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Oct 10, 2013

吉原を描く『北州』vol.1

江戸吉原にも、それぞれが抱く様々なイメージがありますね。

今日ご紹介するのは、日本舞踊家にとっては大変難しい曲とされている清元の「北州」から見た吉原です。

この曲は師範代になるための曲でもあります。

「吉原」は当時の人々にとっては美しい夢の町にもたとえられる華やかな社交場であったのですね。そしてその中心となる一流の遊女の中には、
和歌や茶道など当時としては最高の教養を身につけて、
人々から現代の歌手や映画スター以上の憧れをもって迎えられていた遊女もいたほどです。

この吉原を舞台にして誕生したのが、ご祝儀曲として格調の高い「北州」(本名題「北州千歳寿(ほくしゅうせんねんのことぶき)」です。

1818年(文政1)、作詞大田南畝、作曲川口お直によって作られました。

「北州」とは江戸の北方にあたる新吉原を指し,その四季の風物を描いた作品です。

作曲者が吉原の芸者であったので,廓の雰囲気がよく表現されています。

しかも、作詞者は、新吉原でよく遊んだといわれる狂歌の名人蜀山人こと大田南畝。雑学者で知られた粋人だけに、廓の内情にも詳しく、吉原の年中行事に、四季折々の風物をうまくからませ、いろんな故事来歴や古歌などを引用して綴っています。

「音で描いた吉原の風物詩」と言う人もあるぐらい、
美しい優雅な曲にのせて、
吉原の四季折々の風物や多くの登場人物がいきいきと描写されています。

舞踊家は、吉原の正月風景に始まり除夜の鐘まで、扇子一本で描写していくのです。

男になったり、女になったり、
松の位の太夫、振袖新造、禿、
それに幇間、酔客、武士、果ては馬士まで、
吉原を往来する20人くらいの人々を踊り分けていく、
それは大変難しい舞踊とされています。

 

IMG_4128さて、郭と祝舞、そこには単に華やかな美の世界というだけではなく、遊女の源流をたどっていくと、何かが見えてきそうです。

次回はそれについて、見ていきたいと思います。(つづく)

 

 

Oct 10, 2013

新歌舞伎座〜こけら落とし公演〜

新歌舞伎座のこけら落とし公演を振り返って
今年4月の東京歌舞伎座のこけら落とし公演は大盛況でしたね。
中村勘三郎、市川團十郎という人気スターを失った歌舞伎界にとっても、新歌舞伎座興行にかける意気込みは相当なものだったと思います。現在の歌舞伎界を代表する俳優陣が得意の演目を熱演しました。その舞台裏を密着したのが、NHKスペシャル「新生 歌舞伎座 檜舞台にかける男たち」でした。

杮葺落四月大歌舞伎

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Oct 10, 2013

吉原は男性の街

江戸庶民の娯楽、

歓楽街と言えば、女性は芝居町、
男性はそれに加えて吉原です。

 

江戸吉原は、京の島原、大坂の新町と並ぶ幕府公認の遊郭でした。

ある意味でお金さえあれば、お大尽とも崇められ、江戸時代のあらゆる社会的制約から免れた自由な世界でした。

日本橋葺屋町(現在の日本橋人形町)にあった吉原 (元吉原) は、明暦の大火によって消失したため浅草 ( 三谷 ) に移転しました。

浅草のほうを新吉原(略して吉原)と呼びます。

江戸城の北に当たるところから「北国(ほっこく)」または「北州(ほくしゅう)」とも言われます。

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「郭」というのは、現代の感覚とはまったく違っていたようです。

いわば社交場でもあり、ファッション情報の基地でもあり、大名や文化人も集まるサロン的な役割を果たしていまいた。

一流の遊女は和歌や茶道など教養を身に付けていました。

日夜、歌舞伎曲が鳴り響くところでもあり、今日の邦楽、邦舞も、廓文化との関わりも深かったのです。

新春を寿ぐ歌舞伎狂言「助六」も吉原を舞台にしたものですね。

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人々が人里離れた吉原まで行くには、主に柳橋から猪木舟 ( チョキ舟・屋根のない、猪の牙のように先とがった細長い形の小舟 ) をチャーターします。

柳橋の船宿で、武士は深編笠を借り、僧侶は法衣を脱ぎ、手代は木綿を絹に着替えて、猪木舟に乗り込みます。

浅草の今戸の船宿で舟を降りたら、船宿の若い衆が提灯を持って出迎え案内され、いよいよ吉原に到着です。

遊客の胸の高鳴り、ワクワク感が目に浮かぶようです。

深川節です。

チョキで、サッサ
行くのが 深川通ひ  
あがる桟橋子
コレワイサノサ
いそいそと 客の心は、うはの空  
飛んで行き度い
コレワイサノサ  
ぬしのそば駕籠で、サッサ
行くのが吉原通ひ
おりる衣紋坂
コレワイサノサ 
いそいそと  大門口をながむれば
 深い馴染で
コレワイサノサ  
お楽しみ

 

 

Oct 10, 2013

庶民の娯楽だった歌舞伎見物

今でこそ歌舞伎は、日本の古典芸能と言われ、ちょっと堅苦しい感じがしますが、

江戸時代には、庶民の娯楽、芸能だったのです。
江戸には、芝居町という芝居小屋を中心とした芝居茶屋、食べ物屋、土産物屋などがあり、

歌舞伎興行に関わる人々も住んでいるところでした。

男性の歓楽街は吉原、女性の歓楽街はもっぱら芝居町だったのです。
その歌舞伎の楽しみ方は現代人の想像をはるかに越えたものだったようです。

歌舞伎芝居は、夜明けの一番太鼓とともに入場が始まるため、

前夜のうちに、お弁当を作って、夜道に提灯をぶら下げて、

又は駕籠をあつらえて、芝居町に向かいました。

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Oct 10, 2013

新歌舞伎座がオープンして

東京の歌舞伎座が、今年の四月、こけら落とし公演をしました。

新しい劇場がオープンし、新しい歌舞伎の幕開けですね。

歌舞伎の三大名作は、

「仮名手本忠臣蔵」「菅原伝授手習鑑」「義経千本桜」といわれています。

その理由として、

一つ目は、三本とも日本の歴史の中で著名な、日本人にとって忘れがたい悲劇の英雄たちを扱っていることです。

「忠臣蔵」の大石内蔵助 (劇中では大星由良之助) 、

「菅原」の菅原道真、

「千本桜」の源義経です。

二つ目は、戯曲として非常に高い完成度を持っていることです。

(歌舞伎でも人形浄瑠璃でもそうです。)

三つ目は、様式性が強く伝承しやすい義太夫狂言だったということです。

つまり、「義太夫狂言」という義太夫節による人形劇として書かれた戯曲を、歌舞伎に取り入れて役者が歌舞伎として上演するので、「型物」として伝承しやすかったのです。

この「三大名作」は「時代物」と呼ばれます。

歴史をベースにして、作者の大胆な創作による歴史のパロディ劇でもあり、

それぞれ壮大なスケールで展開されるドラマです。

そこには、江戸時代につくられた日本人の感覚、精神性も見え隠れします。

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今年のNHKの大河ドラマは新しい時代を切り開く女性新島八重の物語を描いていますね。

なかなか魅力的な女性ですが、この「三大名作」に日本人の原風景を探しにいってみたいと思います。

皆様、どうぞよろしくお願いいたします。

 

Sep 13, 2013

「草主人従(そうしゅじんじゅう)」

9月10日、Facebookに投稿した記事です。皆様、おはようございます。
オリンピックの7年後の東京招致は、日本が大きく変わっていく予感、期待感を心から湧き上がらせてくれますね。自分も何かしたい、でも自分は何をすればいいのだろう・・と思うことはありませんか。果てしない大空と広い大地のその中で
いつの日か 幸せを
自分の腕でつかむよう

松山千春の『大空と大地の中で』は、自分が元気を失った時、
私を助けてきました。今もそうです。

大地に立って、両手を広げて、体全体で風を、空気を、匂いをいっぱいに感じて・・
そうだ、一人じゃないんだ・・、涙が出てきます・・。

日本人は雨でも風でも自然界のものに、いろんな名前をつけてきました。

畑や海の仕事をする人も、そこに季節を知り、またその作業の目安にもしてきたのですね。

春一番(はるいちばん)
黒南風(くろはえ)・荒南風(あらはえ)・白南風(しらはえ)
白南風(しらはえ)
野分(のわき)
颪(おろし)

秋、台風とともにやってくる「野分」
稲作の生育にも被害を与えます。
今年も、日本全国、実り豊かになりますように〜!

黄金色に輝く田んぼとみんなの笑顔を思い描いて・・。(*^^*)

おれたちは自然に生かされている存在だあ〜。
お天道さまと水と草木がなくっちゃ生きられねえ。
すべての生き物と共生しているんでさあ〜。

江戸の人々は「草主人従(そうしゅじんじゅう)」と考えていたのですよ。
そして、エコライフを実践していました。
こういう生活を意識する中から、自分にふさわしい何かが見つかるはずです。☆

今日も素晴らしい一日をお過ごしくださいませ。
行ってらっしゃ〜い。♪(*^^)o∀*∀o(^^*)♪

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Sep 13, 2013

重陽の節句

皆様、おはようございます。

今では忘れがちな「重陽の節句」。

「菊の節句」ともいわれます。

9月9日は「9」が重なるところから、「重陽」としてお祝いしました。

菊が咲くこの時期、菊の香りを楽しむのもいいですね。

菊は、仙境に咲く花と考えられました。

平安時代、宮中では「菊酒」を酌み交わす行事が行われたそうです。

「菊酒」を飲んで、邪気を払い、長寿を願ったのですね。
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重陽の節句の前日に、こんなこともしました。

「菊被綿(きくのきせわた)」です。

この重陽の節句の前日に、菊に綿をかぶせて香りを移し、翌朝、露に湿った綿で顔や身体を拭いて、邪気を払いました。

枕草子や源氏物語にも「菊水」などの言葉が出ています。

優雅です。菊はそんなに香り立つものだったかなあと思いますね。

色々なところで菊の品評会や菊人形展が開催されますね。

菊

長崎では、9月9日を「お九日(くんち)」として、

旧暦の日に収穫祭と習合して「長崎くんち」でお祝いするそうです。

季節を肌で感じるいろいろな行事。

自然現象から実際の体験を通して知る「暗黙知(あんもくち)」。

江戸の人が子どもの教育にも大切にしたことです。

今こそ子供たちに体験してほしいですね。

今週もよろしくお願いします。
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オレンジ色の紅葉

 

 

Sep 11, 2013

日本人も外国人化か・・

皆様、おはようございます。

文楽の人形遣い、人間国宝の吉田簑助さん。

『頭巾かぶって五十年』という著書の中で、海外公演の体験談を書いています。

海外の人の反応が意外なものだった例を挙げています。これらの演目をご存知かどうかはさておいて、
ちょっと文化の違いを感じてみてください。
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「道行初音の旅(みちゆきはつねのたび)」では、狐が恩を感じて、忠信の姿となって、静御前を護っているのですが、欧米では、どうしても理解されません。

狐が、欧米では、イソップ物語の悪役ぶりとして浸透していて、
人を助けるとは、だれも信じてくれないのです。
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「釣女(つりおんな)」では、大名が美女を釣り、太郎冠者が醜女(しこめ)を釣っ
て、日本では大笑いですが、
アメリカ人は、太郎冠者が釣った鼻が低く頬の赤いお多福のほうが、細面で整った美人よりも個性的でチャーミングというのですから、
オチにもならないのです。

仕方なく、お多福を男の三枚目の頭にしたものでした。

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勧進帳2

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「道行恋の苧環(おだまき)」では、求女(もとめ)を奪い合うお三輪と橘姫が、三角関係にありながら、なぜ三人で仲良さそうに踊っているのかというのです。

「阿古屋琴責(あこやことぜめ)」では、嘘発見器よろしく、阿古屋が弾く箏や三味線の音色の乱れで詮議するのですが、

侍が、単にフジヤマゲイシャガール遊びをしていると思われたようです。
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海外公演で、歴史、風俗、習慣の違いを感じて、笑ってしまうこともしばしばあるようですね。
それが、日本でも同じようなことが起こりかけているそうです。

例えば、「野崎村」で、お染が、箒に手拭いで頬かむりさせて、戸口に立てかけますが、これがなんだか分からないようだというのです。

嫌な、早く帰ってほしい客には、そういうおまじないをしたものですが、今は箒を知らない人がいます。掃除機にバスタオルを巻くわけにもいかず、困ったものです。

日本の子供たちにも箒を教えてあげないといけませんね。

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考えてみれば、日本人も外国人化してきているということですね。

日本人がこれから古典芸能を楽しく鑑賞するためにも、親子で鑑賞する機会を作ったり、子供たちの世代に日本の歴史、風俗や習慣を伝えていくことが必要かもしれませんね。

そして、オリンピックの関係で大勢の外人さんが日本にやってきますね。

胸を張って日本の文化を語ってまいりましょう。

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歌麿団扇

 

 

Sep 11, 2013

佃の住吉さん

皆様、おはようございます。

☆佃島の住吉さん☆

この佃島の住吉神社は、1646年、住吉大社の分神霊として建立。

江戸幕府に許可された由緒ある江戸っ子のお祭り、今も3年に1度行われます。

佃島住吉の祭り

隅田川を渡御する船渡御祭。

江戸三大囃子の一つ、佃ばやし。

高さ20メートルの6基の大幟(のぼり)と八角神輿。

一見の価値ありですよ。

今日はレトロな雰囲気で。

楽しい週末をお過ごしくださいね。

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Sep 11, 2013

出会いを尊び、別れは余韻を楽しむ。

9月6日、これはFacebookに投稿した記事です。
皆様、おはようございます。
今日はもう金曜日ですね。一週間が過ぎるのが早いですね〜。
人との出会い、仕事上でも、プライベートでも、今週もたくさんあったことでしょう。ああ、あの人にまた会いたいなあと思うこともしばしば。
またそう思われたいですね!出会いを大切にすることは別れも大切にすることを江戸しぐさは教えています。

地方から江戸へ出てきて一生懸命働いて、ひと財産築くことは、当時の人々の夢でした。今でもそう思っている人もいるでしょう。

いくら江戸で成功し、駕籠に乗れるような身分になっても、思い上がってはいけないと。

「実るほど頭の下がる稲穂かな」

謙虚さや慎ましさこそ、人間関係を築き上げるコツと考えられていました。

訪問先の手前で駕籠を降りて、あたかも歩いて訪問先を訪ねましたという、配慮がされていました。これが「駕籠止めしぐさ」です。

そして、
「この人に会えて本当によかった」
「また会いたいなあ」「お名残惜しいなあ」と、
相手の人は心に余韻を残し、それを味わって楽しんだのです。

「いやあ、富山屋さん、今日は長いことお邪魔しました。ごめんください!」
と言って、一礼して江戸屋のご亭主が富山屋さんに一礼。
その後、三間(5.4メートル)ほど行ったところでもう一度振り返って最後のあいさつ。

出会いを大切にして、別れ際にも余韻を残す。

今は、「はい、それでは失礼します〜」で、電話もプチッと切ったり、
タクシーや電車で帰る相手に、すぐ背を向けてはいませんか。

こちらも相手にまごころを伝え、相手にも余韻を楽しんでもらうって、
この空気のやり取りが日本人らしいなあと思いますね。

今週も江戸しぐさ、楽しんでいただけましたか。
今日もお互いの間を楽しみましょう。
行ってらっしゃ〜い。♪(*^^)o∀*∀o(^^*)♪

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