吉原を描く『北州』vol.1

江戸吉原にも、それぞれが抱く様々なイメージがありますね。

今日ご紹介するのは、日本舞踊家にとっては大変難しい曲とされている清元の「北州」から見た吉原です。

この曲は師範代になるための曲でもあります。

「吉原」は当時の人々にとっては美しい夢の町にもたとえられる華やかな社交場であったのですね。そしてその中心となる一流の遊女の中には、
和歌や茶道など当時としては最高の教養を身につけて、
人々から現代の歌手や映画スター以上の憧れをもって迎えられていた遊女もいたほどです。

この吉原を舞台にして誕生したのが、ご祝儀曲として格調の高い「北州」(本名題「北州千歳寿(ほくしゅうせんねんのことぶき)」です。

1818年(文政1)、作詞大田南畝、作曲川口お直によって作られました。

「北州」とは江戸の北方にあたる新吉原を指し,その四季の風物を描いた作品です。

作曲者が吉原の芸者であったので,廓の雰囲気がよく表現されています。

しかも、作詞者は、新吉原でよく遊んだといわれる狂歌の名人蜀山人こと大田南畝。雑学者で知られた粋人だけに、廓の内情にも詳しく、吉原の年中行事に、四季折々の風物をうまくからませ、いろんな故事来歴や古歌などを引用して綴っています。

「音で描いた吉原の風物詩」と言う人もあるぐらい、
美しい優雅な曲にのせて、
吉原の四季折々の風物や多くの登場人物がいきいきと描写されています。

舞踊家は、吉原の正月風景に始まり除夜の鐘まで、扇子一本で描写していくのです。

男になったり、女になったり、
松の位の太夫、振袖新造、禿、
それに幇間、酔客、武士、果ては馬士まで、
吉原を往来する20人くらいの人々を踊り分けていく、
それは大変難しい舞踊とされています。

 

IMG_4128さて、郭と祝舞、そこには単に華やかな美の世界というだけではなく、遊女の源流をたどっていくと、何かが見えてきそうです。

次回はそれについて、見ていきたいと思います。(つづく)