袷に綿入れをしたり、綿を抜いたり、主婦は家族全員の着物を決まった日までに縫い終わっていないといけませんでした。
期日過ぎまで綿入れを子供が着ていると、近所から「できの悪い女房だ」と言われるため、
主婦は大忙しで仕上げたそうです。
江戸時代に生きるなら、女性は裁縫ができることが条件のようです。
その点、現代は重ね着、コートもジャケットもあります。
「君にできることはボタンつけと掃除」という歌詞もどこかにありましたが、
女性は、裁縫ができなくても、オーケーですね。
でも、お母さんの手縫いのバッグや小物を幼稚園や学校に持たせたい。
やはり、女性は裁縫ができるほうが今も魅力的ですね。
今日も温かくしてお出掛けくださいね。
袖振り合うも多生の縁
「束の間つきあい」という言葉があります。
和やかに軽く挨拶を交わして、束の間の、ちょっとした時間も楽しんだのです。
そこには、「袖振り合うも多生の縁」という考え方があって、
これは人間関係を円滑にする方法でもあります。
知らない人とたまたま道で袖が触れ合うようなちょっとしたことも、前世からの深い因縁があっての出会い。
人との縁はすべて単なる偶然ではなく、深い因縁によって起こるものだから、どんな出会いも大切にしなければならない。
そういう仏教の教えに基づいているのです。
それは「一期一会」の考え方でもありますね。
現代は、電車に乗ればみんなスマホを見ていて、言葉を交わすこともほとんどない時代。
悲しい事件も起こる時代・・・。
いつでもどこでも「一期一会」と思ったら、
江戸の人々が、見知らぬ人と束の間でもお互いに気持ちよく付き合おうと思っていた、
そんな思いが分かるような気がします。
ラッシュ時にそんなことを言ってはいられないかもしれませんが、
思い一つで、
一つ一つの行動や自分にやってくることは、変わってきますね。
素敵に生きましょう!
結界という言葉にこんな意味があります
江戸の庶民が物事を考える根底にしていた言葉に、
こんな言葉がありました。
「結界わきまえ」です。
これは、己を知り、身のほどをわきまえること。
結界はもともと仏教用語ですが、領域を区切る境界線という意味で、自分の立場や力量をきちんと把握し、
見せかけのことをしてはならないという戒めです。
相手のことも理解し認めることができるので、
お互いの領分は侵さないということですね。
少し話が転じますが、
たとえ自分が道理にかなったことを言い、相手が間違ったことを言ったとしても、理屈で責め立てて言い負かすのは良くない。
自分のほうが明らかに正しくて、相手を理屈で言い負かせることができたとしても、相手には屈辱と報復の心が残ってしまう。
また、負けて引き下がってしまうのも良くない。ただ、言い負かせもせず、自分の間違いとも言わず、何事もなく止めるのがよい。
「結界わきまえ」が言う分相応、足るを知ることは、決して自分を小さくすることではなく、
自分の我を離れ、相手に対する細やかな心遣いをすることなのです。