袖振り合うも多生の縁
「束の間つきあい」という言葉があります。
和やかに軽く挨拶を交わして、束の間の、ちょっとした時間も楽しんだのです。
そこには、「袖振り合うも多生の縁」という考え方があって、
これは人間関係を円滑にする方法でもあります。
知らない人とたまたま道で袖が触れ合うようなちょっとしたことも、前世からの深い因縁があっての出会い。
人との縁はすべて単なる偶然ではなく、深い因縁によって起こるものだから、どんな出会いも大切にしなければならない。
そういう仏教の教えに基づいているのです。
それは「一期一会」の考え方でもありますね。
現代は、電車に乗ればみんなスマホを見ていて、言葉を交わすこともほとんどない時代。
悲しい事件も起こる時代・・・。
いつでもどこでも「一期一会」と思ったら、
江戸の人々が、見知らぬ人と束の間でもお互いに気持ちよく付き合おうと思っていた、
そんな思いが分かるような気がします。
ラッシュ時にそんなことを言ってはいられないかもしれませんが、
思い一つで、
一つ一つの行動や自分にやってくることは、変わってきますね。
素敵に生きましょう!
結界という言葉にこんな意味があります
江戸の庶民が物事を考える根底にしていた言葉に、
こんな言葉がありました。
「結界わきまえ」です。
これは、己を知り、身のほどをわきまえること。
結界はもともと仏教用語ですが、領域を区切る境界線という意味で、自分の立場や力量をきちんと把握し、
見せかけのことをしてはならないという戒めです。
相手のことも理解し認めることができるので、
お互いの領分は侵さないということですね。
少し話が転じますが、
たとえ自分が道理にかなったことを言い、相手が間違ったことを言ったとしても、理屈で責め立てて言い負かすのは良くない。
自分のほうが明らかに正しくて、相手を理屈で言い負かせることができたとしても、相手には屈辱と報復の心が残ってしまう。
また、負けて引き下がってしまうのも良くない。ただ、言い負かせもせず、自分の間違いとも言わず、何事もなく止めるのがよい。
「結界わきまえ」が言う分相応、足るを知ることは、決して自分を小さくすることではなく、
自分の我を離れ、相手に対する細やかな心遣いをすることなのです。
木戸番は焼き芋を売っていた
ときどき目にすることがあります。
盗人や強盗がやってきても、火事になっても、
国が国費を使って警備するのではなく、
町人たちが町費を出して管理するという、
自費組織だったのですね。
江戸の町人地では、この木戸番がもうけられ、
夜四つ(夜10時)から明け方六つ(朝六時)まで閉められ、
通行ができなくなりました。
北原亞以子原作の「とおりゃんせ〜深川人情澪通り」がNHKの「金曜時代劇」で放映されたことがありました。
それぞれの過去を秘めたこの夫婦と町の人々との交流を描いた物語でした。
池上季実子演ずる女房お捨が、女性から見ても、なかなか味わい深く、とても素敵だったなと、印象に残っています。
人情味があって、身のこなしも女性らしく優雅さもあって、あこがれでした。
人のいいこの実直な夫婦が醸し出す雰囲気にも温もりを感じていました。
人気のドラマでした。
当時、こういう人たちが大勢いたのだろうと思いますね。
木戸番は、番小屋ともいわれ、毎日の木戸の開閉は大家や月番がしました。
ただし、夜の10時以降、脇のくぐり戸の開閉と、夜間の火の用心の夜回りは木戸番がしたようです。
木戸番は町雇いで、年に一両か一両二分の低い給金なので、わらじ、駄菓子、ろうそく、ほうきなどの日用雑貨、冬は焼き芋などを売ることが許されていました。
実際には、住み込みの独身やお年寄りの独り者が多かったとか。
江戸の木戸番でも冬は焼き芋を売っていたのですね。
香ばしい香り、今もその香りに誘われて、食べたくなります〜。
今週も秋を楽しみましょう。秋を見つけたら、また教えてくださいね。
どうぞよろしくお願いします。☆
江戸っ子に「忙しい」は禁句だった
顔色を変えて怒ったそうです。
ええ? どうして?
江戸っ子のように、そんな時は「ご多用のところ、誠に申し訳ありませんが・・」と語りかけたり、応える時にも「いやあ、今雑用に追われていまして・・」
乗合船でのマナーを今に生かす
江戸の人々は乗合船などで後から来る人のためにこぶし一つ分、腰を浮かせて席を作ってあげたということです。
「草主人従(そうしゅじんじゅう)」
オリンピックの7年後の東京招致は、日本が大きく変わっていく予感、期待感を心から湧き上がらせてくれますね。自分も何かしたい、でも自分は何をすればいいのだろう・・と思うことはありませんか。果てしない大空と広い大地のその中で
いつの日か 幸せを
自分の腕でつかむよう
松山千春の『大空と大地の中で』は、自分が元気を失った時、
私を助けてきました。今もそうです。
大地に立って、両手を広げて、体全体で風を、空気を、匂いをいっぱいに感じて・・
そうだ、一人じゃないんだ・・、涙が出てきます・・。
日本人は雨でも風でも自然界のものに、いろんな名前をつけてきました。
畑や海の仕事をする人も、そこに季節を知り、またその作業の目安にもしてきたのですね。
春一番(はるいちばん)
黒南風(くろはえ)・荒南風(あらはえ)・白南風(しらはえ)
白南風(しらはえ)
野分(のわき)
颪(おろし)
秋、台風とともにやってくる「野分」
稲作の生育にも被害を与えます。
今年も、日本全国、実り豊かになりますように〜!
黄金色に輝く田んぼとみんなの笑顔を思い描いて・・。(*^^*)
おれたちは自然に生かされている存在だあ〜。
お天道さまと水と草木がなくっちゃ生きられねえ。
すべての生き物と共生しているんでさあ〜。
江戸の人々は「草主人従(そうしゅじんじゅう)」と考えていたのですよ。
そして、エコライフを実践していました。
こういう生活を意識する中から、自分にふさわしい何かが見つかるはずです。☆
今日も素晴らしい一日をお過ごしくださいませ。
行ってらっしゃ〜い。♪(*^^)o∀*∀o(^^*)♪
出会いを尊び、別れは余韻を楽しむ。
人との出会い、仕事上でも、プライベートでも、今週もたくさんあったことでしょう。ああ、あの人にまた会いたいなあと思うこともしばしば。
またそう思われたいですね!出会いを大切にすることは別れも大切にすることを江戸しぐさは教えています。
地方から江戸へ出てきて一生懸命働いて、ひと財産築くことは、当時の人々の夢でした。今でもそう思っている人もいるでしょう。
いくら江戸で成功し、駕籠に乗れるような身分になっても、思い上がってはいけないと。
「実るほど頭の下がる稲穂かな」
謙虚さや慎ましさこそ、人間関係を築き上げるコツと考えられていました。
訪問先の手前で駕籠を降りて、あたかも歩いて訪問先を訪ねましたという、配慮がされていました。これが「駕籠止めしぐさ」です。
そして、
「この人に会えて本当によかった」
「また会いたいなあ」「お名残惜しいなあ」と、
相手の人は心に余韻を残し、それを味わって楽しんだのです。
「いやあ、富山屋さん、今日は長いことお邪魔しました。ごめんください!」
と言って、一礼して江戸屋のご亭主が富山屋さんに一礼。
その後、三間(5.4メートル)ほど行ったところでもう一度振り返って最後のあいさつ。
出会いを大切にして、別れ際にも余韻を残す。
今は、「はい、それでは失礼します〜」で、電話もプチッと切ったり、
タクシーや電車で帰る相手に、すぐ背を向けてはいませんか。
こちらも相手にまごころを伝え、相手にも余韻を楽しんでもらうって、
この空気のやり取りが日本人らしいなあと思いますね。
今週も江戸しぐさ、楽しんでいただけましたか。
今日もお互いの間を楽しみましょう。
行ってらっしゃ〜い。♪(*^^)o∀*∀o(^^*)♪
「陽明学」って、知っていますか?
陽明学って、ご存知ですか。
その中で、子供たちにとって大切なテキストは『論語』でした。
中でも、「仁・義・礼・智・信」が実行すべき徳目だったのです。この儒教の一派、朱子学は、
「人間の運命は生まれつき決まっている」と説いていたので、
統治する側から見れば、都合が良かったのです。さて、ここで「江戸しぐさ」です。
中江藤樹が説いた陽明学の教えを江戸の商人たちは重んじました。「本人の努力次第で、運命は拓ける」と、陽明学は教えたからです。
江戸の商人は、知識を知恵に変えて実践することに重きをおいていましたから、
自由でクリエイティブな発想を好んだのですね。
「四書五経」だってしっかりと咀嚼して、ユーモアを交えて、優しく、易しい言葉で人に伝えることができました。
大家さんが店子に、
「ねえ、熊さん、そんなこと お言いでないよ〜」
優しく、丁寧に、大家さんから言われた熊さん、
「ああ、そうっすね。そりゃ、 大家さんのいう通りで〜。」
と、素直に従いたくなりますね。
「人間はご先祖様、仏様に見守られて、みな平等に生きている」と考え、
どんな身分の人にも思いやりをもって接するように努めた江戸の人々。
現代は身分制はないですが、
江戸しぐさの核ともいえる「思いやり」というしぐさ、これも大切にしたいですね。
「すみません」は「私の心が澄みません」
万物を動かす見えない大きな力を神仏と考え、
「人も仏の化身」と、江戸の人々は考えました。
いつも心が澄んでいることを好んだのです。「ごめんなさい」は「御免なさい」。
「免」は容赦、「御免」は尊敬語で、「御容赦」のこと。
失礼な目にあわせた人に「お許しください」と謝る言葉。
人の足を踏むという些細な出来事も、あなたに与えた苦痛に対して、
「ご免なさい」と謝るだけでは、
「私の気持が済みません」
「私の心も澄みません」
というのが日本人のこころ。
日本人は外国人から見ると、謝りすぎだと言われることがありますが、
もとは「それではあなたに対して自分の心が澄みません」という含意があったのですね。
今は、先に謝ったほうが負けだという風潮もありますね。
でもね、みんなが「御免なさい」「澄みません」の心をもって接していれば、
ギスギスしたトラブルも起きずに済みますよね。
さらに進んで、江戸の人々は、満員電車で相手に足を踏まれてしまった時、
踏んだ相手に先に謝ってしまうのです。
「とんだところへ足を出していて失礼!」
危機管理ができていない自分への戒め。そして次の危機を回避する心構え。
進歩的な考えですね〜。
これを「うかつ謝り」といいいました。
お心肥やし
皆様、おはようございます。江戸商人の真髄を表す言葉に「お心肥やし(おしんこやし)」というのがあります。す。
体よりも心を肥やす。
自分で見て、聞いて、考えて、感性を磨くことが大切という意味です。
人間としての器を育てることにも通じます。
ただ知識を詰め込むのではなく、知識を知恵に変えて実践すること。
当時は「教育」という言葉を使わずに「養育」「鍛育」という言葉を使っていたそうです。
親や師匠と子供たちの関係は、普通に考えれば、上から下に教えるという上下の関係が強いです。
そこでは、自立心が育ちにくいと考えました。
ですから、親や周囲の大人のしぐさから子供に見取らせる、進んで見習わせることによって、子供が自分で判断し行動できるように「自立」を促すことに主眼をおいていました。
子供たちの周囲にはお手本になる大人たちがたくさんいたということでもありますね。
今はどうでしょうか。私たちは子供たちのお手本になっているでしょうか。
親世代から子の世代へ、子世代から孫の世代へと、「子供は国の宝」という思いで、愛情深く見守り、しかも、自立のための決断力と行動力を身につけさせた、そんな江戸の社会の教育が見えてきますね。
それにしても、進んだ考え方をしていたことに驚きます。