和のたしな美ぶろぐ
Nov 7, 2013

入日色〜小さい秋みつけた〜

「はぜの葉あかくて 入日色

   ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋 みつけた」

 

『小さい秋みつけた』の3番目の歌詞です。

「入日色」という言葉に、温もりを感じますね。

 

『小さい秋みつけた』の作詞者のサトウハチローは、

この歌の詩について、

病弱ゆえに『原稿用紙を前に布団に腹這いになって外を見ていたら赤くなったハゼの葉を見て、

言い知れぬ秋を感じて、この歌を書き上げた』と、

書いているそうです。

 

彼が住んでいた東京都文京区弥生の自宅の庭のはぜの木が紅葉していく様子を見ながら

つくった歌詞なのですね。

このはぜの木は、現在後楽園駅近くの礫川公園に移植されているそうです。
この『小さい秋みつけた』は、『里の秋』と同じく、

日本の歌百選に、2006年に選ばれました。

 

親子で永く歌い継いでほしい。

 

そういう願いを込めて、日本人がつくった童謡や唱歌、歌謡曲など、

叙情歌や愛唱歌101曲が選ばれています。

 

永く歌い継いでいきたいですね。

 

農家の軒下

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今日のような雨の日には、家の中で、お子さんとご一緒に、また、一人でしっとりと、

こんな日本の叙情歌に触れるのもいいものです。

 

秋の風情〜音、色、風、味覚、そして秋祭り、十五夜・・・

 

そうそう、十五夜には、

江戸の人はすすきと米粉の団子かお饅頭15個をお供えするのが決まりだったそうです。

 

江戸のお話はまた次週に。

 

Nov 7, 2013

江戸の女は裁縫が上手

秋深し。

「やや寒」から「そぞろ寒」の感がしてきましたね。

じいんと身のうちに覚える寒さ、膚にも感じる秋の寒さですね。

冬の訪れさえも感じてきますね。

 

江戸時代の女性の着物は小袖の着流しが普通で、冬になると、重ね着が主流で、コートやジャケットは着なかったようです。

季節による衣替えは現代よりも厳格に、決められた日に衣替えをしていました。

江戸の暦は月の満ち欠けを基準にする旧暦です。

端午の節句(5月5日)と重陽の節句(9月9日)が衣替えの日でした。

9月からは袷(あわせ)を着ます。

冬には、ドテラのように、着物と裏地の間に綿を入れた綿入れを着ていました。

2013-10-29 09.52.25

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Nov 7, 2013

とおりゃんせ〜深川人情澪通り〜

水戸黄門や大岡越前など、人情時代劇で見ていると、

盗人が豪商の家の蔵から千両箱を荷車で運び出している様子をときどき目にすることがあります。

 

盗人や強盗がやってきても、火事になっても、

江戸の町は現在の警察や消防のように、国が国費を使って警備するのではなく、町人たちが町費を出して管理するという、自費組織だったのですね。

 

そこで、木戸番や自身番が各町ごとにもうけられていたのです。

 

江戸の町人地では、この木戸番がもうけられ、夜四つ(夜10時)から明け方六つ(朝六時)まで閉められ、通行ができなくなりました。

 

北原亞以子原作の「とおりゃんせ〜深川人情澪通り」がNHKの「金曜時代劇」で放映されたことがありました。

 

ある町人町で木戸番として雇われた夫笑兵衛・神田正輝と女房お捨・池上季実子。

それぞれの過去を秘めたこの夫婦と町の人々との交流を描いた物語でした。

池上季実子演ずる女房お捨が、女性から見ても、なかなか味わい深く、とても素敵だったなと、印象に残っています。

人情味があって、身のこなしも女性らしく優雅さもあって、あこがれでした。

人のいいこの実直な夫婦が醸し出す雰囲気にも温もりを感じていました。

人気のドラマでした。

当時、こういう人たちが大勢いたのだろうと思いますね。

2012-10-01 07.01.42

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Nov 7, 2013

父との思い出の曲『里の秋』

秋の風情を感じさせるもの、どんなものが思い浮かびますか。

私が秋になると思い出す歌、

それは父との思い出の童謡『里の秋』です。

 

 

静かな静かな 里の秋

お背戸に木の実の 落ちる夜は

ああ 母さんと ただ二人

栗の実煮てます 囲炉裏端

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小学生の頃、郷里の家の二階でこの曲をオルガンで弾いていた時、

外の庭にいた父から、やめないでもっと弾いてくれと、言われたのを覚えています。

 

当時父は、宮城の気仙沼港を寄港として、主にマグロ漁業船の無線通信士をやっていました。

父親(私から見れば祖父)が病弱で入退院を繰り返していたためにお金が必要だったのです。

 

あるときはアリューシャン列島まで、あるときは北海道までと、父は遠出をしていたので、

家に戻るのは年に、二、三回程度でした。

 

父が40歳の時、陸に上がりました。

その直前に乗らないかと誘いを受けた船に、気が進まず辞退したらしいのですが、

その船は洋上、転覆してしまったそうです。

 

 

父はそれを辞退したことで命拾いをしました。

まさに、「板子一枚、下地獄」の世界が海にはあります。

 

父が今も生きていられるのは、目に見えない人生の大きな選択をここでしたからでしょう。

 

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栗

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この童謡『里の秋』は、

1945年に敗戦により失った領土からの引揚者の激励のためにNHKのラジオ番組で放送されたものだそうです。

 

私の父もこの曲を私にリクエストをしたのも、何か敗戦のころの思い出があったのかもしれません。

 

 

明るい明るい 星の空

鳴き鳴き夜鴨の 渡る夜は

ああ 父さんの あの笑顔

栗の実食べては 思い出す

 
父がその後もしばらくの間 、海に出ていたので、

秋になると、この曲を思い出しては涙がこぼれたものです。

 

秋がやってくると思い出す『里の秋』です。

 

皆様も何か秋の思い出はありますか。

 

 

今日も台風の行方が気になりますね。

素晴らしい一日にしましょう。
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栗木さん14 のコピー

 

Nov 7, 2013

稲刈り

秋の風情を感じさせるもの、どんなものが思い浮かびますか。

実りの秋、食欲の秋でもありますね。

もう新米を召し上がっている方もいらっしゃることでしょう。

 

稲刈りは終わりましたか。

 

農家では、初夏の忙しさとはまた違った忙しさに追われる時期ですね。

早生は9月中に稲刈りがされますが、大部分は10月に入ってからではないでしょうか。

 

例年ですと、10月中旬は晴れた日が続きます。

 

今は機械で稲刈りも順調に進みます。

 

機械がない時は、爽やかな鎌の音が響き渡りました。

 

 

順礼や  稲刈るわざを見て過る           (正岡子規)

 

 

秋の風情を感じさせるもの、昔は天高き青空の下で、

鎌の音が心地よく鳴り響いていたのですね。

 

刈った稲は束ねられて、稲架にかけられて干し連ねられます。

また沼田では幾列か稲を刈り残して伏せた上に、刈り稲をのせる、

そういうところもあるのですね。

これは今でも行われているのでしょうか。
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秋稲の実り

 

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新米の美味しさは、また格別ですね。

 

秋の風情を感じさせるもの、新米。

大自然と人との共同作業で生み出す、まさしくきらきらと輝く宝物ですね。

草刈つて 飛鳥道のさびしさよ        (日野草城)

 

台風が心配されますね。お気をつけてお過ごしください。

今日も豊かな秋を感じる一日になりますように。
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おにぎり のコピー

 

 

Nov 7, 2013

砧(きぬた)〜秋のものがなしさ〜

秋の風情を感じさせるもの、どんなものが思い浮かびますか。

かつて女性の夜なべ仕事であった「砧(きぬた)」

その音が秋の夜のあわれさを誘うということで、昔から詩歌などによく詠まれてきました。

 

砧は、アイロンがない時代に、洗濯した布を生乾きの状態で台にのせ、

たたいて柔らかくしたり、皺をのばすための道具でした。

 

昔は、夜になるとあちこちの家で砧の音がしたそうです。

 

日本の家庭では、明治時代、炭を使うアイロンが普及したため、すたれてしまいました。

今では、わらを打ちやわらげたり、紙の原料を作るために使われるだけにまってしまいました。

能の演目「砧」では、女主人公が砧を打つことが情念の表現になっています。

晩秋の物悲しさとともに、夫の留守宅を守る妻の悲しみが描かれています。

古来より人々に好まれてきた能です。

砧を打つ音。

物悲しさ。

これも秋の風情ですね。

 

 

 

憂き我に 砧うて 今は又止みぬ        (与謝野蕪村)

 

 

秋の風情、皆様はどんなものをイメージしますか。

素敵な秋の一日をお過ごしくださいね。
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竹垣・秋

 

 

Nov 7, 2013

日本は最高の国〜生麦事件のリチャードソン〜

江戸時代、西欧の人たちが日本に来て驚いたことがたくさんありました。

 

日本人の気骨、骨太の精神に感服したこともそうですが、

江戸の町の立派さに驚いたという記述もあります。

 

今から150年も前に、英国人商人リチャードソンが、父親に宛てた手紙の中で、

日本や江戸のことを書き綴っていました。

 

その手紙によれば、

「日本はイングランド以外の場所で私が訪れた最高の国です。

山や海のは抜群です。

 

日本人が他の国との交わりを断ち続けてきたことを考えれば、

江戸という都市の素晴らしさは驚きです。

 

江戸の官庁街ともいえる界隈は、どの西洋列強にも引けをとらないでしょう。」

 

この後で大名屋敷のこと、塀や門の立派さも述べられ、

日本に対する親しみの込められた言葉が連ねられています。

 

栗木さん8

リチャードソンは、今の横浜で起きた生麦事件で殺害された人です。

事件の11日前に父親宛の手紙の中でこのようなことを述べていたのです。

 

この手紙は、ロンドン在住のリチャードソンの姉のひ孫ウェイスの申し出により、

現在では横浜開港資料館で保管されています。

 

資料館の主任調査研究員は、この手紙によって、それまでの生麦事件とは全く違うイメージが持てるのではないかと語っています。

 

また、リチャードソンが日本を見下しているという印象はこの手紙からは受けないので、

生麦事件は、外国人と日本人とのしきたりの違いから起こったのであろうと言う人もいます。

 

 

もっともっと日本のこと、江戸のことを書き綴ってほしかったですね。

 

 

大分秋めいてきましたね。

風邪を引かないように、気を付けてお過ごしください。

江戸日本橋1

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Nov 7, 2013

浅草浅草寺〜芭蕉も聞いた時の鐘〜

推古天皇の時代、628年、
漁師の兄弟が隅田川で漁をしていたときに聖観音像を引き上げたことに由来します。

土地の郷士が、これを聖観世音菩薩の尊像としてあがめ、

自分も剃髪して僧となって、自宅にこの観音像を奉安したのです。

これが浅草寺の起源だといわれています。

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後にこの三人を三社権現としてお祀りしたのが三社権現社(浅草神社)の始まりで、

そこから生まれたのが「三社祭」です。

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江戸時代になり、徳川家康は浅草寺を徳川家の祈願所に定めました。

浅草寺境内にある弁天山の鐘楼の鐘は、徳川5代将軍綱吉の命により作られ、

当時この鐘は江戸市中に時刻を知らせたことから「時の鐘」ともいわれていました。

 

江戸の人はみなこの鐘の音を時を告げる音として聞いていたのですね。

松尾芭蕉も、深川の草庵でこの鐘の音を聞いていました。

 


花の雲 鐘は上野か 浅草か (芭蕉)

雷門2

浅草浅草寺の雷門

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Nov 7, 2013

えびす講

10月20日は「えびす講」でした。

出雲に全国の神様が集まる10月。

恵比寿様だけが地元に残って留守番をしているのだそうです。

 

その恵比寿様をお慰めしようということで、「えびす講」が始まったといわれています。

 

えびす講は、商売繁盛、豊作を願って恵比寿様にお詣りする日です。

 

 

今週もよい週になりますよ。

大前神社えびす様

 

Nov 2, 2013

漁師さんの「天気を読む方法」

漁師さんの天気観測法

 

海に生きる男たちに代々伝えられた天気観測法です。

 

「近い山が遠くに見えるときは雨が降る」


湿度の関係で、近い山が遠くに見えるらしいのです。
湿度の高い空気がくることは、南からの前線が張り出していることで、
これが冷たい空気に触れると、雨になるので注意ということです。

 

 

「突風は小潮回りに多い」

 

大潮どきには雨の降る日が多いといわれています。
これは学問的な裏付けというよりも、長年の経験で言い継がれている言葉です。

 

 

「夜明けの小雨と女の腕まくり」

 

前日まではきれいに晴れていたのに、夜明け頃になって小雨が降り出すことがあります。
この雨は長続きせずに、すぐにやみます。
女の腕まくりと同じで、大した雨ではないということですね。


海朝日

「上げ潮どきに降り出した雨はやまない」

 

引き潮どきに降り出した雨は、間もなく止むが、満ち潮時に降り出した雨は1、2日続く。
この雨が止むのも、引き潮のときが多いということです。

 

 

「秋の空は一日七度変わる

 

秋の空は、晴れていたかと思うと、突然曇ったり、急に雨が降ったりする。
この変わりやすいお天気を「女心と秋の空」ともたとえられます。

 

 

 

「上下の雲が正反対に流れるときは風雨がある」

 

空を見てこんな状態になっていたら、要注意ですね。

 

 

 

 

漁師さんの生活は、天候とは切っても切れないものですね。

天候には特に気を使います。

漁師さんの父祖代々伝わるという天気観測法をご紹介しました。

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海と島の夕陽

 

 

 

 

 

 

 

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