おはようございます。
今はいろんな野菜を遠方から取り寄せて売っていますが、
江戸では「野菜は四里四方(よりしほう)」といって、
だいたい四里(約16Km)以内のところから葉物などの野菜が供給されていました。
ですから、ちょっと足を伸ばせばそこには農地があって、農業は大切な産業でした。
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昨日書きました「太陰暦(旧暦)」では、どうも農業などの種まきや収穫など、
季節とともにある仕事にとっては、目安となるべき暦が季節と違っているということもありました。
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そこで、この暦とともに、
太陽の1年の動きを24分割して、
季節を表す「二十四節気(にじゅうしせっき)」というものをもうけて、
この太陰暦と併用したのです。
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まず、太陽の軌道から夏至とその逆の冬至、その中間の春分を割り出します。
さらにそれぞれの中間地点を立春、立夏、立秋、立冬としました。
二十四節気では、それをさらに三等分して、より詳しく季節の移り変わりがわかるように名前を付けました。
また、一節気を5日ごとに三等分して微妙な変化を表したのが「七十二候」です。
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二十四節気では、
一つ一つその時期の象徴的な動植物の動きや天候を表して、
農業や暮らしの目安となるように伝えました。
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「立春」は、雑節を数える基準にもなっています。
種まきに最適な季節とする「八十八夜」。
「八十八夜の別れ霜」と言われるように、
八十八夜を過ぎればもう霜の被害が出ることはないと言われていますね。
また、台風への注意を促す「二百十日」も立春から数えられています。
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江戸っ子は、「太陰暦」という月の満ち欠けで分かる日にちのカレンダーを使って、
商売の掛け金の支払の期日や三社祭、神田祭りなど決まった祭りの月日などで確認をしました。
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そして、「二十四節気」という季節のカレンダーを使って
「もうすぐ八十八夜だから田植えの季節だねえ」などどとらえていたのです。
この二つをうまく使いこなしていたというわけです。
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本日もお読みくださいまして、ありがとうございました。
幸多き一日をお過ごしくださいませ。
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