能の鑑賞法〜No.7
6世紀以上も生き続けてきた能。シェイクスピアより2世紀も前に世阿弥が作った能が、現代まで生き続けてきた魅力、最も古くて、異国の人をも魅了する秘密、今まで何回かにわたって大まかに述べてきました。
織田信長が、桶狭間で、今川の軍勢に必死の攻撃をかけるのに先立って、
「人間五十年、下天の内にくらぶれば、夢まぼろしのごとくなり。
『敦盛』を舞うシーンを映画やドラマで見かけます。
戦国の時代、生と死はいつも隣り合わせにあって、武将たちは心の安寧を禅宗に求めたように、能舞台の世界に入り込むことによって、様々な苦悩を忘れ、現実から逃避することができたのでしょう。
そんな原点を振り返りながら、なぜ能はこれほど長い歴史を保ち続けてきたのか、再度、その能楽の魅力を生の舞台を通じて考えてみるのもいいですね。
面(オモテ)こそ能の表舞台〜No.6
ー面(オモテ)こそ能の表舞台ー
能楽師が鏡の間で面をかける瞬間、自分自身を日常の世界から切り放し、面の中に没入させる、いわば違う次元への変身の一瞬です。人は、なぜ仮面に郷愁の思いを感じるのでしょうか。
世界には様々な仮面があります。
また、未開の民族は仮面に霊の憑りうつりを信じて、仮面そのものが悪魔や災害を祓う力を持っていると考えていました。
現代でも、お祭りや縁日で、月光仮面から仮面ライダーまで子どもたちに仮面が好まれるのも、古代人の意識が現代人の血の中に流れているのではないかと思います。
ところが、世界の仮面の中で、能面は特異な地位を占めています。
能のリズム〜No.5
パリで能楽を上演したとき、若い音楽家たちが「やられた」と叫んだそうです。
五線譜に束縛されない、指揮者によって統率されることもない、それぞれの内的リズムのぶつけ合いによる新しい音楽を作りたいと、彼らは考えていたのです。
能の謡と囃子は八拍子という八つのリズムを基本にします。
舞台を演ずる人々〜No.4
今日は能舞台を演ずる人々について見てみたいと思います。
老後に最高の芸を目標とするカリキュラムを、世阿弥はつくったのです。
情念の純化〜「夢幻能」〜No.3
ー情念の純化「夢幻能」ー
観阿弥の子世阿弥は、「夢幻能」という演劇手法を生み出しました。
能舞台では、時間は自由に停止し、逆行し、亡霊や神、鬼、天狗などの異次元の存在まで自由に舞台に登場します。
「夢幻能」では何を描くのかと言うと、美しく、純粋に情念そのものを描くことです。
世阿弥が独り寝の妻の悲しみと死を描いた能「砧 (きぬた) 」。
「能」No.2 型〜最小限の動きの先にあるものは〜
型ー最小限の動きの先にあるものはー
能が時代や国境を越えて愛されてきた理由の一つに、
演劇としての能の表現が、再現的な写実の描写ではなく、
人間の情念を舞台に純粋に結晶しようと、
詩劇の形式をとったことが挙げられることを前回申し上げました。
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禅の「無」の境地が能にも色濃く表れているのです。
能では、手足の動きが心の動きを表現するまでに昇華させてしまいました。
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これらはすべて何百年もかけて磨き上げたものです。
この数歩にははるか千里のはるけさの思いが凝縮されています。
時間と空間を自由自在に使いこなしています。
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人間の感情を最も豊かに表現するのは顔ですが、動かない能面で覆ってしまいました。
指先の演技も極限まで制約して、肩と肘と手首だけが、常に円と直線の動きをします。
能では、足運びの流れるリズム感が大切とされています。白足袋の動きの美しさを最高に活かすのが鏡板です。
この音響効果抜群の文字通り檜舞台の上で響かせるのが足拍子です。
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また、能の舞台は老い松の絵があるだけですが、演目によっては、必要最小限度の道具(作り物)が使われ、
それも象徴的な意味を表します。
異次元空間とも自由に行き交います。
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例えば、「船弁慶」の船は幼稚園の工作のように見えますが、
ひとたびこの船が現れると、舞台はたちまち海上となり、
平家の亡霊が嵐を起こして源義経主従の船に襲いかかるのです。
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「安達原(黒塚)」では荒野に独り住む老女が回す糸車は、むなしくて長い彼女の人生であり、苦しみの世界に生き死にする人間の輪廻の姿を表します。
その背後にある寝室の作り物は、人間のおかした罪の集積を表現します。
能は無限の思いを語りかけてくるのです。
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能舞台の世界に入り込むことによって、様々な苦悩を忘れ、現実から逃避することができたのだと思います。
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今日もお付き合いいただきまして、ありがとうございました。
素晴らしい一日をお過ごしくださいね。(つづく)
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「能」No.1 武士階級のロマン
武士階級のロマン 「能」
キリスト以前に栄えたギリシャ演劇も滅び去っていきました。
最も古くて、異国の人をも魅了する秘密とは何でしょうか。
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増田正造氏によれば、
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西欧演劇にはないものでした。
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歌舞伎の花道とは違い、あの世からこの世に渡された掛け橋をも表しています。
時の権力者となっても、常に貴族文化にコンプレックスを持っていた武家階級。
彼らは、貴族文化が持ち得なかった演劇、しかも更に貴族的になりうる可能性を秘めた芸能である能を、
非常に必要としたのですね。
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原点回帰〜日本舞踊公演『創国記』〜
今年は伊勢神宮の20年に一度の式年遷宮の年。
そして、出雲大社は「平成の大遷宮」と言われる60年ぶりの本殿の修造が完成したお祝いの、特別な年ですね。
「遷宮」は、ご神体を本来の場所から移して社殿を修造し、再びご鎮座いただくことです 。
大屋根の葺き替えや銅板塗装など大規模な修造を行うことから、
御本殿の新築祝いのように捉えられがちですが、
本来の意味は、神様が鎮座されたその時を再現する、
いわば「原点回帰」だそうです。
日本舞踊協会が新作公演として、出雲大社のご祭神大国主命(オオクニヌシノミコト)の『「創国記」〜神々の宿命〜』を国立劇場小劇場で上演しています。
大国主命と言えば、鮫に体の皮をむかれてしまった因幡の白兎を助けた、
優しい心神様としてよく知られていますね。
その後、多くの苦労を乗り越えて美しい須世理比売(スセリヒメ)と結婚し、
ほかの神様と協力して、国造りに努力されたとされています。
七夕にちなんで、清元『流星』
古代中国の「星伝説」からきています。
神の衣は豊作をもたらすとされていました。
この二つが結びついたのが七夕の習慣です。
錦の唐装束の流れ星(夜這星・よばいぼし)が現れるというセッティングです。
牽牛と織女にとっては、去年の長雨のために、船で川を渡れず、逢瀬を楽しむのも三年越し。やっと会えたという感極まるところへ、流れ星が「ご注進、ご注進」と割って入ってくるのです。
空気を読めないというところでしょうか。
何があったのかと、牽牛が尋ねると、同じ長屋に住む雷の夫婦が喧嘩をしたとのこと。
流星はその様子を面白おかしく語っていきます。
吉原を描く『北州』vol.2
今日も清元の名曲、格調高い日本舞踊曲『北州』から見た「吉原」についてお話をします。
流行の最先端であり、憧れのスター以上のアイドル花魁がいたという吉原。この吉原の風物詩を描いたのが『北州』です。
遊郭と祝舞とは、いったいどういう結びつきがあるのでしょうか。
遊女の源流を尋ねれば、神々に仕えていた巫女に辿り着くと言われています。
歌舞伎の元となる「歌舞伎踊り」を生み出したとされる出雲阿国(いずものおくに)も出雲大社の巫女であったという説があります。
平安時代にあった芸能集団、猿楽の源流の一つとされる傀儡師(かいらいし)。
これが後に、渡り巫女(歩き巫女)となったとも言われています。お祭りや祭礼や市などを求めて、旅をしながらお札を売ったり禊や祓いを行った遊女の側面を持つ巫女ですね。
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