おはようございます。
今日も“和のたしな美塾”®から
たしな美人「和の雑学」をお届けいたします。♡
ご自分の奥さんのことを
「糟糠(そうこう)の妻です。」
こんな紹介をする男性が今いらっしゃるでしょうか。
「愚妻です。」
と、へりくだってご紹介する男性は今も多くいらっしゃることでしょう。
「糟糠の妻」とは、「ぬかみそ女房」をもっと味わい深い意味合いで表現した、そんな言葉ですね。
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社会的地位のある人が、若いときに苦労をともにしてきた自分の妻を紹介するときなどに使う「糟糠の妻」。
この言葉は『後漢書』の「宋弘伝」に基づいたものです。
後漢の光武帝に宋弘という家来がいました。
宋弘はなかなかのハンサムだったので、光武帝の姉で未亡人の湖陽が、彼を見初め、脈があるかどうかを聞いてみてくれと、光武帝に頼んだということです。
そこで、光武帝は宋弘に「『身分が高くなったら友人をかえ、豊かになったら妻をかえる』というが、どう思うか。」と尋ねました。
すると、宋弘は、「いや、『貧賎の交わりは忘るべからず、糟糠の妻は堂より下さず』というのが正しいと思います。」と答えました。
貧しいときに交わった友は忘れてはならず、貧しい生活をともにした妻は、正堂から下ろして離縁するようなことはしないと聞いていますと、答えたのです。
光武帝もこれを聞いてあきらめたそうです。
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「糟糠」とは、酒粕と米のぬかで、粗末な食事のことです。
毅然として応じた宋弘に、さすがの光武帝も、もうたじたじで何も言えなかったのでしょうね。
長年連れ添っていれば、いろんなことがあるのが夫婦だと思うのですが、
苦楽をともにしてきた妻へのいたわりと感謝の思いがよくにじみ出た言葉ですね。
間違っても、人前では「うちの恐妻です。」なんて、言わないでくださいね。
江戸っ子なら、「うちのかかあです。」と言ったでしょうけど。
本日も最後までお読みいただきまして、ありがとうございます。
今日も爽やかな一日をお過ごしくださいね。
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