今でこそ歌舞伎は、日本の古典芸能と言われ、ちょっと堅苦しい感じがしますが、
江戸時代には、庶民の娯楽、芸能だったのです。
江戸には、芝居町という芝居小屋を中心とした芝居茶屋、食べ物屋、土産物屋などがあり、
歌舞伎興行に関わる人々も住んでいるところでした。
男性の歓楽街は吉原、女性の歓楽街はもっぱら芝居町だったのです。
その歌舞伎の楽しみ方は現代人の想像をはるかに越えたものだったようです。
歌舞伎芝居は、夜明けの一番太鼓とともに入場が始まるため、
前夜のうちに、お弁当を作って、夜道に提灯をぶら下げて、
又は駕籠をあつらえて、芝居町に向かいました。
浅草猿若町に着くと、
芝居茶屋で一服して、
女性たちは晴れ着に着替えて、
茶屋の若い衆に案内されて、
白い鼻緒の福草履に履き替えて、
枡席や桟敷席に着きました。
芝居小屋の中は、現実世界を離れた別世界で、
士農工商の区別もなかったと言います。
芝居の幕間には、枡席や桟敷席の客は茶屋へ帰り、
昼のお弁当を食べたり、お酒を飲んだり、
年頃の娘さんは、そこでお色直しをしたりして、
再び枡席や桟敷席に戻りました。
現代と違って、芝居小屋は、お見合いの場所にも使われたのです。
「二階桟敷の前列の、右から二番目に座っているお嬢さんがお相手ですよ」と仲人が言うと、
その男性は芝居そっちのけで桟敷の娘を観察し、
相手の娘やその両親もその男性をじっくり品定めしていたというではありませんか。