時計は天智天皇の御代から始まる
おはようございます。
今日は「時の記念日」ですね。
日本の時計の歴史って、天智天皇の水時計に始まるということですから、
長い歴史があるのです。
日本書紀によれば、天智天皇の10年(671)4月25日、
初めて漏刻(ろうこく・水時計)が使用されたそうです。
この日が陽暦の6月10日にあたることから、
これを記念して「時の記念日」としました。
大正9年のことです。
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正確な時間を知ることが当時の人々にとって、
画期的で合理的な、とっても便利なことだったのです。
天皇(すめらぎ)の近江の宮に
造りおきし時のまにまに
御代も絶えせず
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さて、時は変わり、
16世紀半ば、日本初のゼンマイ時計が作られました。
名古屋の津田助左衛門という人が作りました。
その頃、ポルトガル人宣教師フランシスコ・ザビエルが周防の大内義隆に
ゼンマイ時計を献上しています。
名古屋の津田はそれをまねて、日本初の和時計を作ったといわれています。
フランシスコ・ザビエルは、
ガラス器も日本に最初に持ってきた人でしたね。
ザビエルは、日本にとっては、ガラスやゼンマイ時計という革命をもたらす
キーパーソンだったのですね。
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本日もお読みくださいまして、ありがとうございました。
幸せな一日になりますように。
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“和のたしな美塾” 講座。
6月20日は、
江戸庶民の「環境に優しいエコな生活術」から
女性の生き方を学ぶ。
7月7日は浴衣のたしな美で、
あでやかに若々しく見える所作とメイク&着付、
和食のテーブルマナーなどを行います。
詳しくはこちらをご覧ください。
→→ http://derivejapan.com/course/
暦の上での「入梅」は。
おはようございます。
雑節の一つ「入梅」。
暦の上では、今年は6月11日になっていますね。
「芒種(ぼうしゅ)」の後の最初の壬(みずのえ)の日と決まっています。
でも、「入梅」梅雨入りの日は実際には暦と異なり、毎年場所によっても違ってきます。
この入梅のころ、紫陽花や水芭蕉が咲いて、人は癒され、
梅の実は熟し始めて、梅を梅干しやお酒に漬け込むという少し先の楽しみも
与えてもらえます。
「芒種(ぼうしゅ)」というのは二十四節気の一つで、
田植えの時期として、農業には水が欠かせない季節でもありますね。
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今年の梅雨で思わぬ被害も出ていますが、
季節の巡りの中で自然はうまくしたものだと、つくづく思います。
良きことも悪しきことも、人は自然の中で受け入れざるをえません。
日本人がじっと耐える強さも、
この自然との共生の中で培われてきたものなのでしょうね。
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稲や実りの収穫まで、人力ではどうすることもできない天災、自然災害など、
収穫にたどり着くまで、多くの苦労があります。
その苦労が収穫の喜びとなるように、
日本の先祖たちは田の神に祈り、
感謝のためのさまざまな風習や芸能を生み出してきたのですね。
今年も豊作になりますようにお祈りします。
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本日もお読みくださいまして、ありがとうございました。
佳き一週間になりますように。
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アジサイの花言葉は「移り気」
おはようございます。
アジサイは、ネーミングの「紫陽花」から見ると、
まるで中国から渡来した花のように思えますが、
歴とした日本製です。
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アジサイの代表選手がヤマアジサイ。
花祭りのときにお釈迦様の像に降り注がれる甘茶の木もヤマアジサイの一種だそうです。
アジサイは七変化ともいわれますね。
アジサイの花の色は、
クロロフィル(葉緑素)
カロチノイド(黄の色素)
フラボン(白の色素)
この3つで構成されています。
この3つの要素の変化で紫陽花の色が変っていきます。
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クロロフィルが色あせるとカロチノイドが目立ってきて、
カロチノイドが分解され、フラボンが強くなると、青くなります。
この間、光合成によって葉が作った糖分が花のほうにいくと、
アシトシアン(赤の色素)に変わり、
その後、細胞液の酸でマグネシウムが分解し、
カリウムが結合して紫に変化します。
このようにアジサイの花は、緑、黄、青、赤、紫の順に変わっていくのだそうです。
この花の色の変化から「移り気」の花言葉が生まれたのですね。
これは変化に柔軟に対応できるということでもあると思うのです。
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アジサイは、この梅雨の時期に私たちの心を癒してくれる、鮮やかな彩りの花ですね。
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「つゆ空ゆ 陽はさしにけり てまりなす
あぢさいの花の色にいでつつ」(香取秀真)
と歌われたように、
古来から花を乾かして煎じて用いると、解熱の効果があると重宝されてきました。
こんな薬効もあったのですね。
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いずれにせよ、今の季節、アジサイを大いに楽しみましょう。
本日もお読みくださいまして、ありがとうございました。
お体に気を付けて、
佳き一日をお過ごしくださいませ。
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てるてる坊主
おはようございます。
今の時期、紫陽花の花が鮮やかですね。
水芭蕉も今の季節、風情があっていいですね。
六月の和風月名は「水無月」。
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沖縄に始まり、日本列島の南から梅雨入り宣言が出されました。
どうしてたっぷり雨が降る月なのに、水が無い月と言われているのでしょうね。
旧暦六月が酷暑の時期であることから、梅雨も終わり、水が涸れる時期を表した言葉だというふうにいわれています。
また「梅雨で天の水が無くなる月」だとも言われています。
毎日じっとり、雨降り続きでは、気が滅入りますね。
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てるてる坊主
てる坊主
あした天気にしておくれ~
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てるてる坊主は、もともと中国の風習です。
雨雲を帚で掃いて、晴れの気を呼ぶという日乞いの人形
「掃晴娘(そうせいじょう)」が日本ではてるてる坊主になりました。
日本では、昔、修験者や僧侶が日乞いをしていたため、
中国の女神様がいつの間にか、男性の人形、てるてる坊主になったのです。
てるてる坊主は、晴れたら目や鼻を描いて、お酒をお供えしてお礼を言うのが
決まりだったようです。
その後に川に流したそうですよ。
てるてる坊主さん、
雨さんを連れて行ってくれて、ありがとう
と、思いを込めて。
なんだか優しい気持ちになれますね。
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本日もお読みくださいまして、ありがとうございました。
お体に気を付けて、
佳き一日をお過ごしくださいませ。
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抹茶の由来とその効用
おはようございます。
昔は丁稚奉公の丁稚さんが、朝、滋養と強壮、眠気を覚ますために抹茶を飲んで
働いたという話を聞いたことがあります。
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もともと「抹茶を飲む」というのは、
禅僧が修行中眠気を覚ますために大切なものとされていたようです。
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日本に初めて抹茶を取り入れたのは、禅僧の栄西(1141~1215)でした。
27歳のときに宋に渡った栄西は、そのときたった50日しか滞在することができなかったそうです。
その後、禅の奥義を極めたく、4年後にインドに向けて船出しました。
ところが、船は宋に着いたため、そのまま4年間、宋に滞在したのです。
そして、禅の教義を学び、手には抹茶を携えて帰国しました。
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人一倍修業熱心だった栄西は、抹茶が修業には不可欠だと思っていたのですね。
帰国後、佐賀県背振山に茶の種をまきました。
その地名の石上(いわがみ)にちなんで、「石上茶」と呼ばれたのです。
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思いというのは、ちゃんと次の世代に受け継がれていくものですね。
栄西の思いをしっかりと受け止めたのは、明恵上人でした。
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栄西から茶の種を贈られた明恵は、それ以後、日本国内にこの茶の種を広めていったのです。
京都の仁和寺、奈良、三重、静岡などにも植えられ、全国的に茶の栽培が盛んになっていきました。
足利義満将軍は、ことのほか茶の湯にも熱心で、
「宇治茶」は、義満将軍のおかげで本場京都での名声を高くしていったのです。
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その後、大名、武士の間で茶の湯が盛んに行われるようになってなっていきましたね。
更に、武士の喫茶の習慣が次第に町人や農民にまで広まっていきました。
農民の茶寄り合いでも茶会を開くようにまでなっていったということです。
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元々、抹茶は眠気を覚まし、滋養と強壮剤としての役目をしていたのですね。
今度、6月8日の「浴衣のたしな美」講座でも、中間に抹茶を飲むコーナーを
もうけました。
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書家の林拓鶯さんのお話を聞きながら、味わい深いお茶をいただきたいと思っています。
よろしければ、どうぞご参加ください。
本日もお読みくださいまして、ありがとうございました。
佳き一日をお過ごしくださいませ。
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“浴衣のたしな美”講座
6月8日は、書家林拓鶯さんのお話があります。
7月7日の”浴衣のたしな美”講座は
若々しく見えるポーズとメイク、
和食のテーブルマナーなどを行います。
“和のたしな美塾” 講座。
6月20日は、
江戸庶民の生活術に学ぶ「環境に優しいエコな生活術」
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「十干十二支」って、何でしょう。
おはようございます。
年・月・日・方位を表すのに今も使われているのが「十干十二支」です。
遠いようでいて、意外と身近で使われていますよね。
「あなたは、なに年ですか。」なんて、よく尋ねられますね。
十二支は、「子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥」を表します。
十干は、「甲(きのえ)・乙(きのと)・丙(ひのえ)・丁(ひのと)・戊(つちの
え)・己(つちのと)・庚(かのえ)・辛(かのと)・壬(みずのえ)・癸(みずの
と)」を表します。
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例えば、
今年2014年は、「甲午(きのえうま)」の年です。
野球場の甲子園は、「甲子(きのえね)」の年につくられました。
戊辰戦争は、「戊辰(つちのえたつ)」の年に起こったことからこう名付けられました。
面白いですね。
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この十干十二支を掛け合わせたものが干支で、「兄弟(えと)」とも呼ばれ、
古代中国から伝わった陰陽五行を取り入れて、
組み合わせは60に及び、「六十干支(ろくじっかん)」といいます。
「甲子(きのえね)」から始まり、
「癸亥(みずのとい)」の60年まで数えます。
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これが満60歳を祝う「還暦」です。
「本卦還り(ほんけがえり)」とも呼ばれます。
61年目で一巡して、元にもどって、最初から数え直します。
江戸時代の人の寿命は短く、60年生きることができれば長生きでした。
60歳になって還暦のお祝いをするときに、赤いちゃんちゃんこを着るのが習わしでしたね。
赤い色は、「赤ちゃんに還る」という意味と「魔除け」の意味があるそうで、
「赤い頭巾、赤いちゃんちゃんこ、赤い座布団、扇子」などを用意して、
生まれ変わった気持で、さらに長寿をという願いを込めて一族の長老の還暦を一同が集まって祝ったものです。
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『船頭さん』という歌の歌詞には、
「村の渡しの船頭さんは 今年六十のお爺さん・・」とあります。
今は寿命も長くなり、60歳といってもまだまだ若々しく、現役で働ける年齢でもありますね。
ぜひ生涯現役で、輝いていていただきたいと祈っています。
本日もお読みくださいまして、ありがとうございました。
心静かな一日をお過ごしくださいませ。
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農業のための暦「二十四節気」
おはようございます。
今はいろんな野菜を遠方から取り寄せて売っていますが、
江戸では「野菜は四里四方(よりしほう)」といって、
だいたい四里(約16Km)以内のところから葉物などの野菜が供給されていました。
ですから、ちょっと足を伸ばせばそこには農地があって、農業は大切な産業でした。
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昨日書きました「太陰暦(旧暦)」では、どうも農業などの種まきや収穫など、
季節とともにある仕事にとっては、目安となるべき暦が季節と違っているということもありました。
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そこで、この暦とともに、
太陽の1年の動きを24分割して、
季節を表す「二十四節気(にじゅうしせっき)」というものをもうけて、
この太陰暦と併用したのです。
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まず、太陽の軌道から夏至とその逆の冬至、その中間の春分を割り出します。
さらにそれぞれの中間地点を立春、立夏、立秋、立冬としました。
二十四節気では、それをさらに三等分して、より詳しく季節の移り変わりがわかるように名前を付けました。
また、一節気を5日ごとに三等分して微妙な変化を表したのが「七十二候」です。
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二十四節気では、
一つ一つその時期の象徴的な動植物の動きや天候を表して、
農業や暮らしの目安となるように伝えました。
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「立春」は、雑節を数える基準にもなっています。
種まきに最適な季節とする「八十八夜」。
「八十八夜の別れ霜」と言われるように、
八十八夜を過ぎればもう霜の被害が出ることはないと言われていますね。
また、台風への注意を促す「二百十日」も立春から数えられています。
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江戸っ子は、「太陰暦」という月の満ち欠けで分かる日にちのカレンダーを使って、
商売の掛け金の支払の期日や三社祭、神田祭りなど決まった祭りの月日などで確認をしました。
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そして、「二十四節気」という季節のカレンダーを使って
「もうすぐ八十八夜だから田植えの季節だねえ」などどとらえていたのです。
この二つをうまく使いこなしていたというわけです。
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本日もお読みくださいまして、ありがとうございました。
幸多き一日をお過ごしくださいませ。
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月の満ち欠けを基準にした江戸の「太陰暦」
おはようございます。
現在私たちが使っているのは「太陽暦」です。
これは太陽の1年の動きをもとにして作った暦で、1年間を365日としていますね。
当たり前のように思って使っていますよね。
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江戸時代には「太陰暦(旧暦、陰暦、太陽太陰歴)」というものを使っていました。
これは月の満ち欠けを基準にした暦です。
毎月、新月の日を朔日(ついたち)として、
月の前半は上弦で、満月は15日、
月の後半は下弦で、月が見えなくなったら月末という具合です。
ひと月のサイクルは、約29.5日なのです。
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江戸時代の人たちは、夜空を見上げて月の満ち欠けを見ていれば、
今日は何日だというのが分かったということです。
十五夜というのは、15日目だから満月。
三日月というのは、新月から3日目の月。
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街灯のない江戸の町では、お月様は特に重要で、
明るい満月の夜に用事を済ませるというふうにしていたそうです。
日中はお天道様を拝み、夜はお月様のおかげで生きていたのですね。
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ひと月が29.5日だとすると、半端な計算になりますので、
29日(小の月)と30日(大の月)の二つの月をつくりました。
それを「大小歴」という、一目で分かる暦にしました。
これでいくと、一年が354日になるので、2年半に一度ぐらい、
1年を13ヶ月にして閏月(うるうづき)をもうけて調整をしたそうです。
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きっと暦には、数字や文字が書いてあって、
閏月も分かるように、絵も入っていたのでしょう。
絵の中に数字が書かれたこの「大小歴」は人気があったようですよ。
現代とはちょっと季節感の異なる太陰暦ですね。
先日の「五月晴れ」などは、太陰暦5月ですから梅雨の季節であり、
梅雨の合間の空を表現した言葉だったのです。
明日は、「二十四節気」について考えてみたいと思います。
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本日もお読みくださいまして、ありがとうございました。
素晴らしい一週間をお過ごしくださいませ。
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今日は、浅草の三社祭
おはようございます。
浅草の「三社祭」が今行われています。
明日18日までです。
祭り好きにはたまらない江戸祭りが始まりました。
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浅草の「三社祭」は、浅草浅草寺境内にある浅草神社の浅草例大祭です。
浅草寺の歴史は古く、推古天皇の628年に、
宮戸川(隅田川)で漁をしていた漁師が投げた網に観音様(聖観世音菩薩)がかかり、
三人が深く帰依してお堂を建ててお祀りしたことに始まります。
後にこの三人が「三社権現」として祀られたことが浅草神社の始まりです。
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神輿担ぎでは、掛け声はとっても大事ですね。
お祭りによって、それぞれのカラーも発揮するために掛け声も変ってきますね。
三社祭では、「セイヤ ソイヤ」と威勢のいい掛け声が聞かれますが、
その上、
「喧嘩神輿」という、上下に激しく神輿を振る「浅草担ぎ」をするということです。
「火事と喧嘩は江戸の華」で知られる、さすが江戸っ子。
神輿担ぎにも威勢の良さを発揮していますね。
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「ワッショイ ワッショイ」がポピュラーですが、
これは「我一緒」「和一緒」という意味からきています。
お祭りは、みんなで一つになって作り上げるもの、盛り上げるものという考えがありますね。
江戸っ子も組ごとに町づくりをして、自分の町の自治をとっても大切にしていました。
お年寄りにも食べるものに困っている人にも優しいコミュニティー。
心が温かくなりますね。
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本日もお読みくださいまして、ありがとうございました。
素敵な週末をお過ごしくださいませ。
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「五月晴れ」とは、陰暦五月から見ると・・・
おはようございます。
五月は、陰暦では、皐月(さつき)といいました。
この「さつき」というのは、早苗月(さなえづき)、つまり早苗を植える月の意味で、
古来から言われているようです。
ほかの旧暦の月名が口の端にのぼらなくなっている中で、
「さつき」は現代までも生き続けている言葉といえますね。
「五月晴れ」「五月空」「五月曇り」など、聞いたことがありませんか。
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陰暦五月は梅雨の季節にあたり、
「五月晴れ」は梅雨の合間の晴れ空、あるいは梅雨明けの晴天を指し、
「五月空」は梅雨空を指し、
「五月曇り」は五月雨のころの曇りがちな空のことを指します。
行楽を連想させる現代の「五月晴れ」「五月空」などとは、大分趣きが異なっていたようです。
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さて、五月の異名としては、
おたくさ月
賤男染(しずのおぞめ)月
田草月
橘月
仲夏
授雲(さくも)
啓明
星火
などがあります。
「おたくさ」は「長崎紫陽花(あじさい)」のこと、
「啓明」は明けの明星、金星のこと。
「仲夏」は夏三月の真ん中のこと
です。
ほとんど聞いたことがない言葉ですが、
調べてみれば、なるほどと思えるものがありますね。
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江戸では、朝顔、ヘチマ、茄子、胡瓜などの苗を売り歩く「苗売り」がやってきました。
天秤棒を担いで行商して歩く、のどかな呼び声は初夏の情緒を感じさせるものでした。
現代の下町のように、軒先で鉢植えを楽しんだのでしょうか。
朝顔など花の栽培に庶民は心踊らせていました。
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本日も最後までお読みくださいまして、ありがとうございます。
今日も幸多き一日になりますように。