たしなみの言葉3「心待ちにしています」
今日も”和のたしな美塾”から
たしな美人「和の雑学」をお届けいたします。♡
「昨日はお足元の悪い中、お運びくださいまして、
誠にありがとうございました。」
昨日は和のたしな美庵で、お呈茶と「太陰太陽暦」のお話、
ご参加くださった方々からのホットなニュースのシェアなど、
盛りだくさんの楽しい会をいたしました。
ご参加いただいた方に喜んでいただく、
また行きたいわと思っていただく、
なんと難しいことでしょう。
そこに思いを向けることが
まさに「おもてなし」なのですね。
私も日々皆様からいつも学ばせていただいています。
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いろんな講座やイベントを企画して、皆様をお誘いし、
お返事をお待ちするとき、
「お返事を心待ちにしています。」
という表現を使うと、
言葉だけではなく、
あなたの存在を大切にしているのですよ、
是非その場を共有したいのですよ、
と、心から思っていることが、
「心待ち」という言葉に表すことができます。
ビジネスでも、先方のお返事を待つときに、
メールや電話で、
「心待ちにしています。」と、
さりげなく使いたいですね。
言葉の柔らかさが相手の方の心に伝わります。
先方の方もきっとゴーサインをくださることでしょう。
たしなみの言葉2「私事で恐縮ですが」
今日も”和のたしな美塾”から
たしな美人「和の雑学」をお届けいたします。♡
親しい友人の間柄であれば、話の途中で
「突然なんですけど、今度結婚することになりました。」
なんて言ってもあまり相手に嫌な感じを与えません。
でも、仕事の場合、
オフィスで話の途中や会議中、喫茶店で商談中など、
話の最中に
「突然ですみません。」
と言うよりも、
「私事で恐縮ですが、」
「私事で申し訳ありませんが、」
と前置きをしてから、
「実は転居しまして」とか
「母が病気で入院することになりまして」
と話すほうが、
相手にビジネスマンとしての立ち位置と自分の胸の内を伝える思いが伝わりますよね。
「私事で恐縮ですが、」
と、即座に大人の言葉が使えるようになりたいですね。
たしなみの言葉1「続けざまですみません」
今日も”和のたしな美塾”から
たしな美人「和の雑学」をお届けいたします。♡
「続けざま」
この言葉は、言葉としては聞いたことがあっても、
いざ使うとなると使いにくいかもしれません。
「続けざま」は、
1)続けて同じことが繰り返されるさま。(続けざまに踏切で事故が起きた。)
2)同じ動作がひき続いてやまないさま。(敵の応酬が続けざまにやってきた。)
3)連続するさま。(電話の音が続けざまに鳴り響いた。)
こんな用例が考えられますが。
「続けざま」に助詞の「に」がつく使われ方がほとんどですね。
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ですから、
「続けざまですみません。」と、
助詞の「で」をつけて、
こんな言い方をしたら、素敵ですね。
オフィスで相手先に、
同じファックスを連続して何度も流してしまったとか、
メールで用件を立て続けに何度かにわたって送ってしまったとか、
同じく、ああ、これもあれもと、数分ごとに電話で何度も尋ねてしまったとか。
こんな経験がありますよね。
そんなときにこの言葉
「続けざまですみません。」
「続けざまの電話で申し訳ありません。」
の心からの一言を添えると、
こちらの謝罪の思いがぐっと伝わり、
相手もまあ、しようがないかという気持ちになりますよ。
是非使ってみてくださいね。
おもてなしの言葉5「お口に合いますかどうか」
昭和の時代までは、女性は花嫁修行としてお茶にお花・・が必須といわれ、
人を家にお招きするのがごく普通のことでした。
現代はホテルなどの非日常の場所で集うことが多くなりました。
ですから、家庭にお客様をお招きして、手料理でおもてなしをする機会も少なくなりました。
「お口に合いますかどうか・・・」
そんな言葉もそういえばあったなあ~という程度で忘れ去られているように思います。
お客様の味覚に合うかどうかわかりませんが、
もてなす側としては、精一杯のご馳走をご用意いたしました。
目には見えませんが、下ごしらえにも心をくだきました。
その結果はいかがでしょうか。
お客様がどのように感じてくださるか、不安半分、緊張半分の心持ちです。
「お口に合いますかどうか・・・」
と、そんなシチュエーションで言われたら、
お客は、もし自分の好みの味ではないにせよ、
私のために用意してくれたのだなあと、
心から幸せな気持ちになりますよね。
成人式おめでとうございます
成人式の今日。
お子さんやお孫さんが二十歳をお迎えになられた皆様、
おめでとうございます。
走馬灯のように小さい頃のいろんな場面が浮かんでくることでしょう。
二十歳は大人の仲間入り。
法律上も自分の意思で契約を取りかわせることができる年齢ですね。
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歴史をさかのぼれば、男子にとっては「元服」(成年式)が大人として認められる儀式でした。
「元服」の「元」は首、「服」は着用の意味があります。
「髪は女の命」といわれてきましたが、
よく見てみると、男子にとっても頭にかぶる冠であったり、髪型を変えたりと、
頭のスタイルは重要な意味合いを持っていたのです。
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さて、日本の成人式の歴史をたどってみます。
平安時代、既に貴族の男子に冠をかぶせる初冠(ういこうぶり)の儀式がありました。
角髪(みずら)という古代男子の髪型(髪を真ん中から左右に分けて耳のところで先を輪にして束ねて垂らすスタイル)から、
頭頂で一つに束ねて結う髪型に変えて、冠(烏帽子)をかぶり、衣装も成人のものに変わりました。
鎌倉時代には、武士の家では、男子は13歳から15歳に、
烏帽子(えぼし)という冠をかぶりました。
烏帽子をかぶるのは、仮の父子の契約をするほど重要な儀式でした。
冠をつける人を烏帽子親、つけられる者を烏帽子子といいました。
室町時代からは、男子は15歳で元服式を行うようになりました。
烏帽子を廃止して、月代(さかやき)をあげる習慣が一般的になったといいます。
そのために男子は前髪を剃るようになりました。
さらに、幼少名から大人の名前をつけたのです。
例えば徳川家康も幼少名は「竹千代」と呼ばれていましたよね。
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女子の元服式は、
鎌倉時代には、12、3歳になると、
垂れ下げた髪を背中で束ねて長く垂らしてその上に裳(も)を着せました。
室町時代以降には、12歳から16歳ごろ、「歯黒染め」の祝いを行いました。
女子の場合は、この歯を黒く染めることを半元服といって、さらに成長すると、「本元服」という眉毛を剃り落とす儀式を行いました。
江戸時代には、「髪上げ」といって、それまでの桃割れなどから島田髷(まげ)に結い上げます。「十六島田」とも言われるように、16歳頃、嫁入りが間近になりました。
男子も鎌倉時代には、公家や平氏系の武家では、厚化粧や引き眉、お歯黒をつけていたといいます
(源氏系はつけない場合が多かったようです。)。
ともあれ、身なりを変えることは本人にとっても自覚を促すものですね。
武士の時代には、一つの決意表明の意味合いが大きかったのでしょう。
現代は「元」も「服」もありませんが、「成人式」を機にして、
日本の創造的未来をになう心広き、平和を愛する若者に育ってほしいと願っています。
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年の初めこそ後ろ向きで
明けましておめでとうございます。
年の始めの 例(ためし)とて
終りなき世の めでたさを
松竹(まつたけ)たてて 門(かど)ごとに
祝(いは)ふ今日(きょう)こそ たのしけれ
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『一月一日』という明治期にできたこの曲は、
家族みんなが健康で無事に年を越せた喜びを表していますね。
年が改めると、「新しい年」ということで、
焦点を未来に定めて、過去の嫌なこと、悪いことは振り返らずに、
新しい自分を、新たな未来を創り上げていきたい思いで出発しますね。
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古い本を整理していたら、20年ぐらい前の「天声人語」の切抜きが出てきました。
過去は背後にあり、私たちの眼前には未来だけが存在しているように、
普通は考えていますが、
昔のギリシャの人々は逆に考えていたというのです。
過去と現在が前方にあって、見ることができるものであって、
見ることができない未来は背後にあるというのです。
私たちの目の前にあるのは未来だけと思うのは錯覚ではないのかと。
何せ見ることができない未来はどんな形か分からないのだから・・・。
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例えば、私たちが旅客機や列車に乗るとき、
前を向いて座席に座るより、後方を向いて座るほうが墜落や衝突事故のときに衝撃が少ないということです。
分厚くて重たい背中の筋肉や背骨が自分の内臓を強く圧迫してしまうので、
それを避けるためなのです。
これとて、意外ですね。
子供達には一番前の座席に座らせて、目の前の未知の世界を味わう体験させたいと、
大人ならだれしも思いますもの。
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写真:「はこせこ」現代に蘇らせる日本の伝統的刺繍〜田中京子さん
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未知の世界に起こるであろうことに常に毅然として立ち向かい、
高度成長を一致団結してやり遂げてきた日本の先人たちには、
後ろ向きの姿勢は衝撃的な考え方だと、だれしもが思うでしょう。
東北の大震災を契機にして、心の結びつきの大切さや心の豊かの見直しに、
多くの人が気づき、語り始めました。
過去と現在に目をそむけずに、家族、職場、地域などの人間関係や自分のあり方など
を見直していくときに入ったともいえると思います。
それはかつての日本人の生き方や考え方に目を向けていくことでもあります。
今まで築き上げてきた自分の「背骨」に大いなる自信を持って、未来を創り上げて
いきたいですね。
私たちの肉体には、人類の営々と築き上げてきた経験知がDNAとしてあるといわれています。
「自分の持っている無限の可能性を信じる」というのは、そういうことだと思うのです。
そこにあるのは、みな宇宙の存在から生まれた一かけらであるということ。
みな一つの大生命であるのだということ。
過去、現在から、未来へと続く、この命を輝かせ、大事に今年も生きていきましょう。
江戸文化や日本で行われてきたことなど、また書き綴っていきます。
今年も”和のたしな美塾”をどうぞよろしくお願い申し上げます。
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鏡餅にも福を願う思いがいっぱい
「鏡餅」に「お鏡餅」と「お」をつけているのを見かけました。
たしかに、神に捧げるという意味を表しているのですね。
昨日の記事の続きになります。
こちらをご覧ください。
↓ ↓
http://wanotashinami.com/2014/12/28/new-year/
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鏡餅は、白い和紙を敷いた三宝やお盆に大小の丸餅を重ねます。
そこに吉祥の意味が込められた飾り付けをするのです。
床の間などに1月11日の鏡開きまで飾ります。
丸い餅は、青い銅鏡だとか、豊穣の意味だとか、魂を表すといわれています。
鏡開きにはお供えをおろして、餅を割ってお汁粉にして食べますね。
歳神様(としがみさま)にお供えしたものを「直会(なおらい)」として、
神様と人間とがともに食事をする「神人共食」をするのです。
神力をいただくという意味があるのですね。
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鏡餅の上にのせるミカンは、橙(だいだい)で、
「代々」家督が続くようにとか、長寿を願ってという意味が込められています。
海老は、立派な髭と曲がった腰が老人に似ていることから、長寿のめでたさを表します。
楪(ゆずりは)は、新しい葉から古い葉が落ちることから、
この成長を見届けて家督を譲り、家系を絶やさないめでたさを願います。
昆布は、よろ昆布(よろこぶ)にかけています。
裏白(うらじろ)は、葉の裏が白いことから、後ろ暗いところがない清らかな心を表すとか、
常緑樹の長寿にあやかるためとも考えられています。
鏡餅で新年を祝うということは、やはり福の神をお招きし、
家運隆盛や子孫繁栄を願うということでもあるのですね。
良いお年をご家族の皆様とともにお迎えくださいませ。
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正月飾りにはそれぞれの謂れが
門松、しめ縄飾りや鏡餅など、いろいろいわれがあるようです。
門松は、歳神様(としがみさま)が我が家へおいでになるときに一休みするところです。
松は、「待つ」に通じるものであると同時に、
常緑樹でありどんな環境でも力強く成長する生命力の象徴として縁起の良いものとされていたようです。
門松でなくても、松の小枝を門口の両側につけるだけでもよいのですね。
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しめ縄は、不浄なものが入り込まないようにするものです。
ですから、玄関の入り口や神棚など、ここぞというところに飾るとよいのですね。
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鏡餅は、もともと祭祀のときに神様にお供えされてきたものです。
「鏡」というのは、古代の銅鏡が円形だったことからこの名を用いています。
そのまるい形が魂をかたどったものだといいますから、意味深いですね。
鏡餅の飾り方については、次にご紹介しますね。(つづく)
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お正月に福の神を招くには
年末年始を海外でお過ごしになる方も多いですよね。
お正月の準備もだいぶ簡素化されてきました。
それでも、できる範囲で清々しいお正月を迎えたいものですね。
お正月だけ降臨する神様が歳神様(としがみさま)です。
この神様は福の神です。
やっぱり我が家にもお呼びしたいですものね。
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神様は門松を目印にしておいでくださるそうです。
門松、しめ縄飾りや鏡餅など、実は飾るのに吉日というのがあります。
29日は、「二重苦」「苦の日」として嫌われています。
31日は、「一夜飾り」といわれ、神様を慌ただしく迎えるのが失礼だとされています。
そのため、28日、30日に飾るのが良いようです。
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福の神様、どうぞ我が家にもおいでくださいね。
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羽子板に込めた親心
中国思想の影響で、「邪気を払う」という風習が日本にはたくさんありますね。
「冬至」(昼がもっとも短く、夜がもっとも長いとされる日)に、
無病息災を願って、南瓜(かぼちゃ)を食べたり、柚子湯に入って
邪気を払い、無病息災を願うといわれています。
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「邪気を払う」ものは、ほかにもあります。
お正月の和風の女児の遊び道具、
羽根つき遊びの羽子板が、邪気を跳ね(羽根)返す板として、
女子の健やかな成長を願う人気の縁起物でした。
羽根は、「無患子(むくろじ)」という木の実に羽根を付けたものです。
この名にも、子供が病気をしないようにという願いが込められています。
東京浅草寺境内の「羽子板市」は人気ですね。
華やかな羽子板に、我が子を思う親心がそっと込められていたのですね。
今では羽子板で遊ぶ女児の姿を見かけなくなりました・・・。
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