日光の魅力1「日光山開祖は勝道上人」
おはようございます。
世界遺産になった日光東照宮をはじめとする二社一寺は、
年々大勢の観光客で賑わってきています。
日光の礎をつくったのが日光山の開祖勝道上人(しょうどうしょうにん)と
いわれています。
上人が活躍した奈良・平安時代。その辺りはジャングルのような密林だったといいますから、
開拓するには大きな困難が伴ったことでしょう。
日光は山や森林にとてもパワーを感じます。
毎年訪れても飽きることのない魅力があって、
東京からは近く、夏は涼を楽しめる場所です。
素敵な一週間になりますように。
かき氷2
おはようございます。
平安時代の特権階級の貴族もかき氷を食べていたようです。
宮中に氷を司る役所があって、貴族階級のために、
関西各地に氷をとるための池が540か所、
氷室が21か所用意されていました。
『源氏物語』や『枕草子』にも氷の話題が出てきます。
まだまだ庶民の口には入らなかったのですね。
炎天下、外を歩いて大汗をかいたときは、かき氷が食べたくなりますね。
どんなトッピングがお好きですか。
楽しい日曜日をお過ごしくださいね。
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“和のたしな美塾” 講座
8月28日(木)午後7時~9時
たっぷり味わう江戸の食・江戸野菜
~恵比寿備屋珈琲店
詳しくはこちらをご覧ください。
→→ http://derivejapan.com/course/
かき氷1
おはようございます。
天然の氷を利用するというのは、
ヨーロッパよりも日本のほうが進んでいたようです。
ヨーロッパでは、アレキサンダー大王が最初に主に雪を貯蔵する方法を採用したのが始まりのようですが、
日本では、古代から天然氷を冬に切り出して貯蔵する方法がとられていました。
天然氷の貯蔵庫を「氷室(ひむろ)」と呼んだということです。
(『日本書紀』仁徳天皇のころ)
8月最初の土曜日ですね。
どうぞお楽しみくださいね。
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隅田川花火大会5「花火は一発一両」
おはようございます。
昭和36年まで行われていた「両国川開き」。
その後途絶えていたのですが、
昭和53年から「隅田川花火大会」と名称を変え復活しました。
隅田川上流の2か所、桜橋と厩橋で現在花火が打ち上げられています。
江戸では花火一発の相場が一両。
この一両が一瞬のうちに消えてしまうさまを詠んだのが
「一両が花火まもなき光かな」(松尾芭蕉の弟子榎本其角)です。
花火は、仕込みに手間がかかり、冬の間から取りかかって、
やっと夏に間に合うほどだったそうですよ。
丹精込めて一つずつ作られたので、とても高価だったのです。
ですから、船宿や料亭がスポンサーとなり、この期間はお客の値段にも含まれます。
庶民は橋の欄干から眺めていれば、お金もかからず、天下泰平ですね。
夏の花火、これから本番ですね。どうぞお楽しみください。
どうぞ本日も佳き日をお過ごしくださいね。
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隅田川花火大会4「鍵屋と玉屋」
おはようございます。
今も花火と言えば、「玉屋ぁ~」「鍵屋ぁ~」と掛け声をかけたくなりますね。
両国橋の上流で「玉屋」が花火を打ち上げれば、
下流で「鍵屋」が打ち上げ、
35年間、二大花火師たちは競い合いました。
まず鍵屋から始まった花火大会。
鍵屋から暖簾分けを許された手代の清七が玉屋を興しました。
鍵屋をしのぐ人気だったようです。
ところが、失火のため江戸払い。当時失火は重罪でした。
鍵屋も12代目に身上を潰して廃業に。
もったいないですね。
享保から続いた花火師の歴史は、
掛け声だけを残して消えてしまったのです。
その掛け声がこの現代までも残っているなんて、
江戸の花火の人気を物語っていますね・・。(つづく)
本日も佳き一日になりますように。
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両国花火資料館より
歌川広重『名所江戸百景 両国花火』
隅田川花火大会3「死者の御霊の供養から」
おはようございます。
両国の花火大会(今の隅田川花火大会)は、
死者のおみたまを供養するために始めたものでした。
享保18年(1733)5月28日、
隅田川の川開きに合わせて花火が打ち上げられたのです。
前年の大凶作で、餓死者や、江戸市中ではコレラが大流行して大勢の死者が
出たのです。
八代将軍吉宗が水神祭を行い、花火を打ち上げました。
これが江戸の夏を彩る名物になっていったのですね。
庶民は橋の欄干から鈴なりになって見ていたそうですよ。(つづく)
今日も水分をいっぱい摂って、お過ごしくださいませ。
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隅田川花火大会2「両国の川開きから」
おはようございます。
江戸時代、両国の川開きで行われていた花火大会。
これが今の隅田川花火大会のルーツですね。
両国は下総国と武蔵国の二つを指し、
万治2年(1659)、
この二つの国をつなぐ橋として「両国橋」と、
後に呼ばれるようになりました。
両国には、見世物小屋、芝居小屋、茶屋などが多く、
江戸庶民の随一の人気娯楽スポットでした。
この両国橋付近は、川風が吹き上げてくるので、
江戸一番の納涼の場所だったとか。
大勢の人が浴衣姿で涼んでいたのでしょうね。
クーラーなんて要らないですね。
なんだか羨ましいです。
今日もお体に気を付けてお過ごしくださいませ。(つづく)
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Wikipediaより
葛飾北斎「冨嶽三十六景色 御厩川岸 両國橋夕陽見」
隅田川花火大会1「花火は家康公から」
おはようございます。
日本で最初に花火を見たのは、なんと徳川家康といわれています。
イギリス国王使節ジョン・セーリスが駿府城を訪れたときに、
中国人を使って花火を家康に見せたのが最初で、
そこから観賞用の花火がつくられたということです。(「駿府政事録」)
竹筒から火の粉が吹き出す単純なものでしたが、
イギリスから花火はやってきたのですね。(つづく)
体調に気を付けて、今週もお過ごしくださいね。
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枝豆売り
「豆やぁ、枝豆ぇ。豆やぁ えだまめぇ」
夏は枝豆にビール。冷えた大きなジョッキが目に浮かびますね。
江戸市中では夕方になると、子どもを背負った貧しい裏長屋暮らしの女性が
ゆでた枝豆を入れた小ざるを抱えてやってきたそうです。
思わず目頭が熱くなってきますね。
「てやんでぇ~」なんて言いながら、
周りの人は鼻水をすすりながら、買ってあげていたのかもしれませんね。
人と人とのつながりって、
そんなところからも生まれるものです。
その乳飲み子が大きな心の人に育ったのかもしれませんよネ〜。
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己を知り、身の程をわきまえること
江戸の庶民が物事を考える根底にしていた言葉に、「結界わきまえ」という言葉があります。これは、己を知り、身のほどをわきまえること。
結界はもともと仏教用語ですが、領域を区切る境界線という意味で、自分の立場や力量をきちんと把握し、見せかけのことをしてはならないという戒めです。
相手のことも理解し認めることができるので、
お互いの領分は侵さないということですね。
自分のほうが明らかに正しくて、相手を理屈で言い負かせることができたとしても、相手には屈辱と報復の心が残ってしまう。
「結界わきまえ」が言う分相応、足るを知ることは、決して自分を小さくすることではなく、自分の我を離れ、相手に対する細やかな心遣いをすることなのです。
それは、お互いが気持ちのよい生き方をするということですね。
















