子どもは国の宝
そこには「子どもは国の宝」という発想があったからです。年齢に応じて発達していく能力を前提にして、まず「心の在り方」を養育し、
次に「暮らしに役立つ実学」を身体で覚えさせたということです。特に日本橋や京橋、新橋界隈の豪商が費用を出し合ってつくった江戸寺子屋では、「男あるじ」「女あるじ」を養成する特別プログラムがあったそうです。
そこでは「視る」「聴く」「話す」が重視され、ロールプレイングも時々行われました。
その中で「気付き」「自発性」「自立」「自律」が養われていったのです。
次に学んだのが「読み書き、算盤」の実学でした。
卒業試験は「稚児問答」といって、師匠の前で口頭試験を受けたのです。
この子育ての究極の目的は、「人の上に立つ者の心得」をしっかり身につけさせるというところにありました。
決してブレるぶれることのないこの教育体制、目を見張るものがありますね。
寺子屋の師匠は親同然
江戸商人がお金を出し合って作った寺子屋。
そこでは、「読み書き算盤」のほかに、「しぐさ」の学習を重視したのです。
親に代わって寺子屋の師匠が子供たちに教育しました。
年齢は40歳以上の男女。実学上、バランス感覚のいい年齢を選んだそうです。
師匠が入門してきた子供たちに最初に挨拶する言葉は、
「あなた方のお父さん、お母さん、皆さん立派な方々である。
そして、商いが繁盛して結構でござる。
そのためにご多用で、貴公らに読み書き算盤をお教えになれない。
よってもって拙者がその役をおおせつかった。
だから、貴公の親御さんに接するつもりで、拙者にも接しよ」と。
親が教えるべきところを代理人として教えるのだから、師匠は親と同じように「やっぱり偉いんだなあ」という認識が芽生えたというのです。
今の学校の先生は父母に気を遣い、入学式では、
「今日から皆さんはピカピカの一年生ですから、一生懸命に勉強して、偉い人になってください」としか言わないようです。いかがですか。
親も子も、教育に取り組む姿勢には今とは大きな違いがあったのですね。
江戸の人々の考え方、大いに参考になりますね。
寺子屋の入学試験
皆様、おはようございます。
相手を尊重し、相互扶助を大切にした江戸庶民の暮らし。
この普及に大きな役割を果たしたのが寺子屋です。
江戸商人は、日々の商いがあるため、お金を出し合って寺子屋を開きました。
師匠に親代わりになってもらい、江戸の寺子屋で重視したのは、
「読み書き算盤」のほかに、生きる知恵の学習でした。
江戸寺子屋では入学試験がありました。一種のエリート校です。
この入学試験は、6歳の陰暦6月6日(新暦7月)。
合否の決め手は、2時間じっとして師匠(人)の話を聞けるかどうか。
「暑さ我慢会」と言われたそうです。
自然への感謝を元にした、自然科学(生物学、心理学、天文学、科学など)につながるようなことです。
例えば、朝顔の水遣りから自然のメカニズムや自然との共生を説きました。
そして、日常茶飯事の振る舞いや人を見抜く力、災害時の身の処し方など、
広い視野をもって物事を見ることで、自然や周囲の人々に生かされていることを教えたそうです。
この地球の中での生きとし生けるもの、すべてつながっているという教えですね。
また、教室では、他人の意見を否定せずに自由にアイディアを出し合って考えを深めたり、
設定した役割を演じてコミュニケーション能力を身につけていきました。
現在人材教育法として使われているロール・プレイングなどを、
既にこの教育の中に取り入れていたとは、まさに実践の学問ですね。
いかがですか。
現代人も学びたい魅力満載の教育。
自然への感謝に始まり、生きとし生けるものはみなつながっているという生き方を学び、
相手を尊重するコミュニケーション能力を身につける教育。
これこそ、真の教育ですね。
束の間の付き合い
皆様、おはようございます。
江戸時代、狭いところでひしめきあって暮らした江戸っ子たち。
お互いが気持ちよく暮らすための工夫やマナーがありました。
現代にも通じる生活の知恵ですね。
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江戸の人たちは、たまたま渡し船に乗り合わせたり、店先で顔を合わせると、
和やかに軽く挨拶を交わしたということです。
そこには、「袖振り合うも多生の縁」という考え方がありました。
そして、江戸の人々は見知らぬ人も「みな仏の化身」と考えました。
ただし、名前や職業などを聞くのは野暮で、聞かないのが決まり。
差し障りのない天候の話題などを選んで会話を楽しんだのです。
粋ですね。
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「束の間の付き合い」
これを大事にしようと江戸の人は考えたのです。
せっかく居合わせたのだから、お互いに一時を大事にしようと、束の間付き合いを大切にしました。
でも、そこには深いものがありますね。
これは人間関係を円滑にする方法でもあります。
江戸っ子のように、私たちも、商人が客に接するような心遣いで、人と接することができたら、
円滑な人間関係や安心安全な社会を築くことができるのではないでしょうか。
現代では、隣同士で電車に乗り合わせても、お互いにスマホを覗いていて、声を掛け合うという発想すらなくなりつつあります。
江戸の商人や町人は、スマホで情報をキャッチできなくても、
互いに心を通わせ、助け合いながら、楽しく情報交換をしていたことでしょう。
江戸っ子の生活は、やはり人情味があって、生き生きと、しかも、きびきびしたものを感じますね。
袖振り合うも
それは何度も生まれ変わった上での出会いなのだから大切にしよう。
その中での出会いなのだから大切にしたいものだ。
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良い縁もあれば、そうでない縁もあるでしょう。
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そんなことをふと考える江戸の人々の生き方をちょっと垣間見る思いがしますね。
江戸の教育は、15歳で大人扱い
皆様、おはようございます。
江戸時代、身分制度もあり、狭いところでひしめきあって暮らした江戸っ子たち。
お互いが気持ちよく暮らすための工夫がなされていました。
現代にも通じる生活の知恵ですね。
「三つ心 六つ躾(しつけ)
九つ言葉 十二文(ふみ)
十五理(ことわり)で末(すえ)決まる」
今日のフレーズは長いように見えますが、
この数字は子供の年齢と、その歳にふさわしい教育方法を示しています。
江戸の人は、子どものしつけにも厳しく、また社会的な教育をしていたのですね。
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昔から「三つ子の魂百まで」とも言いますから。
6歳までには、大人の立ち居振る舞いを見習わせ、寺子屋などできちんと師匠の目を見て話を聞くように作法の基本を身につけさせる。
9歳までには、どんな人にも失礼でないあいさつができるようにする。
12歳ころには、一家のあるじの代わりに手紙を書けるようにしておく。注文書や請求書、苦情処理の弁解書もまがりなりにも書けるよう鍛育しておく。
15歳になると、経済、物理、科学などの森羅万象を暗記でなく実感として理解できるように、その真実を見抜く力を養っておく。
もう15歳になると、もう大人扱いなのですね。驚きです。
「知ること」より「分わかること」を重視していた江戸寺子屋教育。
それは即日常生活に活かせます。
現代は、スマホで調べれば何でも知識が入る時代になっていますが、
「知っていること」と「内容を理解し、咀嚼して、それを役立てていく」ということとは別ですね。
「分わかること」が人への共感、思いやりの心につながります。
その感性を磨いた江戸庶民の教育。
現代、こういう育て方が求められているように思います。
こんな学校があったら、我が子を入学させたいと思いませんか。
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おはよう に おはよう!
「おはよう に おはよう!」
僕たち仲良し。この言葉、知ってるよ〜。
「おはよう〜」と言われたら、
「おはよう〜」とこたえる。
これが江戸長屋の庶民の朝の挨拶。