昨日の3月10日は東京大空襲の日でした。
歴史を振り返れば、昭和20年3月10日未明、
東京は焼夷弾の猛烈な雨に打たれました。
殊に、江東地区は334機に及ぶB29の無差別の猛攻撃を受け、
約2時間半の間に7万余人もの人々が亡くなりました。
川はさながら血の海、死体で溢れていたと、聞いたことがあります。
それ以降日本の大都市も次々に被爆し、原爆で亡くなった人を除いた死者は25万
6000人、被災者は920万人、全焼家屋221万戸に及んだといいます。
まさに地獄絵巻のようだったのですね。
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江戸時代にも、江戸の町は火事、地震、洪水、飢饉などの大災害や天災に遭遇しました。
「明暦の大火(めいれきのたいか)」は、江戸の町の三分の二を焼き尽くした
世界史上で三本の指に入る大火事でした。
この大火事もまさに地獄絵さながらのようだったといわれています。
幕末、ペリーの黒船来航後の安政江戸大地震(1855年)も歴史に残る大天災でした。
戦争も、大地震や大火事も一夜にして、国の運命も人の人生をも一変させてしまうものですね。
今日は3月11日。
東日本大震災からはや4年がたちました。
復興や原発の対策について、もどかしさを感じている人も多いのではないでしょうか。
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江戸の町では、それまでの教訓を活かして、幕府も大店も寺社も士民が一丸となって災害に立ち向かい、
よりよい町づくりをしていくという自治の精神も生まれていきました。
「困ったときはお互いさま」を合言葉として、
「自分にできることはどんなに小さいことでもやろう」という気概も育っていったのです。
自分が人のお役に立っている、
自分も人に生かされているということを実感として生きたのだと思うのです。
私たちも東日本大震災後、みんな本当の幸せとは何だろうと、
真剣に考えるようになりました。
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「火事と喧嘩は江戸の華」という言葉は有名ですね。
それもそのはず。三年に一回は火事で焼け出されるという状況だったようです。
頻繁に起こる火事のために、江戸の商家の火事対策はよくされていたそうです。
火が出て見舞客が駆けつけてくると、酒食を用意していおいて、それをふるまったのです。
昨年も書きましたが、
「かけつけ三杯」という言葉は、この江戸の火事場の習慣から生まれた言葉です。
人は追い詰められると究極の選択を迫られます。
生きるか死ぬかの瀬戸際で、『蜘蛛の糸』のカンダタのように、
自分だけが助かりたいと思うのか、それとも共に生きる道を必死で探そうとするのか。
私たち日本の江戸の先人たちは、災害に遭遇した時、助け合うという行動を選択したのです。
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「かけつけ三杯」
この言葉、今では宴会に遅れてきた人に、罰として続けざまにお酒を三杯飲ませるという意味で使われていますが、江戸の火事に由来があったのですね。
大火事にみまわれても、心の余裕を失わずに人々のお役に立とうとした心意気。
そして、助け合いや互助精神。大変な状況の中で、互いに命を尊んで生きて、生きて、生き抜いた人たち。
そんな中での「かけつけ三杯」という相手をねぎらおうとする心意気には、もう脱帽です。
火事場の馬鹿力とは、本当はそういうものなのでしょう。
どんな災害に見舞われても不死鳥のように立ち直ってきた日本は、
先人たちの助け合いの精神が実は大きかったのだと、
痛感します。
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まずは自らが手を差し伸べようではないか。
その手を掴んでくれる人が必ず現れるのだから。
そして、必ず共に立ち直れると信じていこう。
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