おはようございます。
昔は丁稚奉公の丁稚さんが、朝、滋養と強壮、眠気を覚ますために抹茶を飲んで
働いたという話を聞いたことがあります。
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もともと「抹茶を飲む」というのは、
禅僧が修行中眠気を覚ますために大切なものとされていたようです。
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日本に初めて抹茶を取り入れたのは、禅僧の栄西(1141~1215)でした。
27歳のときに宋に渡った栄西は、そのときたった50日しか滞在することができなかったそうです。
その後、禅の奥義を極めたく、4年後にインドに向けて船出しました。
ところが、船は宋に着いたため、そのまま4年間、宋に滞在したのです。
そして、禅の教義を学び、手には抹茶を携えて帰国しました。
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人一倍修業熱心だった栄西は、抹茶が修業には不可欠だと思っていたのですね。
帰国後、佐賀県背振山に茶の種をまきました。
その地名の石上(いわがみ)にちなんで、「石上茶」と呼ばれたのです。
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思いというのは、ちゃんと次の世代に受け継がれていくものですね。
栄西の思いをしっかりと受け止めたのは、明恵上人でした。
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栄西から茶の種を贈られた明恵は、それ以後、日本国内にこの茶の種を広めていったのです。
京都の仁和寺、奈良、三重、静岡などにも植えられ、全国的に茶の栽培が盛んになっていきました。
足利義満将軍は、ことのほか茶の湯にも熱心で、
「宇治茶」は、義満将軍のおかげで本場京都での名声を高くしていったのです。
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その後、大名、武士の間で茶の湯が盛んに行われるようになってなっていきましたね。
更に、武士の喫茶の習慣が次第に町人や農民にまで広まっていきました。
農民の茶寄り合いでも茶会を開くようにまでなっていったということです。
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元々、抹茶は眠気を覚まし、滋養と強壮剤としての役目をしていたのですね。
今度、6月8日の「浴衣のたしな美」講座でも、中間に抹茶を飲むコーナーを
もうけました。
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書家の林拓鶯さんのお話を聞きながら、味わい深いお茶をいただきたいと思っています。
よろしければ、どうぞご参加ください。
本日もお読みくださいまして、ありがとうございました。
佳き一日をお過ごしくださいませ。
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“浴衣のたしな美”講座
6月8日は、書家林拓鶯さんのお話があります。
7月7日の”浴衣のたしな美”講座は
若々しく見えるポーズとメイク、
和食のテーブルマナーなどを行います。
“和のたしな美塾” 講座。
6月20日は、
江戸庶民の生活術に学ぶ「環境に優しいエコな生活術」
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