新茶の香り
おはようございます。
新茶の香 真昼の眠気 転じたり (小林一茶)
新茶のことを「走り茶」とも言います。
新茶が出回ると、前年のお茶は古茶となるのですね。
お茶は温暖な土地で育ちますよね。
生産量が最も多いのは静岡県で、やぶきた茶、牧之原茶、川根茶が有名です。
次は、鹿児島県のかごしま茶で知覧茶(ちらんちゃ)がよく知られています。
次いで、三重県の伊勢茶、京都の宇治茶、福岡県の知覧茶(やめちゃ)などが続きます。
このほか、この辺だと埼玉県の狭山茶、そして佐賀県の嬉野茶など、
八十八夜を過ぎると、お茶好きにはたまらない新茶が各地から続々と出荷されますね。
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香気があり、新鮮な風味の新茶を、和菓子とともに味わいたいですね。
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茶道の私の師匠は小学校でお茶を教えていますが、
子どもたちがお茶を始めるきっかけは、
男の子も女の子も
「和菓子を食べたいから」だそうです。
芸術品のような季節をうつした美しい形と色。
日本人のものづくりを大切にする気質と繊細な感性が結晶したものです。
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今は残念ながら、
和菓子の専門店が少しずつ陰をひそめていってます。
高価なものでもありますし、
お茶菓子として他のものでまかなっている人も多いですよね。
需要がどうしても少なくなっているのでしょう。
お抹茶や季節の新茶には、是非和菓子を買い求めたいものですね。
今日も最後までお読みくださいまして、ありがとうございます。
今日も佳き一日をお過ごしになりますように。
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夏も近づく八十八夜
おはようございます。
「夏も近づく八十八夜
野にも山にも若葉が茂る」
立春から数えて88日目を「八十八夜」といいます。
今年は5月2日になりそうです。
「夏も近づく八十八夜 野にも山にも若葉が茂る」
と、茶摘み歌にもあるように、
お茶の新芽が萌え出し、茶摘みが始まる時です。
古来、「お茶は養生の仙薬」と言われ、
八十八夜に摘み取ったお茶は不老長寿の新茶として、
とてもおめでたいものだったそうです。
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お茶摘みは八十八夜の一番茶、
七月前後の二番茶、
七月中旬から八月下旬の三番茶と、
年三回行われますが、
やはり一番茶は若々しい香りに満ちて、美味しさも格別ですね。
一杯の香しいお茶は、人と人との心をつなぎます。
まさに茶道はおもてなしの極致ですね。
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どうも江戸の裏長屋の八っあんも、日常的にお茶を飲んでいたらしいのです。
文政年間、1828年、鈴木牧之は、女性しかいない家で、
その家の女性が紙袋から茶葉を出して、それを煮出したものをごちそうになったそうです。
新潟県と長野県にまたがる秋山という山深い、そんな土地でもお茶を飲んでいたのですね。
客人のもてなしにお茶が使われていたとは。(『秋山紀行』)
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日本人はお茶好きですね。
今日もお茶を一杯。
心が安らかになりますね。
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本日も最後までお読みくださいまして、ありがとうございます。
ゴールデンウィークの真っ最中、楽しい一日になりますように。
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“和のたしな美塾” 講座。
5月は少し趣向を変えて江戸吉原のお話をします。
どうぞ遊びにいらしてくださいね。
→→ http://derivejapan.com/course/
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花を弄すれば、香り衣に満つ〜お茶席でのおもてなし
おはようございます。
お茶席では、掛軸も花もお釜も屏風もすべてその日の客人のためのおもてなしの心の表れとされていますね。
掛軸に表す言葉、そのものも、おもてなしの心です。
昨年の横浜三渓園でのお茶会で、
私の師匠がお茶席のために用意した掛軸です。
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「弄花香満衣(はなをろうすれば、かおりころもにみつ)」
待ち望んでいた春になって、野にいでて花を摘めば、
その花の香りが着物の袖にほのかに移るようです。
明るい春の陽射しの中で、香しい甘い香りを、心から愛おしむような句ですね。
寒さにじっと耐えていた冬がやっと終わり、雪が解け、
小川のせせらぎが聞こえる中で摘む花の初々しさと香しさ。
それを想像するお客様をほんわかした思いに誘いますね・・。
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もともと、これは唐の詩人、干良史の詩「春山夜月」の一句です。
臨済禅の祖、南宋の虚堂智愚(きどうちぐ)禅師が禅的に解釈して提唱に使ったために、
禅語になったということです。
実はこの句の前に、
「掬水月在手(みずをきくすれば、つきてにあり)」という句があります。
非常に高いところにあって手に取ることのできないお月さまを、
水を手ですくうと、自分の手のひらの中に映るのです。
お月さまは今私の手のひらで煌煌と光を放っています。
何と素晴らしいことでしょうか。
禅の提唱に使うほどの言葉ですから、この言葉にも深い意味がありそうですね。
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原因があって結果があるのだから、
ただぼんやりしていたのでは何の結果も得られないのだよ。
花を摘んでもてあそばなければ、花の香りが着物の袖に移ることも、
水を手にすくわなければ、お月さまが手に入ることもないのだよ、
ということです。
結果をあれこれと案じるよりも、まず何らかの行動を起こしなさい。
そうしなければ結果は得られませんよ。
思い悩むより、まずは実行しなさい。
背中をポンと押してくれる、
そんな含蓄が込められているように思います。
時には、思い切って行動してみることが大切ですね。
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本日も最後までお読みいただきまして、ありがとうございます。
心晴れやかに、最高の一日をお過ごしくださいませ。
「糟糠の妻」って、聞いたことがありますか
おはようございます。
今日も“和のたしな美塾”®から
たしな美人「和の雑学」をお届けいたします。♡
ご自分の奥さんのことを
「糟糠(そうこう)の妻です。」
こんな紹介をする男性が今いらっしゃるでしょうか。
「愚妻です。」
と、へりくだってご紹介する男性は今も多くいらっしゃることでしょう。
「糟糠の妻」とは、「ぬかみそ女房」をもっと味わい深い意味合いで表現した、そんな言葉ですね。
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社会的地位のある人が、若いときに苦労をともにしてきた自分の妻を紹介するときなどに使う「糟糠の妻」。
この言葉は『後漢書』の「宋弘伝」に基づいたものです。
後漢の光武帝に宋弘という家来がいました。
宋弘はなかなかのハンサムだったので、光武帝の姉で未亡人の湖陽が、彼を見初め、脈があるかどうかを聞いてみてくれと、光武帝に頼んだということです。
そこで、光武帝は宋弘に「『身分が高くなったら友人をかえ、豊かになったら妻をかえる』というが、どう思うか。」と尋ねました。
すると、宋弘は、「いや、『貧賎の交わりは忘るべからず、糟糠の妻は堂より下さず』というのが正しいと思います。」と答えました。
貧しいときに交わった友は忘れてはならず、貧しい生活をともにした妻は、正堂から下ろして離縁するようなことはしないと聞いていますと、答えたのです。
光武帝もこれを聞いてあきらめたそうです。
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「糟糠」とは、酒粕と米のぬかで、粗末な食事のことです。
毅然として応じた宋弘に、さすがの光武帝も、もうたじたじで何も言えなかったのでしょうね。
長年連れ添っていれば、いろんなことがあるのが夫婦だと思うのですが、
苦楽をともにしてきた妻へのいたわりと感謝の思いがよくにじみ出た言葉ですね。
間違っても、人前では「うちの恐妻です。」なんて、言わないでくださいね。
江戸っ子なら、「うちのかかあです。」と言ったでしょうけど。
本日も最後までお読みいただきまして、ありがとうございます。
今日も爽やかな一日をお過ごしくださいね。
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姿やさしく色美しく〜4月の異名〜
おはようございます。
周りの大自然が躍動感に溢れ、待ちに待った春を謳歌する季節ですね。
文部省唱歌『春の小川』は、実は二度、歌詞の変更がありました。
一番だけでも微妙に変っているのですよね。
1912年尋常小学校唱歌(初代)
春の小川はさらさら流る。
岸のすみれや、れんげの花に、
にほひめでたく、色うつくしく
咲けよ咲けよと、ささやく如く。
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1942年国民学校初等科教育唱歌(二代目)
春の小川は、さらさら行くよ。
岸のすみれや、れんげの花に、
すがたやさしく、色うつくしく
咲いてゐるねと、ささやきながら。
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1947年現代版文部省唱歌(三代目)
春の小川は、さらさら行くよ。
岸のすみれや、れんげの花に、
すがたやさしく、色うつくしく
咲けよ咲けよと、ささやきながら。
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旧暦4月は、もう既に夏で、衣替えの季節です。
新暦では、春たけなわのこの時期、野山も新緑に覆われ、
大地や野に咲く花も可憐で、一層愛おしくなりますね。
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4月の異名について見ていきましょうね。
十二支で四番目にあたるので「卯月(うづき)」といわれます。
稲穂を植える月なので「植月(うつき)」ともいわれています。
新井白石は、面白いことを言っています。
卯月に咲くから卯の花というのであって、卯の花が咲くから卯月というのではない。
~新井白石の語源の注釈書(『東雅』)より~
「卯の花」というのは、童謡『夏は来ぬ』では初夏の歌として歌われています。
そうか、旧暦で言えば、夏なのですね。
4月の異名、そのほかには、
余月
卯花月
花残月
始夏月
六陽
純乾
修景
などなどがあります。
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春の気候は変わり目の時期。
眠ったような冬から活動の季節に入るので、気象の変化が身体にも複雑に影響します。
脳下垂体の機能が高まり、性ホルモンの分泌なども盛んになります。
子どもたちはこの時期、身長が伸びるといいます。お子さんに注目してみてください。
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更に、この時期は寒暖の差が激しいのに加えて、心もウキウキ状態からイライラするような不安定な状態にもなるということです。
精神病やノイローゼも出やすいので、周りの人への配慮も必要ですね。
風邪も引きやすい時期ですので、オーバーやコートなどもうまく組み合わせてくださいね。
本日も最後までお読みいただきまして、ありがとうございます。
今日も幸せな一日をお過ごしくださいね。
「袖すり合うも他生の縁」とは
おはようございます。
今日も“和のたしな美塾”®から
たしな美人「和の雑学」をお届けいたします。♡
「袖振り合うも他生(多生)の縁」
「他生(多生)の縁」とは、
何度も生まれ変わるという輪廻転生(りんねてんしょう)の中での縁という意味です。
「他生(多生)」は「多少」とは書きませんね。
知らない人とたまたま道で袖が触れ合うようなちょっとしたことも、
それは前世からの深い因縁があってのことだと、昔の人は考えました。
昔は着物を着ていましたから、
往来などで人とすれ違い際に袖が触れ合うというのも、ごく自然のことでした。
「袖」にまつわる言葉もたくさんありますね。それはまた後日に・・。
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どんな小さなこと、些細なこと、人との関わり、会話、交渉事、いやなこと、
すべて偶然に起こることではなくて、前世からの関わり、因縁によって起こることと考えていました。
今目の前にアブがいて、ブンブンいってうるさいなあと思っても、
これは前世では自分の親父だったかもしれない、自分も来世ではアブになるかもしれないと、
本気で江戸の人は思っていたそうです。
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Eriko Watanobeさんとの出会い。エルダーフラワーソーダで乾杯。
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現代では、ラッシュ時に袖が触れ合うどころか、ぎゅうぎゅう押し合いへし合いの中で、
そんな悠長な思いにひたってはいられないかもしれません。
でも、日常の中で偶然だと思っている出会いはたくさんありますね。
せっかくの出会いなのだから、あの時のランチ会で出会った人、
今日は気が進まないけれど、どうしても会わなければいけない人、
そういう束の間の出会いやお付き合いでも大切にしようということですね。
その場限りでも自分がこの人を大事にしよう、人間関係を円滑にしようと思ったら、
和やかな雰囲気になりますものね。
ハッピーな時間を過ごすことができます。
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Eriko Watanobeさんお勧めのハーブサラダ。
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昨日お会いした Eriko Watanobeさん。
ベトナムのホーチミン市在住の方です。
Facebookがなければ出会うことはなかっただろうと思う方のお一人です。
着物について精通されていて、着物の縫製に長くかかわってこられました。
「運針縫い」手縫いの大切さをおっしゃっておられます。
今はどんなにミシンや機械での縫製が可能になったとはいえ、
人の手の温もりで縫われた着物にはかないません。
それは着る人の肌が知っているのです。
素敵な出会いに心から感謝しています。
“和のたしな美塾” 同様、
人のこころを大切にしてお仕事をされていることにとても共感を覚えます。
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樋口一葉の『やみ夜』(1894)にはこんな引用があります。
「袖すり合うも他生の縁と聞くを、かりそめながら十日ごしも見馴れては他処の人とは思はれぬ」
赤の他人と思っていたけれど、いつの間にかその人に親しみがわいてきた。
この人とは実は深い縁があったのだろう。
「袖振り合うも他生(多生)の縁」とはよく言ったものだということでしょうか。
人との出会いの神秘。
心からありがとうございます。
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銀座イタリアン GIAG GIOLOにて。
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本日も最後までお読みいただきまして、ありがとうございます。
今日も素晴らしい一日をスタートしましたね。
増上寺の献茶式に参列して
おはようございます。
昨日は、芝、大門の増上寺の献茶式に行ってまいりました。
浄土宗宗祖法然上人の命日の法要ということで、表千家の堀内宗完宗匠によって
ご本尊の阿弥陀如来と法然上人にお茶が献ぜられました。
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桜の花が満開で、
朱塗りの建物やすぐそばにそびえる東京タワーの赤い色と桜の花がうまくマッチして、
素晴らしい風景を見ることができました。
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元々は正月25日が法然上人の命日で、正月に一週間、御忌献茶式として修されたようですが、
明治ごろから4月に営まれるようになったそうです。
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御忌献茶式は今年で31回目を迎えました。
昭和57年、法然上人の降誕850年慶讃法要から始まったのがこの献茶式です。
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増上寺は、徳川家の菩提寺として、六人の将軍(二代秀忠公、六代家宣公、七代家継公、九代家重公、十二代家慶公、十四代家茂公)の墓所がもうけられています。
そこには各将軍の正室と側室のお墓ももうけられていますが、家茂公の正室で悲劇の皇女として知られる和宮のお墓もあるということです。
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昭和20年に空襲によって、三解脱門や黒門などを除きほとんど増上寺の建物は消失したのですが、
その後復興を遂げ、現在に至っているのですね。
「三解脱門(さんげだつもん)」は、三つの煩悩であるむさぼり、いかり、おろかさを解脱する門のことだそうです。
この門をくぐることによって、三毒(三つの煩悩、貪・瞋・痴)が解脱できるとされています。
今抱いている悩みを解消したいなあという時に、この門をくぐって、三毒を解脱できるといいですよね。
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本日もお読みくださいまして、ありがとうございます。
東京は桜の花びらが散る様さえも美しい季節です。
今日も佳き一日になりますように。
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エイプリル・フールを迎えた日本の朝
おはようございます。
今日は、「エイプリル・フール」。
今日こそ「エイプリル・フール」であってほしいです。
消費税アップで、日本中朝から気ぜわしいですね。
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「エイプリル・フール」は、
18世紀ごろから西洋で行われる風習で、この日の午前中は社会に悪影響がない限り、
どんな嘘をついてもとがめられないという、いたずらが許される日とされています。
この日のいわれについては、いろいろな説があります。
その一つは、暦の変更にまつわる説で、フランス起源説です。
16世紀頃まではヨーロッパでは新年が今の3月25日にあたり、
この日から4月1日まで春分の祭りが行われ、
その最後の日には贈り物を交換する習慣があったそうです。
ところが、フランスのシャルル9世が、1564年に新しい暦を採用して、
新年を1月1日に改めました。
しかし、旧教徒の人々は、この改正を不服に思い、
4月1日の昔の正月をしのんで、
昔同様の新年のまねごとをしてふざけあって楽しんだのが起こりで、
それが次第に西洋の各国に広がって今日に至ったというのです。
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また一説には、東洋起源説として、
インドの仏教徒は、3月末の一週間、苦行をすることになっていますが、
その行が終わると、またもとの凡人に返ってしまうのを戒めようとする「揶揄節(やゆせつ)」から起こったともいわれています。
更に、これは面白い有名な話ですが、
1815年6月18日、ナポレオンが、前戦からの手紙をエイプリル・フールの悪ふざけと思い、
くずかごに放り込んでおいたため、援軍が間に合わなかったので、
ワーテルローの戦いで敗北したのだということです。
悪ふざけも度が過ぎると、大変なことになりますね。
日本は今日から消費税8パーセントにアップがスタートしました。
せめて午前中だけでも、5パーセントでいいのよと、そんなジョークが許されると
いいですね。
本日もお読みくださいまして、ありがとうございます。
春やよい〜3月の異名とは
おはようございます。
3月の異名は「弥生(やよい)」といいますね。
すべての草木が、春の暖かい陽気に恵まれて、弥生(いやよ)い育つという意味があります。
「やよい」という言葉が使われた古い文書は、『日本書紀』だそうです。
神武天皇のところに出てきます。
乙卯年(きのとうのとし)春三月(やよい)
甲寅(きのえとら)朔(ついたち)己未(つちのとひつじ)、
場所を移って吉備の国に徒(うつ)り入り、
行館(かりみや)を起(つく)り以ちて居(いま)しき。
とあります。
ふう~、読むのが大変ですね。
3月も別名がこんなにあるのには驚きます。
花月
嘉月
桜月
蚕(さん)月
桃月
病(やまい)月
花津月
晩春
青草
桃緑
清明
穀雨
中和
花飛(かひ)
まだまだあります。
穀雨は穀物を育てる雨のこと。
清明は清々しく明るい空気が満ち満ちていること。
奈良東大寺二月堂の「お水取り」の行法が昨日12日深夜(13日の午前1時半ごろ)行われました。
福井県の若狭の神宮寺の水が地下水路を通って東大寺の井戸に届くという伝説があります。
これについては、いつかまた・・。
「寒さ熱さもお水取り」といわれるそうです。
いよいよ暖かくなる兆しをぐっと感じますね。
観音様にお供えするのは「お香水」「閼伽(あか)」といわれています。
仏具や道場、身体を清めるための水であり、仏前にお供えする水のことです。
水は祓い清めのために、古来から日本では使われてきました。
水が美味しくて、飲み水をお風呂にも使っている贅沢な国、日本。
水に感謝し、この弥生月の天地自然に感謝して、
今日も心豊かな一日を過ごしていきたいですね。
本日もお読みくださいまして、ありがとうございました。
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今日は「雨水」だから『早春賦』が似合う
おはようございます。
今日は「雨水(うすい)」と呼ばれる日です。
立春から15日目で、二十四節気の一つです。
これからは、雪が降ったり凍ったりしていた季節がゆるんで、水分が雨水になるというのです。
やっと早春の気が立ち始めていくそうです。
嬉しいですね。
各地で起こっているこの異常な豪雪が、これでやっとおさまっていけばいいですね。
心からそう願っています。
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『早春賦』をお贈りします。
この優しい音色が心を暖かくしてくれます。
どんなに雪が積もっていても、樹木の根元や石の上などから雪が解けていっています。
彼らは生きているのだなあ、
しっかりと気を回りに放射しているのだなあ、
ということに、ふと気づかされます。
生きているのは、人間だけではない。
自然もともに息をして生きているのですね。
もっともっとそういうことが感じられるようになりたい。
そう思っています。
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今日もお気を付けてお出掛けくださませ。
幸せな一日をお過ごしになりますように。♡
本日もお読みくださり、ありがとうございます。
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