年の初めこそ後ろ向きで
明けましておめでとうございます。
年の始めの 例(ためし)とて
終りなき世の めでたさを
松竹(まつたけ)たてて 門(かど)ごとに
祝(いは)ふ今日(きょう)こそ たのしけれ
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『一月一日』という明治期にできたこの曲は、
家族みんなが健康で無事に年を越せた喜びを表していますね。
年が改めると、「新しい年」ということで、
焦点を未来に定めて、過去の嫌なこと、悪いことは振り返らずに、
新しい自分を、新たな未来を創り上げていきたい思いで出発しますね。
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古い本を整理していたら、20年ぐらい前の「天声人語」の切抜きが出てきました。
過去は背後にあり、私たちの眼前には未来だけが存在しているように、
普通は考えていますが、
昔のギリシャの人々は逆に考えていたというのです。
過去と現在が前方にあって、見ることができるものであって、
見ることができない未来は背後にあるというのです。
私たちの目の前にあるのは未来だけと思うのは錯覚ではないのかと。
何せ見ることができない未来はどんな形か分からないのだから・・・。
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例えば、私たちが旅客機や列車に乗るとき、
前を向いて座席に座るより、後方を向いて座るほうが墜落や衝突事故のときに衝撃が少ないということです。
分厚くて重たい背中の筋肉や背骨が自分の内臓を強く圧迫してしまうので、
それを避けるためなのです。
これとて、意外ですね。
子供達には一番前の座席に座らせて、目の前の未知の世界を味わう体験させたいと、
大人ならだれしも思いますもの。
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写真:「はこせこ」現代に蘇らせる日本の伝統的刺繍〜田中京子さん
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未知の世界に起こるであろうことに常に毅然として立ち向かい、
高度成長を一致団結してやり遂げてきた日本の先人たちには、
後ろ向きの姿勢は衝撃的な考え方だと、だれしもが思うでしょう。
東北の大震災を契機にして、心の結びつきの大切さや心の豊かの見直しに、
多くの人が気づき、語り始めました。
過去と現在に目をそむけずに、家族、職場、地域などの人間関係や自分のあり方など
を見直していくときに入ったともいえると思います。
それはかつての日本人の生き方や考え方に目を向けていくことでもあります。
今まで築き上げてきた自分の「背骨」に大いなる自信を持って、未来を創り上げて
いきたいですね。
私たちの肉体には、人類の営々と築き上げてきた経験知がDNAとしてあるといわれています。
「自分の持っている無限の可能性を信じる」というのは、そういうことだと思うのです。
そこにあるのは、みな宇宙の存在から生まれた一かけらであるということ。
みな一つの大生命であるのだということ。
過去、現在から、未来へと続く、この命を輝かせ、大事に今年も生きていきましょう。
江戸文化や日本で行われてきたことなど、また書き綴っていきます。
今年も”和のたしな美塾”をどうぞよろしくお願い申し上げます。
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鏡餅にも福を願う思いがいっぱい
「鏡餅」に「お鏡餅」と「お」をつけているのを見かけました。
たしかに、神に捧げるという意味を表しているのですね。
昨日の記事の続きになります。
こちらをご覧ください。
↓ ↓
http://wanotashinami.com/2014/12/28/new-year/
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鏡餅は、白い和紙を敷いた三宝やお盆に大小の丸餅を重ねます。
そこに吉祥の意味が込められた飾り付けをするのです。
床の間などに1月11日の鏡開きまで飾ります。
丸い餅は、青い銅鏡だとか、豊穣の意味だとか、魂を表すといわれています。
鏡開きにはお供えをおろして、餅を割ってお汁粉にして食べますね。
歳神様(としがみさま)にお供えしたものを「直会(なおらい)」として、
神様と人間とがともに食事をする「神人共食」をするのです。
神力をいただくという意味があるのですね。
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鏡餅の上にのせるミカンは、橙(だいだい)で、
「代々」家督が続くようにとか、長寿を願ってという意味が込められています。
海老は、立派な髭と曲がった腰が老人に似ていることから、長寿のめでたさを表します。
楪(ゆずりは)は、新しい葉から古い葉が落ちることから、
この成長を見届けて家督を譲り、家系を絶やさないめでたさを願います。
昆布は、よろ昆布(よろこぶ)にかけています。
裏白(うらじろ)は、葉の裏が白いことから、後ろ暗いところがない清らかな心を表すとか、
常緑樹の長寿にあやかるためとも考えられています。
鏡餅で新年を祝うということは、やはり福の神をお招きし、
家運隆盛や子孫繁栄を願うということでもあるのですね。
良いお年をご家族の皆様とともにお迎えくださいませ。
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正月飾りにはそれぞれの謂れが
門松、しめ縄飾りや鏡餅など、いろいろいわれがあるようです。
門松は、歳神様(としがみさま)が我が家へおいでになるときに一休みするところです。
松は、「待つ」に通じるものであると同時に、
常緑樹でありどんな環境でも力強く成長する生命力の象徴として縁起の良いものとされていたようです。
門松でなくても、松の小枝を門口の両側につけるだけでもよいのですね。
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しめ縄は、不浄なものが入り込まないようにするものです。
ですから、玄関の入り口や神棚など、ここぞというところに飾るとよいのですね。
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鏡餅は、もともと祭祀のときに神様にお供えされてきたものです。
「鏡」というのは、古代の銅鏡が円形だったことからこの名を用いています。
そのまるい形が魂をかたどったものだといいますから、意味深いですね。
鏡餅の飾り方については、次にご紹介しますね。(つづく)
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お正月に福の神を招くには
年末年始を海外でお過ごしになる方も多いですよね。
お正月の準備もだいぶ簡素化されてきました。
それでも、できる範囲で清々しいお正月を迎えたいものですね。
お正月だけ降臨する神様が歳神様(としがみさま)です。
この神様は福の神です。
やっぱり我が家にもお呼びしたいですものね。
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神様は門松を目印にしておいでくださるそうです。
門松、しめ縄飾りや鏡餅など、実は飾るのに吉日というのがあります。
29日は、「二重苦」「苦の日」として嫌われています。
31日は、「一夜飾り」といわれ、神様を慌ただしく迎えるのが失礼だとされています。
そのため、28日、30日に飾るのが良いようです。
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福の神様、どうぞ我が家にもおいでくださいね。
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羽子板に込めた親心
中国思想の影響で、「邪気を払う」という風習が日本にはたくさんありますね。
「冬至」(昼がもっとも短く、夜がもっとも長いとされる日)に、
無病息災を願って、南瓜(かぼちゃ)を食べたり、柚子湯に入って
邪気を払い、無病息災を願うといわれています。
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「邪気を払う」ものは、ほかにもあります。
お正月の和風の女児の遊び道具、
羽根つき遊びの羽子板が、邪気を跳ね(羽根)返す板として、
女子の健やかな成長を願う人気の縁起物でした。
羽根は、「無患子(むくろじ)」という木の実に羽根を付けたものです。
この名にも、子供が病気をしないようにという願いが込められています。
東京浅草寺境内の「羽子板市」は人気ですね。
華やかな羽子板に、我が子を思う親心がそっと込められていたのですね。
今では羽子板で遊ぶ女児の姿を見かけなくなりました・・・。
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年賀状を書く
手紙のマナー
年賀状は書き終えましたか。
すべて印刷文字で年賀状を作る方も多いかと思いますが、
手書きで一筆添えると、受け取る側も嬉しいですね。
綺麗な字を書くポイントは、字の中心をそろえるということ。
そのためには、 「姿勢」が大切。
下半身を固定し、上半身が柔軟に動くようにすること。
できれば、正座をして机に向かうのがよいですね。
椅子に座って書く場合も、足の裏をしっかりと床につけて、
背筋を伸ばして紙に向かうとよいでしょう。
字は姿勢から。
そして、心のあり方を表すということでしょうか。
マスク美人の目は
言葉遣いも大事ですけど、
あなたのふとした時の「目つき」はエレガントですか。
ふとした瞬間に、人を見る目の中に、
剣で刺すようなものがあったら、
それは相手の心の中にずっと残ってしまいます。
人によっては心が傷ついてしまうかもしれません。
最近は風邪のため、予防のためにマスクをする人が多いですね。
目しか見えないときは、
相手に対して目の印象がとっても強くなります。
優しい表情をいつも心がけたいですね。
周りの人も穏やかな気持ちになれます。
それが、たしな美人。
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和風テーブルマナー講座
『今さら人には聞けないマナー』
日時:平成26年12月20日(土)午前10:30~12:00
http://wanotashinami.com/manner/
「即今」の意味するものは
お茶席で使われる禅語「即今々々 (そっこん そっこん)」。
桃山・江戸初期の禅僧江月宗玩の言葉です。
宗玩は、お茶を一服いただいた後に「即今」と書をしたためたといいます。
今この瞬間が大事であるのだ。
昨日は既に過ぎてしまって、明日は分からないのだから、今を精一杯生きなければならない。
今は過去と未来、始まりと終わりをつないでいる凝縮された
一点。
茶室でのこのお茶を飲む瞬間が人生のすべてであると。
この瞬間が幸せなら、人生は幸せ。
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今この瞬間が今を生きることのすべてであるなら、
例えば、スマホの手を止めて、目の前の人の話に耳を傾けることだって、
今を生きることになるということですね。
反省です・・。
美人の条件
「女は、女に生まれるのではない。女になるのだ」と言ったのは、ボーヴォワールです。
なるほど。それでは、
「美人は、美人に生まれるのではない。美人になるのだ」とも
言い換えることができます。
女性は恋をすると美しくなると、よくいわれます。
「もっと綺麗になりたい」という意識がその人を磨き、輝かせてくれますね。
シニアの女性たちも、今よりももっと綺麗になりたいと思っています。
美への関心は年齢には関係ないようです。
美人の条件は、上品でエレガントで知的であること。
センスも大切なポイントです。
また、その場に応じた話し方も大事です。
所作はゆったりと自然に丁寧に。
がさつな私にはできない・・なんて思わずに、イメージを脳に
インプットしてやってみましょう。
いつの間にかできるようになっているはずですよ。
さらに心清らかであれば、輝きを増すことができます。
そんな女性になりたいものです。
ほんとうのお色気とは
楠本憲吉が『おんな歳時記』で「女性の色気」について語っています。
「色気」とは隠すこと、覆うこと、閉ざすことだというのです。
着物というのは、まさにそのとおりだと思います。
襟足のほつれ毛、
赤いけだし、
ちらりと見えるくるぶしなど、思い浮かびます。
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「色気の本質」はと問われれば、こう語ります。
第一に、清潔であること、
第二に、母性的な思いやりと優しさであること、
第三に、微笑み、
最後に、言葉のTPOを心得ること。
この四つがそろったとき、言葉ではなく、外にお色気として漂い出るのではないかということです。
たしかに、これは女性としての美しさでもあります。
ほんとうのお色気を醸し出す人というのは、素敵な女性という
ことでしょうか。