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Sep 11, 2013

「陽明学」って、知っていますか?

陽明学って、ご存知ですか。

江戸時代に徳川幕府が採用していた教えは儒教。その経典が「四書五経」。
その中で、子供たちにとって大切なテキストは『論語』でした。
中でも、「仁・義・礼・智・信」が実行すべき徳目だったのです。この儒教の一派、朱子学は、
「人間の運命は生まれつき決まっている」と説いていたので、
統治する側から見れば、都合が良かったのです。さて、ここで「江戸しぐさ」です。
中江藤樹が説いた陽明学の教えを江戸の商人たちは重んじました。「本人の努力次第で、運命は拓ける」と、陽明学は教えたからです。

江戸の商人は、知識を知恵に変えて実践することに重きをおいていましたから、
自由でクリエイティブな発想を好んだのですね。

「四書五経」だってしっかりと咀嚼して、ユーモアを交えて、優しく、易しい言葉で人に伝えることができました。

大家さんが店子に、
「ねえ、熊さん、そんなこと  お言いでないよ〜」

優しく、丁寧に、大家さんから言われた熊さん、

「ああ、そうっすね。そりゃ、 大家さんのいう通りで〜。」
と、素直に従いたくなりますね。

「人間はご先祖様、仏様に見守られて、みな平等に生きている」と考え、
どんな身分の人にも思いやりをもって接するように努めた江戸の人々。

現代は身分制はないですが、
江戸しぐさの核ともいえる「思いやり」というしぐさ、これも大切にしたいですね。

 

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Sep 11, 2013

「すみません」は「私の心が澄みません」

万物を動かす見えない大きな力を神仏と考え、
「人も仏の化身」と、江戸の人々は考えました。
いつも心が澄んでいることを好んだのです。「ごめんなさい」は「御免なさい」。

「免」は容赦、「御免」は尊敬語で、「御容赦」のこと。

失礼な目にあわせた人に「お許しください」と謝る言葉。

人の足を踏むという些細な出来事も、あなたに与えた苦痛に対して、
「ご免なさい」と謝るだけでは、
「私の気持が済みません」
「私の心も澄みません」
というのが日本人のこころ。

日本人は外国人から見ると、謝りすぎだと言われることがありますが、
もとは「それではあなたに対して自分の心が澄みません」という含意があったのですね。

今は、先に謝ったほうが負けだという風潮もありますね。
でもね、みんなが「御免なさい」「澄みません」の心をもって接していれば、
ギスギスしたトラブルも起きずに済みますよね。

さらに進んで、江戸の人々は、満員電車で相手に足を踏まれてしまった時、
踏んだ相手に先に謝ってしまうのです。

「とんだところへ足を出していて失礼!」

危機管理ができていない自分への戒め。そして次の危機を回避する心構え。
進歩的な考えですね〜。

これを「うかつ謝り」といいいました。

 

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Sep 11, 2013

「風の盆恋歌」

皆様、おはようございます。

「蚊帳の中から 花を見る

咲いてはかない 酔芙容」

石川さゆり『風の盆恋歌』
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胡弓の哀愁漂う音が胸に響きます。

富山県八尾(やつお)の人々が守ってきた「おわら節」の民謡行事。

「越中おわら風の盆」ともいわれます。

今日3日までです。

この八尾は立山連峰を越えて日本海から強い風が吹き込む土地。

この風が稲作に深刻な被害をもたらしてきました。

そのため、「風の盆」は風を鎮める「風祭り」と「盆踊り」が一つになって変化した風習だとか・・。

三味線と太鼓、胡弓の独特な調べにのって、無言で踊る「風の盆」。

無言なのです。

その哀愁漂う光景から小説やヒット曲『風の盆恋歌』などが生まれました。

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編笠をかぶって無言で踊る姿に、優美な色気が漂います。

言葉にはならないものを心で感じる。

まさに「空気を読む」感覚。

見る側も、言葉ではなく無言で心で感じる感覚。

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きっと、大自然をいつも身近に感じていたら、もっと深く味わえるような気がします。

心豊かに感じること。江戸の人々もとっても大切にしていたことです。

今日も「お心肥やし(おしんこやし)」でいきましょう〜。
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おわら風の盆

 

Sep 2, 2013

稲の開花を願う「二百十日」

皆様、おはようございます。

9月1日は「二百十日」といわれています。

稲の開花のこの時期、台風のため稲の減収にならないように気をつけましょうという日です。

農家の厄日とされていますね。

9月は実りの秋ですが、台風が襲来することが多いため、農作物にとっては受難の月です。

台風被害を避け、豊作祈願をするための「風祭り」を行うところもあります。

お米の収穫までもう少しですから、稲が台風の被害に遭わないように祈りましょう。

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稲の花

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「立春から210日目の海は大荒れになる」ということを、

江戸時代の歴史学者渋川春海(しぶかわはるみ)が、

漁師たちの経験に基づいて暦に記したことから、

この「二百十日」が広まったそうです。

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自然現象をあらかじめ察知するには、知識よりも経験がものを言います。

知識を知恵に変えて実践するという教育は、とても大事なことですね。

生涯活かせる生きる知恵です。

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森羅万象を実感として理解する力を育む「養育」「鍛育」を行った江戸の人々。

今の子供たちにも「二百十日」の意味を、9月の天候を通して教えてあげたいですね。

9月は、秋の訪れを楽しめる月でもあります。

今月もどうぞよろしくお願いします。

夏の稲穂

 

 

Sep 2, 2013

都の名所、佃島

あれ、鳥が鳴く鳥の名も

都(みやこ)に名所があるわいな

〜俗曲『夕ぐれ』より〜

佃島渡し船

都の名所の一つ、佃島。

徳川家康に佃煮を献上するため、

摂津国佃村の漁師たちが移り住んだと言われている、ここ佃島。

3年に1度の住吉神社の佃祭りは、江戸時代からのもの。

安藤広重の「名所江戸百景」に、その幟(のぼり)と神輿が描かれています。

その幟が、今でもお祭りで使われているのです。それは佃っ子の誇り。

佃島住吉神社桜

楽しい土曜日をお過ごしくださいね。

 

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Sep 2, 2013

お心肥やし

 

皆様、おはようございます。江戸商人の真髄を表す言葉に「お心肥やし(おしんこやし)」というのがあります。す。

体よりも心を肥やす。
自分で見て、聞いて、考えて、感性を磨くことが大切という意味です。
人間としての器を育てることにも通じます。

ただ知識を詰め込むのではなく、知識を知恵に変えて実践すること。

当時は「教育」という言葉を使わずに「養育」「鍛育」という言葉を使っていたそうです。

親や師匠と子供たちの関係は、普通に考えれば、上から下に教えるという上下の関係が強いです。
そこでは、自立心が育ちにくいと考えました。

ですから、親や周囲の大人のしぐさから子供に見取らせる、進んで見習わせることによって、子供が自分で判断し行動できるように「自立」を促すことに主眼をおいていました。

子供たちの周囲にはお手本になる大人たちがたくさんいたということでもありますね。
今はどうでしょうか。私たちは子供たちのお手本になっているでしょうか。

親世代から子の世代へ、子世代から孫の世代へと、「子供は国の宝」という思いで、愛情深く見守り、しかも、自立のための決断力と行動力を身につけさせた、そんな江戸の社会の教育が見えてきますね。

それにしても、進んだ考え方をしていたことに驚きます。

 

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Sep 2, 2013

子どもは国の宝

江戸時代の子育ては家庭ぐるみ、地域ぐるみで取り組みました。
そこには「子どもは国の宝」という発想があったからです。年齢に応じて発達していく能力を前提にして、まず「心の在り方」を養育し、
次に「暮らしに役立つ実学」を身体で覚えさせたということです。特に日本橋や京橋、新橋界隈の豪商が費用を出し合ってつくった江戸寺子屋では、「男あるじ」「女あるじ」を養成する特別プログラムがあったそうです。

そこでは「視る」「聴く」「話す」が重視され、ロールプレイングも時々行われました。
その中で「気付き」「自発性」「自立」「自律」が養われていったのです。

次に学んだのが「読み書き、算盤」の実学でした。

卒業試験は「稚児問答」といって、師匠の前で口頭試験を受けたのです。

この子育ての究極の目的は、「人の上に立つ者の心得」をしっかり身につけさせるというところにありました。

決してブレるぶれることのないこの教育体制、目を見張るものがありますね。

 

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Sep 2, 2013

寺子屋の師匠は親同然

 

江戸商人がお金を出し合って作った寺子屋。
そこでは、「読み書き算盤」のほかに、「しぐさ」の学習を重視したのです。

親に代わって寺子屋の師匠が子供たちに教育しました。
年齢は40歳以上の男女。実学上、バランス感覚のいい年齢を選んだそうです。

師匠が入門してきた子供たちに最初に挨拶する言葉は、

「あなた方のお父さん、お母さん、皆さん立派な方々である。

そして、商いが繁盛して結構でござる。

そのためにご多用で、貴公らに読み書き算盤をお教えになれない。

よってもって拙者がその役をおおせつかった。

だから、貴公の親御さんに接するつもりで、拙者にも接しよ」と。

親が教えるべきところを代理人として教えるのだから、師匠は親と同じように「やっぱり偉いんだなあ」という認識が芽生えたというのです。

今の学校の先生は父母に気を遣い、入学式では、

「今日から皆さんはピカピカの一年生ですから、一生懸命に勉強して、偉い人になってください」としか言わないようです。いかがですか。

親も子も、教育に取り組む姿勢には今とは大きな違いがあったのですね。
江戸の人々の考え方、大いに参考になりますね。

 

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Sep 2, 2013

寺子屋の入学試験

皆様、おはようございます。

相手を尊重し、相互扶助を大切にした江戸庶民の暮らし。
この普及に大きな役割を果たしたのが寺子屋です。

江戸商人は、日々の商いがあるため、お金を出し合って寺子屋を開きました。

師匠に親代わりになってもらい、江戸の寺子屋で重視したのは、

「読み書き算盤」のほかに、生きる知恵の学習でした。

江戸寺子屋では入学試験がありました。一種のエリート校です。

この入学試験は、6歳の陰暦6月6日(新暦7月)。
合否の決め手は、2時間じっとして師匠(人)の話を聞けるかどうか。

「暑さ我慢会」と言われたそうです。

では、どんな学習を重視したかというと、

自然への感謝を元にした、自然科学(生物学、心理学、天文学、科学など)につながるようなことです。

例えば、朝顔の水遣りから自然のメカニズムや自然との共生を説きました。

そして、日常茶飯事の振る舞いや人を見抜く力、災害時の身の処し方など、

広い視野をもって物事を見ることで、自然や周囲の人々に生かされていることを教えたそうです。

この地球の中での生きとし生けるもの、すべてつながっているという教えですね。

また、教室では、他人の意見を否定せずに自由にアイディアを出し合って考えを深めたり、

設定した役割を演じてコミュニケーション能力を身につけていきました。

現在人材教育法として使われているロール・プレイングなどを、

既にこの教育の中に取り入れていたとは、まさに実践の学問ですね。

いかがですか。

現代人も学びたい魅力満載の教育。

自然への感謝に始まり、生きとし生けるものはみなつながっているという生き方を学び、

相手を尊重するコミュニケーション能力を身につける教育。

これこそ、真の教育ですね。

 

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Sep 2, 2013

『曾根崎心中』〜大阪の観客が見たものは〜

人形浄瑠璃 文楽『曾根崎心中』

元禄16年(1703)4月。大坂は天神の森で情死がありました。

男は内本町の醤油屋の手代で徳兵衛。女は北の新地の遊女でお初。

それぞれ互いに結婚話が持ち込まれ、加えて徳兵衛には冤罪も着せられ、

それゆえの心中でした。

大坂ではこの心中事件が人の口の端にのぼるほど、噂は広がっていたのです。

近松門左衛門は、この大事件をそのまま同名で浄瑠璃にしました。

心中事件から15日後、大坂道頓堀の竹本座で、竹本義太夫の語りで上演されました。当時、現代劇なんて、見たことがない時代。
空前の大当たりとなりました。
以後、この「世話物」というシリーズが続々と生まれていきます。
この「世話物」の主人公は、金も力もない普通の庶民の男たち。
大坂の人々は、一体どんな思いでこの『曽根崎心中』を観たのでしょうか。

女性、殊に遊女は男性を救うという観音信仰がありました。

出だしの部分は「観音廻り」。お初が大坂33か所の札所廻りをする道行から始まります。観音様がお初を救い、お初が徳兵衛を救うという暗示が込められています。

次に、二人が死に至るまでのいきさつや事実が語られます。
最後に、再び二人が死への旅路の道行をたどるという構成です。

観客はこの心中事件のあらましを知っています。食い入るように見たことでしょう。

舞台にまず、お初が現れ、観客は観音様の到来を見を見ます。
加えて、お初の人形を通して、生身の人間の霊魂(憑坐・よりまし)を見るのです。(現在、この部分は上演されていないそうです。)

次に、二人の死を決意するまでの事実や心の動きを知ります。
観客は、二人の人生を見て、嘆き、悲しみに浸り、カタルシスをも体験します。

最後に、二人が死へと旅立つ姿を、生々しく再現されるのを見ます。

観客はこのいきさつの一部始終を見て、中には数珠を手に持って成仏を祈った人もあるほどでした。

この作品は一つの宗教儀礼としての貴重な作品とも言われているのです・・。

是非、機会があれば、ご覧になってみてください。

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