武士階級のロマン 「能」
外国の方からも高い評価を得ている「能」について、ご一緒に見ていきたいと思います。
舞台芸術、演劇はその場、その瞬間に消えてしまうもの。
キリスト以前に栄えたギリシャ演劇も滅び去っていきました。
でも、シェイクスピアより200年も前に世阿弥が作った能が、現代まで生き続けている魅力は何でしょうか。
最も古くて、異国の人をも魅了する秘密とは何でしょうか。
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増田正造氏によれば、
1つ目には、演劇としての能の表現が、再現的な写実の描写ではなく、人間の情念を舞台に純粋に結晶しようと、詩劇の形式をとったこと。
2つ目には、能面を主軸にして、何百年もの鍛錬に磨き抜かれた演技の力強さとその象徴の深さにあったこと。
3つ目には、音楽劇としての前衛的な発想であったこと。
4つ目には、たくましい人間讃歌と狂言との見事なアンサンブルであること。
これらが国境を越えて、能があらゆる時代を通して見る人に感動を与えてきた理由だと述べています。
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リアリズム演劇に行き詰った西欧が、能を前衛演劇として高く評価したのは、時間と空間を舞台の上で自由に使いこなしていたからでした。
能の舞台では、時間は自由に停止し、逆行し、神、鬼、天狗など異次元の存在も自由に舞台に登場します。
西欧演劇にはないものでした。
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例えば、能舞台の長い橋掛りの部分も大きな意味をもっています。
歌舞伎の花道とは違い、あの世からこの世に渡された掛け橋をも表しています。
能は、観阿弥・世阿弥父子と将軍足利義満との共同作業によって完成したと言われています。
時の権力者となっても、常に貴族文化にコンプレックスを持っていた武家階級。
彼らは、貴族文化が持ち得なかった演劇、しかも更に貴族的になりうる可能性を秘めた芸能である能を、
非常に必要としたのですね。
観阿弥の子世阿弥は、純粋な詩劇を作り上げ、甥の音阿弥の時代には幕府の正式な演劇として不動の地位を獲得し、徳川時代には今日の舞台の演技様式がほぼ完成します。
少しはご理解していただけましたか。
次回はもう少し具体的に見ていきたいと思います。(つづく)
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