江戸の人は、ほかの人から「忙しそうですね。」と言われると、
顔色を変えて怒ったそうです。
顔色を変えて怒ったそうです。
ええ? どうして?
現代人は時々、自慢気に、またお断りしたい時にも使っていませんか。
「忙」という字は分解すると、りっしんべん、つまり「心」が「亡」くなったと書きます。よく言われることですね。
江戸では心を失った人はデクの棒(丸太)と呼び人間ではないと考えたほど。
「何言ってんだ。我を忘れて何ができるんだ」
「心がそこにないんだったら、まともなことができるわけがないじゃないか」
「相手のことを思いやることができないって、言っているのか」
と、解釈されました。
江戸っ子のように、そんな時は「ご多用のところ、誠に申し訳ありませんが・・」と語りかけたり、応える時にも「いやあ、今雑用に追われていまして・・」
「今書き入れ時でございまして」などという言うのがいいのかもしれません。
言葉というのは、語っている自分がその状況を作り出しているものなのですね。