江戸の意気・粋
Nov 7, 2013

お高祖頭巾と真知子巻き

口の袖あてて  ゆく人冬めける         高浜虚子

 

 

11月になりました。

時雨や落ち葉や木枯らしなど、「冬めき」を肌で感じる季節です。

 

 

江戸庶民の冬の装い。

 

羽織は男性が着るものとされていました。

武士には功があると、将軍から羽織を賜り、次第に町人男性にも広まりました。

 

 

女性の場合は、厳冬の時には半纏を着ることができましたが、

殊に上層部の人々は半纏をきらって、まれに雪中での道行コートを着ていました。

 

女性は絹の被りものを使っていました。

お高祖頭巾(おこそずきん)というものです。

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Nov 7, 2013

江戸の女は裁縫が上手

秋深し。

「やや寒」から「そぞろ寒」の感がしてきましたね。

じいんと身のうちに覚える寒さ、膚にも感じる秋の寒さですね。

冬の訪れさえも感じてきますね。

 

江戸時代の女性の着物は小袖の着流しが普通で、冬になると、重ね着が主流で、コートやジャケットは着なかったようです。

季節による衣替えは現代よりも厳格に、決められた日に衣替えをしていました。

江戸の暦は月の満ち欠けを基準にする旧暦です。

端午の節句(5月5日)と重陽の節句(9月9日)が衣替えの日でした。

9月からは袷(あわせ)を着ます。

冬には、ドテラのように、着物と裏地の間に綿を入れた綿入れを着ていました。

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Nov 7, 2013

とおりゃんせ〜深川人情澪通り〜

水戸黄門や大岡越前など、人情時代劇で見ていると、

盗人が豪商の家の蔵から千両箱を荷車で運び出している様子をときどき目にすることがあります。

 

盗人や強盗がやってきても、火事になっても、

江戸の町は現在の警察や消防のように、国が国費を使って警備するのではなく、町人たちが町費を出して管理するという、自費組織だったのですね。

 

そこで、木戸番や自身番が各町ごとにもうけられていたのです。

 

江戸の町人地では、この木戸番がもうけられ、夜四つ(夜10時)から明け方六つ(朝六時)まで閉められ、通行ができなくなりました。

 

北原亞以子原作の「とおりゃんせ〜深川人情澪通り」がNHKの「金曜時代劇」で放映されたことがありました。

 

ある町人町で木戸番として雇われた夫笑兵衛・神田正輝と女房お捨・池上季実子。

それぞれの過去を秘めたこの夫婦と町の人々との交流を描いた物語でした。

池上季実子演ずる女房お捨が、女性から見ても、なかなか味わい深く、とても素敵だったなと、印象に残っています。

人情味があって、身のこなしも女性らしく優雅さもあって、あこがれでした。

人のいいこの実直な夫婦が醸し出す雰囲気にも温もりを感じていました。

人気のドラマでした。

当時、こういう人たちが大勢いたのだろうと思いますね。

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Nov 7, 2013

日本は最高の国〜生麦事件のリチャードソン〜

江戸時代、西欧の人たちが日本に来て驚いたことがたくさんありました。

 

日本人の気骨、骨太の精神に感服したこともそうですが、

江戸の町の立派さに驚いたという記述もあります。

 

今から150年も前に、英国人商人リチャードソンが、父親に宛てた手紙の中で、

日本や江戸のことを書き綴っていました。

 

その手紙によれば、

「日本はイングランド以外の場所で私が訪れた最高の国です。

山や海のは抜群です。

 

日本人が他の国との交わりを断ち続けてきたことを考えれば、

江戸という都市の素晴らしさは驚きです。

 

江戸の官庁街ともいえる界隈は、どの西洋列強にも引けをとらないでしょう。」

 

この後で大名屋敷のこと、塀や門の立派さも述べられ、

日本に対する親しみの込められた言葉が連ねられています。

 

栗木さん8

リチャードソンは、今の横浜で起きた生麦事件で殺害された人です。

事件の11日前に父親宛の手紙の中でこのようなことを述べていたのです。

 

この手紙は、ロンドン在住のリチャードソンの姉のひ孫ウェイスの申し出により、

現在では横浜開港資料館で保管されています。

 

資料館の主任調査研究員は、この手紙によって、それまでの生麦事件とは全く違うイメージが持てるのではないかと語っています。

 

また、リチャードソンが日本を見下しているという印象はこの手紙からは受けないので、

生麦事件は、外国人と日本人とのしきたりの違いから起こったのであろうと言う人もいます。

 

 

もっともっと日本のこと、江戸のことを書き綴ってほしかったですね。

 

 

大分秋めいてきましたね。

風邪を引かないように、気を付けてお過ごしください。

江戸日本橋1

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Nov 7, 2013

浅草浅草寺〜芭蕉も聞いた時の鐘〜

推古天皇の時代、628年、
漁師の兄弟が隅田川で漁をしていたときに聖観音像を引き上げたことに由来します。

土地の郷士が、これを聖観世音菩薩の尊像としてあがめ、

自分も剃髪して僧となって、自宅にこの観音像を奉安したのです。

これが浅草寺の起源だといわれています。

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後にこの三人を三社権現としてお祀りしたのが三社権現社(浅草神社)の始まりで、

そこから生まれたのが「三社祭」です。

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江戸時代になり、徳川家康は浅草寺を徳川家の祈願所に定めました。

浅草寺境内にある弁天山の鐘楼の鐘は、徳川5代将軍綱吉の命により作られ、

当時この鐘は江戸市中に時刻を知らせたことから「時の鐘」ともいわれていました。

 

江戸の人はみなこの鐘の音を時を告げる音として聞いていたのですね。

松尾芭蕉も、深川の草庵でこの鐘の音を聞いていました。

 


花の雲 鐘は上野か 浅草か (芭蕉)

雷門2

浅草浅草寺の雷門

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Nov 1, 2013

女三界に家なし

江戸の町には自由性があって、元禄文化も大きく花開きましたが、

明治政府になって、民法の中で戸主を中心とする家制度が定められ、

お寺が戸籍簿である人別帳を管理していた時代が終わりました。

明治政府は、天皇制によって政治権力を安定させようとして、天皇と国民の関係を戸主と家族の関係になぞらえたのですね。

江戸のいわば事実婚から、法律婚への切り替わりです。

明治の女性の生き方の象徴として、
「女三界(さんがい)に家なし」というのがありました。

とてもこれは強烈に響きました。

 2013-10-21 09.25.17
「三界」とは仏語で、欲界・色界・無色界、すなわち全世界のことですが、

女は幼少のときは親に、嫁に行ってからは夫に、老いては子供に従うものだから、広い世界のどこにも身を落ち着ける場所がないという意味です。

女性の生き方って、日本の長い歴史の中でこんなにも重たく、辛い・・。

そうだったのだろうかと、長く思ってきました。

今は女性が生き生きと生きる時代に変わってきましたね。
戦後、家制度が無くなり、戸籍法も変わりました。

でも、今もその影を引きずっているところが社会の中にはまだ残っているようにも思います。

江戸の町って、こんなにも心豊かに、ユーモアも楽しんで、自由な空気が流れていたのだということに感銘を受けました。

自由性の中で創造的な芸術も花開き、江戸ルネッサンスの空気すら感じます。

しかも、私たちが失いつつある心の大切なものがいっぱいあります。

私は、これからも江戸庶民の心意気などを探っていきたいと思っていますし、

江戸だけではなく、置き忘れてきた日本のよさを見つけていきたいとも思っています。

これからもどうぞよろしくお願いします。
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Nov 1, 2013

江戸の女性もアイディアビジネスを

山暮れて紅葉の朱を奪ひけり (与謝蕪村)

寂しさをともなう秋の夕暮れに、燃えるような赤く色づく紅葉を手にとって、

火の温もりを感じているような、そんな思いが伝わってきます。

江戸の男性にはユーモアのセンスや駄洒落が求められたなんて、

昔流行ったコマーシャル、三船敏郎さんの「男は黙って⚪︎⚪︎ビール」とは大分違いますね。

現代もウーマンズパワーが光っています。

女性の起業家も増えてきていますね。

江戸の妻たちも、才覚を働かせてアイディアビジネスを行なっていました。

野菜の切れ端などを使って漬物を作ったり、布の切れ端などを使って巾着などの小間物を作ったりしました。

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仕入れにお金をかけず、サービスと愛嬌で売っていたそうです。

妻のほうが収入が多いのも珍しくありません。

アルバイト的に洗濯や家事の代行をするなど、単身赴任者が多い江戸では、女性が一生働き口に困ることはなかったそうです。

夫も妻を支え、夫婦関係は平等で、互いによきパートナー。

現代に通じるものがありますね。

江戸の町はエコ社会、循環型社会だといわれていますが、

仕事にも生かしていたなんて、お見事ですね。

お金をかけなくてもできることとって、今の時代、どんなものがあるでしょうか。

身の回りの断捨離グッズにもいっぱいアイディアがありそうです。

今日はそんなことを考えてみませんか。

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Nov 1, 2013

江戸の男性はユーモアのセンスが結婚の条件

江戸庶民の家庭生活はどんな感じだったのでしょうか。

式亭三馬の『浮世床』では、どてらを着て懐に赤ん坊を入れてあやしている男性が出てきます。
その様子はとても手慣れた感じです。

江戸では、男性が家事育児をすることは、当たり前だったようです。

今の若い夫婦のように、どちらか手の空いたほうが家事育児をやっていました。

何せ江戸の町では男性の人口比は7割だったとか。

男性は何か付加価値がないと、嫁に来てもらえなかったのです。

上流階級にいくほど、女性は「家」という制度に縛られてしまいますが、家や財産、土地など持っていない庶民は自由な夫婦関係を築けました。

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女性が結婚したいと思う男性は、面白くて、家を明るくしてくれる人。
収入はあまり関係なかったようです。

自信のない男性は、駄洒落をいくつか習ってから嫁をもらったとか。

ここは注目すべきところですね。

ひところまで言われていた女性の結婚相手の条件は、高学歴高収入。

幸せとは何か。
世の中の幸せの尺度が何を求めているかによって、また生きる時代によって、
これは大きく違ってきますね。
今日も江戸庶民の生活から、私たちの価値観を考えてみました。
いかがでしたでしょうか。
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Nov 1, 2013

江戸庶民の結婚〜バツイチなんて気にしない〜

ふた葉三葉ちりて日くるる紅葉かな (与謝蕪村)

色づいて、はらはらと落ちる紅葉に、愛おしさとともに、
これからやってくる冬の厳しさを受け入れる、

そんなことを感じさせてくれます。

「もみじ」は、秋口の霜や時雨の冷たさに揉み出されるようにして色づく、
「揉み出るもの」の意味であるといわれています。

自然の厳しさの中から、美しい色が醸し出されてくるのですね。

江戸の庶民の結婚。なかなか興味深いですね。
バツイチなんて、なんてことはない。
「辛いことがあったら、いつでも帰っておいで」と、娘は嫁に出されます。
江戸では、出戻りと呼ばず、「元帰り」「呼び戻し」といい、

実際に何回帰ってきても、恥ずかしいことではなかったとか。

結婚届を役所に提出するわけでもなく、1年おきの「人別調べ」(戸籍調査)のときに申し出ればよく、その間に出たり入ったりがあったとしても、それが人別帳に載るわけではありません。

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でも、武家の娘はそうはいきません。

お家同士の結婚なので、「格式が合っているか」が重要です。
旗本や大名なら、将軍様の許可が必要になります。

また、いったん敷居をまたげば「二夫にまみえず」と、里帰りも厳しく禁じられていたのですね。

同じ江戸の町に住む人々も武士と町人では、生き方に大きな違いがありますね。

もちろん今の時代もまたそれとは異なります。

そんな中で、幸せってなんだろうと、考えてみたいですね。

現実に社会や法律の枠で現代は規制されてはいるものの、

このように過去をリサーチすることで、固定概念が変わっていきます。

それを行動に移すかどうかは別として、
ポジティブな発想ができて、楽しくなりますよね。
自分の中の幸せ尺度がちょっと変わっていきます。

 

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Oct 29, 2013

そぞろ寒し、いい女房になるために

秋深し。

「やや寒」から「そぞろ寒」の感がしてきましたね。

じいんと身のうちに覚える寒さ、膚にも感じる秋の寒さですね。

冬の訪れさえも感じてきますね。

 

江戸時代の女性の着物は小袖の着流しが普通で、冬になると、重ね着が主流で、コートやジャケットは着なかったようです。

季節による衣替えは現代よりも厳格に、決められた日に衣替えをしていました。

江戸の暦は月の満ち欠けを基準にする旧暦です。

端午の節句(5月5日)と重陽の節句(9月9日)が衣替えの日でした。

9月からは袷(あわせ)を着ます。

冬には、ドテラのように、着物と裏地の間に綿を入れた綿入れを着ていました。

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衣替えのシーズンには、この袷に綿入れをしたり、綿を抜いたり、主婦は家族全員の着物を決まった日までに縫い終わっていないといけませんでした。

 

期日過ぎまで綿入れを子供が着ていると、近所から「できの悪い女房だ」と言われるため、

主婦は大忙しで仕上げたそうです。

 

 

江戸時代に生きるなら、女性は裁縫ができることが条件のようです。

 

その点、現代は重ね着、コートもジャケットもあります。

「君にできることはボタンつけと掃除」という歌詞もどこかにありましたが、

女性は、裁縫ができなくても、オーケーですね。

 

でも、お母さんの手縫いのバッグや小物を幼稚園や学校に持たせたい。

やはり、女性は裁縫ができるほうが今も魅力的ですね。

 

今日も温かくしてお出掛けくださいね。

 

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