たしなみの言葉12「お心にかけていただき」
今日も”和のたしな美塾”から
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常日ごろ交流がある方に対して、
こんな言葉も素敵な表現ですね。
「日ごろは何かとお心にかけていただき、ありがとうございます。」
相手の方が年上の方だったり、
ビジネスで何かとお世話になっている方だったり、
ご近所の方だったり、などなど、
その方たちにこの言葉を使うと、その場が 和やかな雰囲気に満たされます。
お互いに笑顔で次の言葉やお願い事などもスムーズになりますね。
やはり、言葉は口だけではなくて、
心から真心の言葉を発することで相手の方に通じます。
相手の方に感謝の思いがあれば、
「お心にかけていただき、」
と、さりげなく出てくるでしょう。
大勢の周囲の人たちに支えられて生きていることに感謝を込めて、
広い範囲の知人の方に使える感謝の言葉、
「日ごろは何かとお心にかけていただき、ありがとうございます。」
を、さりげなく使えたら最高ですね。
たしなみの言葉11「日ごろは何かと」
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常日ごろ、相手の方と交わす言葉を大事にしたいものですね。
日常的に交流がある方に対して、
また、普段しばしばお仕事上で関わる方に対して、
「日ごろは何かとお世話になりまして、ありがとうございます。」
と、大事なお話の前に付け加えると、場が和らぎますね。
よく電話で挨拶代わりにはじめに交わす言葉として
「お世話になります。」と言いますが、
「日ごろは〜」という言葉を入れると、より丁寧に聞こえます。
もう少しかしこまった表現だと、
「日ごろは何かにつけてご厚情を賜り、ありがとうございます。」
となります。いかがですか。
これは手紙にも使える表現ですね。
和みのある美しいやまと言葉を、存分に使いましょう。
たしなみの言葉10「手を携えて」
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「手を携えて、やっていこうよ」
と、助け合って、ともに進もうよと、
仲間同士に呼びかける言葉ですね。
使ったことはありますか。
もともと、
「携える」は、移動するときに荷物などを手に持つことです。
ここに「手を」という言葉が入ると、
二人以上の人が手を取り合って進むという意味になります。
上下関係がなく、ある目標に向かってみんなでやっていく。
同じ夢を持つ人同士が、一人ではできないことをやっていく。
「手」という言葉は、人と人との温もりにあふれた言葉ですね。
ネットでのコミュニケーションが優先される時代だからこそ、
人と人とは直接会って、言葉を交わし、肌の温もりを感じ合う
ことの大切さをこの言葉は示してくれているように思います。
「手を携えて進もうよ。」
互いの温もりから発するエネルギーが大きく世界に広がっていくような感じがしますね。
たしなみの言葉9「遅ればせながら」
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お友達の誕生日がうっかり過ぎてしまったことに気がついて、
「遅れてごめんなさい。お誕生日おめでとうございます。」
なんて、言っていませんか。
そんな時、
「遅ればせながら、お誕生日おめでとうございます。」
と表現してみたら、いかがでしょうか。
「少し遅れてごめんなさい。」という気持ちがじんわりと相手に伝わります。
「遅ればせながら」の元々の意味は、
遅れて馳せ参じるということです。
つまり、大切な場にほかの人よりも遅れて駆けつけるということを意味します。
それが転じて、
きっかりした明確な日時の約束事ではなくて、
曖昧な約束事を少し過ぎてしまったときに使います。
丁寧な謝罪は仰々しいし、
かといって、何も言わないのもおかしい。
そんな時に使えますね。
「遅ればせながら、ありがとうございます。」
「遅ればせながら、ごちそうさまでした。」
柔らかい言葉ですね。相手の方も、気持ちがよくなります。
ぜひ使ってみてくださいね。
たしなみの言葉8「恐れ入ります」
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相手の方に褒められたとき、
「ありがとうございます。」
とよく使いますね。
でも、こんな言葉を使ってみてはいかがでしょうか。
「恐れ入ります。」
「恐縮です。」という言葉もありますが、
これより和らかい響きがありますね。
「恐れ入ります。」は、
相手に対して迷惑をかけて申し訳ないというニュアンスで日常使っているほうが多いですが、
相手の好意や褒め言葉に対してありがたいなあと感謝する思いで、
ぜひ使ってみてください。
「恐れ入ります。」
ほんの少し間をとってからこの言葉に口にすると、
「ありがとうございます。」よりも
和らかな響きの心地よさとともに、その人の品格を感じさせてくれますね。
たしなみの言葉7「しっくりいかない」
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どんなところでも、何が悩みかといえば、
それは人間関係だと思う人がほとんどでしょう。
「どうも、あの人好きになれない。」
「なんか、あの人おかしいよね。」
と、話が合わないとか、親しくなれないとか、
何となく虫が好かないとか、
いろんな印象を相手に持つものです。
別に喧嘩をしているわけではないのでしょうが、
つい人に愚痴をこぼしてしまいますね。
言葉に出すと、なおさら感情も強くなります。
そんなとき、こんな言葉を使ってみてはいかがですか。
「どうもあの人とはしっくりいかない。」
と。
何か感情的なものではなくて、客観的な感じがしませんか。
相手と違和感があったり、ぴたっといかなかたり、
調和がとれなかったりしたとしても、
「しっくり」を使うことで、
相手に歩み寄って、打開策をさがしてみようと、
そんな気持ちになれますよ。
いかがですか。
自分から歩み寄っていこうという思いは、尊いですね。
「駆けつけ三杯」のこころを〜大震災の日を再び迎えて〜
昨日の3月10日は東京大空襲の日でした。
歴史を振り返れば、昭和20年3月10日未明、
東京は焼夷弾の猛烈な雨に打たれました。
殊に、江東地区は334機に及ぶB29の無差別の猛攻撃を受け、
約2時間半の間に7万余人もの人々が亡くなりました。
川はさながら血の海、死体で溢れていたと、聞いたことがあります。
それ以降日本の大都市も次々に被爆し、原爆で亡くなった人を除いた死者は25万
6000人、被災者は920万人、全焼家屋221万戸に及んだといいます。
まさに地獄絵巻のようだったのですね。
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江戸時代にも、江戸の町は火事、地震、洪水、飢饉などの大災害や天災に遭遇しました。
「明暦の大火(めいれきのたいか)」は、江戸の町の三分の二を焼き尽くした
世界史上で三本の指に入る大火事でした。
この大火事もまさに地獄絵さながらのようだったといわれています。
幕末、ペリーの黒船来航後の安政江戸大地震(1855年)も歴史に残る大天災でした。
戦争も、大地震や大火事も一夜にして、国の運命も人の人生をも一変させてしまうものですね。
今日は3月11日。
東日本大震災からはや4年がたちました。
復興や原発の対策について、もどかしさを感じている人も多いのではないでしょうか。
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江戸の町では、それまでの教訓を活かして、幕府も大店も寺社も士民が一丸となって災害に立ち向かい、
よりよい町づくりをしていくという自治の精神も生まれていきました。
「困ったときはお互いさま」を合言葉として、
「自分にできることはどんなに小さいことでもやろう」という気概も育っていったのです。
自分が人のお役に立っている、
自分も人に生かされているということを実感として生きたのだと思うのです。
私たちも東日本大震災後、みんな本当の幸せとは何だろうと、
真剣に考えるようになりました。
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「火事と喧嘩は江戸の華」という言葉は有名ですね。
それもそのはず。三年に一回は火事で焼け出されるという状況だったようです。
頻繁に起こる火事のために、江戸の商家の火事対策はよくされていたそうです。
火が出て見舞客が駆けつけてくると、酒食を用意していおいて、それをふるまったのです。
昨年も書きましたが、
「かけつけ三杯」という言葉は、この江戸の火事場の習慣から生まれた言葉です。
人は追い詰められると究極の選択を迫られます。
生きるか死ぬかの瀬戸際で、『蜘蛛の糸』のカンダタのように、
自分だけが助かりたいと思うのか、それとも共に生きる道を必死で探そうとするのか。
私たち日本の江戸の先人たちは、災害に遭遇した時、助け合うという行動を選択したのです。
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「かけつけ三杯」
この言葉、今では宴会に遅れてきた人に、罰として続けざまにお酒を三杯飲ませるという意味で使われていますが、江戸の火事に由来があったのですね。
大火事にみまわれても、心の余裕を失わずに人々のお役に立とうとした心意気。
そして、助け合いや互助精神。大変な状況の中で、互いに命を尊んで生きて、生きて、生き抜いた人たち。
そんな中での「かけつけ三杯」という相手をねぎらおうとする心意気には、もう脱帽です。
火事場の馬鹿力とは、本当はそういうものなのでしょう。
どんな災害に見舞われても不死鳥のように立ち直ってきた日本は、
先人たちの助け合いの精神が実は大きかったのだと、
痛感します。
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まずは自らが手を差し伸べようではないか。
その手を掴んでくれる人が必ず現れるのだから。
そして、必ず共に立ち直れると信じていこう。
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たしなみの言葉6「誼(よしみ)で」
今日も”和のたしな美塾”から
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「同郷のよしみで、今度県人会の幹事になってくれないか。」
なんて言葉をよく耳にしますね。
「よしみ」は「誼」と書いて、「親しく思う気持ち」も表しますが、
実際には単純に「縁があること」の意味に使われていることが多いようです。
あなたと私は縁がある、知り合いなのだから、
引き受けてほしいという、頼み事に使われています。
「誼(よしみ)」の本来の意味は「親しく思う気持ち」です。
頼み事に使うというより、自分の心情を表す言葉になります。
その思いを込めて、こんなふうに使ってみてはいかがでしょうか。
「誼を結ばせていただて、光栄に思います。」
「おかげさまで、誼を結ばせていただいています。」
と、目上の人と親しく交流している様子を会話の中で使えば、
敬意のこもった上品な表現になり、その方を尊敬している様子も伺えます。
このように、日本語の中には、敬語を使わなくても目上の人を敬う言葉があるのですね。
美しいです。
是非使ってみてくださいね。
たしなみの言葉5「心安い間柄」
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「あの人とは親しい間柄です。」
という親しい関係、遠慮なくなんでも話せる表現として、
「あの人とは心安い間柄です。」
という言い方があります。
「心」という言葉が入ると、
親しみやすく気がおけない、遠慮がない、気心がわかっている、
というように、お互いが打ち解けあっている様子が伝わってきます。
文学作品の中でもこんな風に使われています。
「出迎をした親類や心安い人の中には、」
森鴎外『かのように』
「どっかに心安い安らかな思いのこもった響でその余韻には鋭い皮肉がふくまれて」
宮本百合子『千世子(三)』
「心安い」
「心安い間柄」
柔らかい言葉です。
使ってみてくださいね。
たしなみの言葉4「敷居が高い」
今日も”和のたしな美塾”から
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「とかく日本の古典芸能は敷居が高くて、
能も歌舞伎にも接する機会がないわ。」
ついつい使っていませんか。
「敷居が高い。」
「自分には分不相応だ」「手が届かない」とか「格式が高い」
の意味に使われているのがほとんどです。
この慣用句は誤った使われ方をしている代表格だそうです。
「敷居が高い。」とは、
友人や知人、親戚など、世話になっている方に十分なお礼をしていなかったり、
迷惑をかけたのにお詫びもしていなかったため、
それが心苦しくて家を訪問しづらいという心境のことをいいます。
「敷居」は玄関の戸が乗る台のことです。
以前は楽にまたいでいたのに、今は心に引っかかるものがあって、
敷居が高く感じられるというのです。
最近では敷居がないバリアフリータイプの家が多くなりましたので、「敷居」という言葉も実感がなくなりましたね。
心苦しく思っている相手にばったり出会ったら、
素直に、想いを伝え、謝りましょう。
「敷居が高くて、伺えずにいました。ごめんなさい。」と。
相手の人は、意外に気にしてはいなかったりするものです。
何と言っても、
その言葉を話す自分自身が一番心がスッとするでしょうね。