成人式の今日。
お子さんやお孫さんが二十歳をお迎えになられた皆様、
おめでとうございます。
走馬灯のように小さい頃のいろんな場面が浮かんでくることでしょう。
二十歳は大人の仲間入り。
法律上も自分の意思で契約を取りかわせることができる年齢ですね。
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歴史をさかのぼれば、男子にとっては「元服」(成年式)が大人として認められる儀式でした。
「元服」の「元」は首、「服」は着用の意味があります。
「髪は女の命」といわれてきましたが、
よく見てみると、男子にとっても頭にかぶる冠であったり、髪型を変えたりと、
頭のスタイルは重要な意味合いを持っていたのです。
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さて、日本の成人式の歴史をたどってみます。
平安時代、既に貴族の男子に冠をかぶせる初冠(ういこうぶり)の儀式がありました。
角髪(みずら)という古代男子の髪型(髪を真ん中から左右に分けて耳のところで先を輪にして束ねて垂らすスタイル)から、
頭頂で一つに束ねて結う髪型に変えて、冠(烏帽子)をかぶり、衣装も成人のものに変わりました。
鎌倉時代には、武士の家では、男子は13歳から15歳に、
烏帽子(えぼし)という冠をかぶりました。
烏帽子をかぶるのは、仮の父子の契約をするほど重要な儀式でした。
冠をつける人を烏帽子親、つけられる者を烏帽子子といいました。
室町時代からは、男子は15歳で元服式を行うようになりました。
烏帽子を廃止して、月代(さかやき)をあげる習慣が一般的になったといいます。
そのために男子は前髪を剃るようになりました。
さらに、幼少名から大人の名前をつけたのです。
例えば徳川家康も幼少名は「竹千代」と呼ばれていましたよね。
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女子の元服式は、
鎌倉時代には、12、3歳になると、
垂れ下げた髪を背中で束ねて長く垂らしてその上に裳(も)を着せました。
室町時代以降には、12歳から16歳ごろ、「歯黒染め」の祝いを行いました。
女子の場合は、この歯を黒く染めることを半元服といって、さらに成長すると、「本元服」という眉毛を剃り落とす儀式を行いました。
江戸時代には、「髪上げ」といって、それまでの桃割れなどから島田髷(まげ)に結い上げます。「十六島田」とも言われるように、16歳頃、嫁入りが間近になりました。
男子も鎌倉時代には、公家や平氏系の武家では、厚化粧や引き眉、お歯黒をつけていたといいます
(源氏系はつけない場合が多かったようです。)。
ともあれ、身なりを変えることは本人にとっても自覚を促すものですね。
武士の時代には、一つの決意表明の意味合いが大きかったのでしょう。
現代は「元」も「服」もありませんが、「成人式」を機にして、
日本の創造的未来をになう心広き、平和を愛する若者に育ってほしいと願っています。
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