己を知り、身の程をわきまえること

江戸の庶民が物事を考える根底にしていた言葉に、「結界わきまえ」という言葉があります。これは、己を知り、身のほどをわきまえること。

結界はもともと仏教用語ですが、領域を区切る境界線という意味で、自分の立場や力量をきちんと把握し、見せかけのことをしてはならないという戒めです。

自分の立場を客観的に見ることができれば、
相手のことも理解し認めることができるので、
お互いの領分は侵さないということですね。
江戸の人々の考え方には、相手に対する思いやりの精神が根底にあったのですね。
少し話が転じますが、
道元禅師が弟子たちに説いた言葉に、こういうものがあります。
たとえ自分が道理にかなったことを言い、相手が間違ったことを言ったとしても、理屈で責め立てて言い負かすのは良くない。

自分のほうが明らかに正しくて、相手を理屈で言い負かせることができたとしても、相手には屈辱と報復の心が残ってしまう。

また、負けて引き下がってしまうのも良くない。ただ、言い負かせもせず、自分の間違いとも言わず、何事もなく止めるのがよい。

「結界わきまえ」が言う分相応、足るを知ることは、決して自分を小さくすることではなく、自分の我を離れ、相手に対する細やかな心遣いをすることなのです。

それは、お互いが気持ちのよい生き方をするということですね。