今日も清元の名曲、格調高い日本舞踊曲『北州』から見た「吉原」についてお話をします。
流行の最先端であり、憧れのスター以上のアイドル花魁がいたという吉原。この吉原の風物詩を描いたのが『北州』です。
遊郭と祝舞とは、いったいどういう結びつきがあるのでしょうか。
遊女の源流を尋ねれば、神々に仕えていた巫女に辿り着くと言われています。
歌舞伎の元となる「歌舞伎踊り」を生み出したとされる出雲阿国(いずものおくに)も出雲大社の巫女であったという説があります。
平安時代にあった芸能集団、猿楽の源流の一つとされる傀儡師(かいらいし)。
これが後に、渡り巫女(歩き巫女)となったとも言われています。お祭りや祭礼や市などを求めて、旅をしながらお札を売ったり禊や祓いを行った遊女の側面を持つ巫女ですね。
清元「北州」にも、「見世(みせ)菅掻(すががき)」という言葉が出てきますが、これは、江戸吉原の遊女が客寄せのために店先で弾いた三味線音楽のことです。
ほんのちょっとのフレーズですが・・、こんな風に登場します。
美しいですよ。
正月の松の位の太夫の花魁道中、
春の桜に浮かれて吉原の仲の町を歩く客人、
見世菅掻の三味線の音が聞こえてくると、張見世に並んだ遊女を覗き見する客の姿と・・。
「見世清掻きの風薫る 簾かゝげてほととぎす 鳴くや皐月の菖蒲草 」
この「菅掻(すががき)」というのは、元々は神楽からきた楽曲です。
それを遊女の出に使っていたというのも、なるほどと、うなずけますね。
ほかにも、新春の歌舞伎「助六」や「籠釣瓶(かごつるべ)」、
そして長唄「吉原雀(よしわらすずめ)」でも、この「菅掻」が廓の描写で使われています。
『北州』の一つの楽しみ方、いかがでしたか。