和のたしな美ぶろぐ
May 6, 2016

【七十二候から】19 「蛙始めて鳴く」

【七十二候から】19

「蛙始めて鳴く」

皆様、おはようございます。

昨日は「立夏」、そして「蛙始めて鳴く)」日。

あちこちで代掻きが始まり、水田に苗が整然と植えられ美しい風景が見えます。

昨夜も蛙たちの大合唱がいよいよ始まったなあと、

田舎の良さを満喫しました。

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昨年のこどもの日には、

父も元気で孫たちを迎え、

みんなで楽しみましたのに・・・。

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でも、父が残してくれた贈り物があります。

それはいつも窓辺にやってくるヒヨドリのつがい。

今日も餌をねだりにやってきました。

父がいなくても、春になると訪れるこのヒヨドリに心熱くなります。

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暖かくなってきたので、今回の連休でやっと仏間を片付けました。

新緑が爽やかな風を運んできてくれ、心もリフレッシュしてきました。

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皆様も心地よい連休をお楽しみくださいね。

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Apr 30, 2016

【七十二候から】18 「牡丹華咲く」

【七十二候から】18

「牡丹華咲く」

皆様、おはようございます。

穀雨の末候「牡丹華咲く(ぼたんはなさく)」の日。

大輪の牡丹の花が咲く頃。

ふんわりとした花びらがなんとも言えない美しさと優しさを醸し出しています。

牡丹の別名は、

「富貴草(ふきそう)」

「百花草」

「天香国色」など。

中国では、花の王さまといわれ愛されてきたそうです。

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幸せいっぱいのゴールデンウィークになりますように。

皆様、今日もすべては完璧、大成就でありますように。

被災地の皆様の安寧とご無事を今日も心からお祈りいたします。

牡丹

 

Apr 25, 2016

【七十二候から】17 「霜止んで苗出ず」

【七十二候から】17

「霜止んで苗出ず」

皆様、おはようございます。

日本の七十二候は、やはりお米の良い生育を待ち望むというのが根本にありますね。

百穀を潤す春雨の候「穀雨」の次候になります。

昨年刈り取った籾(もみ)は、今年の種籾(たねもみ)の苗。

もう霜も降りない頃。

ようやく種籾がすくすくと、青々と育つ時期ですね。

お米は一日に一度は食べたいものです。

お茶碗のお米を一粒でも残すと、おばあちゃんから叱られましたよね。

お米は八十八もの手間をかけて作られたもの。

粗末にしてはばちが当たると。

目が見えなくなると。

今日もたくさんの命に感謝をして、お食事をいただきましょう。

皆様、今日もすべては完璧、大成就でありますように。

被災地の皆様の安寧とご無事を今日も祈ります。

下赤坂の棚田1

 

Apr 23, 2016

リンカーンに会えた日本人ヒコの生涯vol.3「新聞の父」

おはようございます。

ジョセフ・ヒコの生涯のお話。今日はいよいよ完結編になります。

友人の真下 吉弘さんのご好意によって、詳細な事実をこうしてお話できることに

感謝しながら・・・。

ヒコはアメリカでサンダース家の養子として迎えられ、みんなに可愛がられながら
学業に専心していきました。

ところが、サンダースの銀行の倒産があり、彼は学業を断念し、海軍少佐で航路測量艦の艦長ブルックの乗務員として採用され、そこで勤めました。

海洋学のパイオニアとして太平洋や日本海などの調査に乗り出します。

その後勝海舟が咸臨丸で太平洋横断する際に、ブルック船長を水先案内人として紹介したのがヒコでした。

この時の功績で、ヒコは幕府から短刀を贈られています。

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その後、ヒコは、ハリスのアメリカ領事館の通訳に従事しました。

当時は日本もアメリカも、オランダ語に言葉を翻訳してからの意思疎通をしていましたので、

とても話が通じにくく、時間がものすごくかかっていました。

こんな時、流暢な日本語と英語を話すヒコは、華やかな外交舞台で活躍することになります。

ヒコの誠実で、優しい人柄は日本人からも、アメリカ人からも信頼を得ていたといいます。

ヒコは、どこでも好感が持たれ、愛されていたのですね。

「稀にみる人物でもあったのだと思います」と、真下さんはおっしゃっています。

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前回も書きましたように、

日本は尊王攘夷の浪士たちの動きによって外国人には不穏な状況でした。

そんな状況でしたので、ヒコは、アメリカの友人知人からアメリカ国籍の取得を薦められ、

日本で初めてアメリカに帰化した日本人「ジョセフ・ヒコ」となっていたのでした。

ヒコは、身の危険にさらされていたので辞職をします。

そして、横浜にある外国人居留地で商社を開いて貿易商となりました。

折しも、リンカーン大統領のゲティスバーグでの名演説(文久3年、1863.11.19)、

「人民の人民による人民のための政治」の反響を載せた「ニューヨークタイムズ」を目にします。

彼は国民に即情報や朗報を知らしめる新聞の威力に感動し、日本での新聞発行に挑戦します。

「海外新聞」というものを発行していきます。

日本の知識人に多大な影響を与えました。

これが現在の新聞の原型だといわれています。

後に彼は「新聞の父」と呼ばれるようになりました。

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あのリンカーン大統領との握手の会見の後、ヒコの心の中には、日本文化とアメリカ文化の架け橋になるという強い決意を抱いたのです。

彼はそれを実行していったのですね。

歴史上の表舞台に登場してはいませんが、桂小五郎、伊藤博文、井上薫の影の力となったそうです。

グラバー邸では坂本竜馬とも一緒に働き、後の戦中八策に多大な影響を及ぼしたことも推定されます。

アメリカに帰化したとはいえ、偉大な日本人として忘れてはならない人物だったのです。

同時代の漂流者としてアメリカに渡り、アメリカで教育を受け日本のために尽力した、

ジョン万次郎(中浜万次郎)は、歴史上知られていますね。

万次郎は日本国籍ゆえに有名になったともいわれています。

ほんの6歳しか違わない二人ですが、日米の架け橋となって尽くし、

時代の大きな波の中に運命を預けるかのように、

その人生を全うしていったことには変わりありません。

今彼は青山の外国人墓地で眠っています。

ごく普通の少年が、江戸の寺子屋教育で心を養い、

アメリカでリンカーン大統領と出会い、人生の決断をして、

日本の不穏な動乱の時代の中にあっても、

祖国を愛して生涯を全うした、

その一人の日本人ジョセフ・ヒコを、

現代の私たちは忘れてはならないのだと思います。

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最後までお読みくださいまして、ありがとうございました。

日本人の気骨を全うしたジョセフ・ヒコの生涯を知る機会に巡り会えうことができて、私は幸せです。

感謝しています。

今まで綴ってきた記事はこちらです。

どうぞご覧くださいませ。

http://derivejapan.com/blog/hikozou/

http://derivejapan.com/blog/joseph-hiko1/

http://derivejapan.com/blog/joseph-hiko2/

桜6〜Wanda

 

Apr 23, 2016

リンカーンに会えた日本人ヒコの生涯vol.2「日米の架け橋に」

おはようございます。

ジョセフ・ヒコの生涯のお話。続きを記していきます。

今日も友人の真下 吉弘さんのご好意によって、詳細な事実をこうしてお話できることに感謝します。

この前の記事二つはこちらになります。

http://derivejapan.com/blog/hikozou/

http://derivejapan.com/blog/joseph-hiko1/

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播磨の少年ヒコは13歳の時に江戸見物の帰り、栄力丸で故郷へ戻る途中、

遠州灘で暴風雨に巻き込まれて遭難したのです。

52日間の太平洋漂流後、彼ら17名はアメリカのサンフランシスコに到着することになりました。

江戸見物の帰りに、漂流してアメリカに行こうとは・・運命ですよね。

遭難船の船長は、アメリカに行く途中のハワイで病没しました。

彼らは、朝の日の出とともに起きて、全員で太陽に向かって柏手を打ってお天道様を拝したということです。

その姿に救難船の全員が畏敬の念をもって見ていたと、
ヒコは自叙伝に書き記しています。

さすが、日本の先人たちは太陽に手を合わせ、それを見る人にも感動を与えていた
のですね。

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サンフランシスコに上陸したのは12名でした。

10名は上陸後半年ぐらいして中国経由で日本に帰りましたが、

当時の日本の鎖国の厳しさから半数は中国にとどまり、5名ほどが日本に帰国できました。

中国に滞在したうち3名は行方不明となったようです。どの人も運命に翻弄されたような感じですね・・。

アメリカに残ったのは、ヒコとあと一人です。

この人はペリー提督の軍艦で帰国し日本に引き渡されるはずでしたが、

鎖国の厳しさを聞き知っているので、本人は体を震わして上陸したくないと哀訴したために、

アメリカに連れ戻され、コックとして一生涯アメリカで暮らすことになったそうです。

ヒコはアメリカ文化を吸収したいという向学心に燃えていました。

時は、ペリー黒船来航直前。

日本人のヒコらを国交開始のきっかけに利用したいと考えていたアメリカの意向に

添いたくないと考えたヒコは、またアメリカに戻ることを決意しました。

 

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丁度この頃、税関長であり、貿易商のサンダースにヒコは見い出されました。

サンダース家の人々に可愛がられ、高等教育を受けて、ヒコ自身も大きく成長していきました。彼の誠実さ、真面目さ、勤勉さ、どれも日本人らしいよさですね。

サンダースは秘書としてヒコを伴って財界や政界の要人と会っていきました。

そんな折に、ピアス大統領、ブキャナン大統領やリンカーン大統領に正式に紹介されて、会うことができました。

日本人としてアメリカ大統領に会見できたのは、ヒコが初めてでした。

 

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中でも、リンカーン大統領と会見した時、彼の優しさと人としての魅力、大きさに触れ、生涯忘れえぬ人となったのです。

リンカーンは、大きな手を差し伸べて、ヒコと握手を交わし、日本のことをいろいろと尋ねたそうです。

そして、彼は日本とアメリカの架け橋になろうと決意しました。

それから3年後、リンカーンは帰らぬ人となってしまいます。

彼の落胆はいかばかりだったでしょうか・・・。

日本は尊王攘夷で揺れている時代でした。

ヒコはアメリカに帰化していましたから、外国人とみなされ、

日本で横浜の領事館で通訳として従事していましたので、命の危険にもさらされました。

この続きは、また次回にしますね。

お読みくださいまして、ありがとうございました。

佳き一日をお過ごしくださいね。

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Apr 23, 2016

リンカーンに会えた日本人ヒコの生涯vol.1「運命の転換」

おはようございます。

日本が鎖国の時代。

その時代、寺子屋教育を受けた一人の若者が、

将来、大国アメリカと日本との文化の架け橋になろうとは。

だれが想像したでしょう。

「人民の人民による人民のための政治」を掲げ、
「奴隷解放の父」と呼ばれた

アメリカ第16代大統領エイブラハム・リンカーン

リンカーンが凶弾で倒れ逝ってしまったとき、心から深く悲しんでいた
唯一の日本人がいました。

彼の名前はジョセフ・ヒコ

詳しくはこちらをご覧くださいね。

http://derivejapan.com/blog/hikozou/

友人の真下 吉弘さんが、このジョセフ・ヒコ(浜田彦蔵)について
詳しく調べてくださいましたので、記していきますね。

真下さん、ありがとうございました。

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アメリカ名ジョセフ・ヒコ、日本名濱田彦蔵、幼名彦太郎は、

1837年現在の兵庫県播磨町古宮の百姓の子として生まれました。

13歳の時、17人の仲間と共に52日間の漂流を続け、

中国からアメリカに向かう商船オークランド号に救助されたのです。

ここから彼の運命の大転換が始まりました。

当時13歳の彦太郎の母の再婚先の商家で数年間寺子屋に通って、

母を喜ばせることでもあり、そこで懸命に勉強したそうです。

この寺子屋で学んだ日本での基礎知識がアメリカ文化を吸収する力になっていたと、

想像されます。

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ヒコはその誠実さ、真面目さから、救助された船の船長や船員から特別に可愛がられ、

髷を切って、洋服を新調してもらい西洋人の姿になりました。

上陸したサンフランシスコでは13人の日本人を送り返しました。

彼はそのままその地に残ります。

そのころ、日本に開国を迫る新聞論調が頻繁に出されていました。

事実1年後、ペリー提督が大統領の親書を携えて開国を迫っていたのです。

ヒコ達は、滞在したサンフランシスコの社交界で日本の民族衣装を着て、

舞踏会にも頻繁に駆り出されて、大もてだったそうです。

中でも、ヒコはその聡明さと日本人らしさで引っ張りだこでした。

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ヒコの、誠実で真面目、聡明であり、気骨のあるところは、

日本人の持つ素晴らしい特質を十分発揮しているように思います。

日本の民族衣装である着物を着て、アメリカの社交界でも人気を博したのですね。

ニューファッションのように、アメリカ人には見えたのでしょうか。

この続きはまた次に書きますね。

本日も最後までお読みくださいまして、ありがとうございます。

今日も幸多き一日になりますように。

写真は宮城の郷里の草花に登場してもらいました。☆

 

 

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Apr 20, 2016

【七十二候から】16 「葭(あし)始めて生ず」

【七十二候から】16

「葭(あし)始めて生ず」

皆様、おはようございます。

「穀雨」と呼ばれる春雨が降る頃。

水辺の葦が芽吹き始める頃。

春の雨は作物にとっての恵みの雨ですね。

百穀を潤す百の雨。

穀物を育む雨を「瑞雨」

草木を潤す雨を「甘雨」

春の長雨を「春霖」

早く咲いてと花に促す「催花雨」

菜の花が咲く頃に降る「菜種梅雨」

などなど。

被災地の皆様のご無事を心からお祈りしております。

皆様、今日もすべては完璧、大成就でありますように。

葉の雫1

 

Apr 15, 2016

リンカーンに会えた日本人浜田彦蔵

今日は、エイブラハム・リンカーンの命日(慶応元年・1865年4月15日)です。

第16代アメリカ合衆国大統領エイブラハム・リンカーン。

「人民の人民による人民のための政治」という言葉は有名ですね。

南北戦争の激戦地ゲディスバーグで戦没者をとむらった国立墓地の開所式での言葉です。

これは民主主義の本瑞として、フランス共和国憲法にもその原理として採用されたということです。

リンカーンに会ったという日本人で、ただ一人、リンカーンの死を深く悼んでいた人がいたそうです。

その名は、横浜の貿易商ジョセフ・ヒコ(浜田彦蔵)。

富士山と桜

彼は、播磨生まれで海上で遭難してアメリカ船に救われ、少年期をアメリカで過ごしました。

帰化して、最初の日系人となり、安政6年(1859)に帰国してからは、アメリカ領事館の通訳として活躍したそうです。やがて横浜に貿易商社を開きました。

1861年、また渡米して、62年3月、リンカーンと会見しています。

日本人としては唯一のリンカーンとの会見でした。

彼がシーワード長官の紹介でリンカーンに会ったとき、

リンカーンは大きな手を差し伸べて、「日本のような遠いところからよく来てくれました」と言ってくれたそうです。どんなにか嬉しかったことでしょうね。

彼はリンカーンのことを

「きわめてまじめで親切な人間で、接する人の誰にも愛されて、とくに自分の一統や友人からは、ひどく愛されていたとのことである。」と、書き記しています。

リンカーンに会ったという唯一の日本人ジョセフ・ヒコのお話、いかがでしたか。

菜の花畑
3年ほど前のスピルバーグ監督の映画『リンカーン』はご覧になりましたか。

南北戦争の最中、奴隷制の廃止と戦争の終結に挑む重厚感のある映画でした。

エイブラハム・リンカーン扮するダニエル・デイ=ルイスがまさに適役で素敵でした。

自分の死を覚悟しての改革。既成概念や固定概念を打破していくことは困難が伴います。

アメリカも日本も平和な社会になっていくことを望みますね。

本日も最後までお読みいただきまして、ありがとうございます。

今日も素晴らしい一日をお過ごしくださいね。

 

浜田彦蔵の生涯については、こちらをご覧くださいませ。

http://derivejapan.com/blog/joseph-hiko1/

http://derivejapan.com/blog/joseph-hiko2/

http://derivejapan.com/blog/joseph-hiko3/

 

 

和服生地

 

Apr 15, 2016

【七十二候から】15 「虹始めて見る」

【七十二候から】15

「虹始めて見る」

皆様、おはようございます。

今日は、晴明の末候「虹始めて見る」日。

春雨が続いていますが、

春の雨上がり、空を見上げれば虹をいよいよ見ることができる季節です。

虹の向こうに見えるのは、夢と希望。

今年の目標、実現したいことが少しずつ形となって表れてくる予兆です。

これから夏にかけて、夕立の後に多く見られます。

楽しみですね。

さあ、心晴れやかに、今日もまいりましょう。

皆様、今日もすべては完璧、大成就でありますように。

行ってらっしゃいませ。

虹

 

Apr 14, 2016

帯のリフォームを楽しむ3

【4/13の「帯で楽しいリフォーム会」のご報告】

皆様、こんばんは。

熊本地方の地震の被害が最少でありますようにお祈り申し上げます。

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中山幸恵さんのご指導のもと、
原田 康子
さん、
帯地などで作るバッグなどを販売されておられる 仁後圭音子さん、
お二人とも帯のリフォームに取り組みました。
皆様、お疲れ様でした。

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原田さんのブログはこちらになります。

着物の帯のテーブルランナーのビフォーアフター』

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中華「彩華」でのランチ、うま煮麺、焼きそばも美味でした。

原田さんは、テーブルランナー、鏡を覆うカバーなどを、
仁後さんは、テーブルランナーの大小を、
私は羽織の羽裏で暖簾を、
それぞれチャレンジしました。

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完成は次回に持ち越しとなりました。

次回の日程は、5月11日(水)となります。

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仁後さんは、有楽町マリオンの向かい側に新しくできた銀座東急プラザの7階の和のコーナーで、

帯や着物生地を使ったバッグや小物を展示販売していらっしゃいます。

どうぞお立ち寄りくださいませ。

仁後さんバッグ1

 

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