リンカーンに会えた日本人浜田彦蔵

今日は、エイブラハム・リンカーンの命日(慶応元年・1865年4月15日)です。

第16代アメリカ合衆国大統領エイブラハム・リンカーン。

「人民の人民による人民のための政治」という言葉は有名ですね。

南北戦争の激戦地ゲディスバーグで戦没者をとむらった国立墓地の開所式での言葉です。

これは民主主義の本瑞として、フランス共和国憲法にもその原理として採用されたということです。

リンカーンに会ったという日本人で、ただ一人、リンカーンの死を深く悼んでいた人がいたそうです。

その名は、横浜の貿易商ジョセフ・ヒコ(浜田彦蔵)。

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彼は、播磨生まれで海上で遭難してアメリカ船に救われ、少年期をアメリカで過ごしました。

帰化して、最初の日系人となり、安政6年(1859)に帰国してからは、アメリカ領事館の通訳として活躍したそうです。やがて横浜に貿易商社を開きました。

1861年、また渡米して、62年3月、リンカーンと会見しています。

日本人としては唯一のリンカーンとの会見でした。

彼がシーワード長官の紹介でリンカーンに会ったとき、

リンカーンは大きな手を差し伸べて、「日本のような遠いところからよく来てくれました」と言ってくれたそうです。どんなにか嬉しかったことでしょうね。

彼はリンカーンのことを

「きわめてまじめで親切な人間で、接する人の誰にも愛されて、とくに自分の一統や友人からは、ひどく愛されていたとのことである。」と、書き記しています。

リンカーンに会ったという唯一の日本人ジョセフ・ヒコのお話、いかがでしたか。

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3年ほど前のスピルバーグ監督の映画『リンカーン』はご覧になりましたか。

南北戦争の最中、奴隷制の廃止と戦争の終結に挑む重厚感のある映画でした。

エイブラハム・リンカーン扮するダニエル・デイ=ルイスがまさに適役で素敵でした。

自分の死を覚悟しての改革。既成概念や固定概念を打破していくことは困難が伴います。

アメリカも日本も平和な社会になっていくことを望みますね。

本日も最後までお読みいただきまして、ありがとうございます。

今日も素晴らしい一日をお過ごしくださいね。

 

浜田彦蔵の生涯については、こちらをご覧くださいませ。

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