万物を動かす見えない大きな力を神仏と考え、
「人も仏の化身」と、江戸の人々は考えました。
いつも心が澄んでいることを好んだのです。「ごめんなさい」は「御免なさい」。
「免」は容赦、「御免」は尊敬語で、「御容赦」のこと。
失礼な目にあわせた人に「お許しください」と謝る言葉。
人の足を踏むという些細な出来事も、あなたに与えた苦痛に対して、
「ご免なさい」と謝るだけでは、
「私の気持が済みません」
「私の心も澄みません」
というのが日本人のこころ。
日本人は外国人から見ると、謝りすぎだと言われることがありますが、
もとは「それではあなたに対して自分の心が澄みません」という含意があったのですね。
今は、先に謝ったほうが負けだという風潮もありますね。
でもね、みんなが「御免なさい」「澄みません」の心をもって接していれば、
ギスギスしたトラブルも起きずに済みますよね。
さらに進んで、江戸の人々は、満員電車で相手に足を踏まれてしまった時、
踏んだ相手に先に謝ってしまうのです。
「とんだところへ足を出していて失礼!」
危機管理ができていない自分への戒め。そして次の危機を回避する心構え。
進歩的な考えですね〜。
これを「うかつ謝り」といいいました。