老後は知恵の伝承者
江戸時代、お年寄りは隠居して、若い人を育て引き立てる役目でもあったそうです。
人生50年の時代。
40歳を過ぎると、そろそろ世代交代の準備の入るのが江戸の慣わしだったそうです。
これを「老入り」と呼びました。
隠居後は、年長者ならではの見識を期待されました。
例えば、
ユーモア精神をもって、若者をどれだけ笑わせたか、
若者をどれだけ引き立てたか、
若者にどれだけ知恵を伝承したか。
一人でも多くの若者を育てることが評価基準になっていたのですね。
隠居後、自宅のまたは地域の相談役に徹したそうです。
黒澤明監督の『七人の侍』でのワンシーン。
野武士から村人や農作物を守るにはどうしたらよいか、
村人総勢で話し合っても良いアイディアが出なかったので、
水車小屋の古老に尋ねたところ、
「侍、雇うだ。
腹の減った侍探すだよ。」と明解なこたえが返ってきたのです。
さすが、年の功ですね。
明治初期に「老後」という言葉が生まれ、
現代は、社会構造の変化の中で、年長者に対する尊敬の念が薄れてしまいました。
「老入り」という言葉も考えも、消えてしまったのです。
言葉の持つニュアンスは、イメージを大きく変えてしまいますね。
107歳まで現役だった彫刻家平櫛田中(ひらくしでんちゅう)氏の明言。
「七十、八十は鼻たれ小僧。
人間盛りは百から百から」
少子高齢化で核家族化した社会には、この「老後」ではなく「老入り」による
長老の知恵が是非とも必要だと思いませんか。
シニア世代との断絶ではなくて、むしろその知恵を活かして、
若い世代と持ちつ持たれつ、いたわり合い、育て合うような社会を
また取り戻していけたら、素敵ですね。
私も現在実母の介護をしております。
これはやはり切実な問題です。
若い世代が高齢者とのコミュニケーションの橋渡しをどのようにしていくか、
またどのようにいたわっていくか、
「和のたしな美塾」では、そのようなことも今後考えていきたいと思っております。
【七十二候から】35 「土潤いて溽し(むし)暑し」
【七十二候から】35
「土潤いて溽し暑し(つちうるおいてむしあつし)」
皆様、おはようございます。
関東甲信越地方もいよいよ梅雨明けになりました。
暑さ本番を迎えますね。
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外は熱気がむっと湧き上がり、蒸し暑さを一層感じる頃。
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都会の密集した地域では、冷房の室外の熱風によっても暑さが増してきます。
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冷房に頼るだけではなく、暑さをしのぐ工夫をしたいものですね。
日本人なら誰しも涼を感じる夏の風物詩・・
打ち水、夕涼み。
かき氷にスイカ。
風鈴に忍玉。
金魚すくいにヨーヨー玉。
浴衣と花火。
枝豆に冷たいビール。
蚊取線香に蚊帳。
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枝豆には、山形のだだちゃ豆、新潟の茶まめ、京都の丹波黒豆など、
さまざまありますね。
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日本人が氷を食べる習慣は、平安貴族の時代からあったようですが、
本格的には明治に入ってからです。
明治2年、横浜馬車道で町田房造によって氷水が、
その後、横浜の中川嘉兵衛によって本格的な氷が売り出されたとか。
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現代は冷蔵庫で手軽に氷が作れる時代になりましたけど、
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日本の夏を、一工夫しながら、どうぞお楽しみくださいませ。
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曼珠沙華と秋分の日
今日は秋分の日。
お墓参りの日ですね。
秋分の日は、昼と夜の長さがほぼ同じで、これから夜が少しずつ長くなっていくのですね。
どことなくもの悲しさを感じます。
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でも、秋の夜長を虫の音で楽しむ季節でもありますね。
今日は秋のお彼岸の中日でもあり、この日を中心にして、
仏教では彼岸会(ひがんえ)を行って、
それぞれのお寺では祖先の霊を慰める法要を行っていますね。
彼岸会の起源はかなり古くて、
延暦25年(805)の桓武天皇の時代に全国の国分寺で、
春秋2回の彼岸の7日間、金剛般若経読経をしたのが最初だそうです。
天界に咲くという曼珠沙華(彼岸花)が
何とも言えない雰囲気を漂わせていますね。
不思議な魅力のある花です。
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10月にも行います。
ホームページをご覧くださいね。
“和のたしな美”講座
女性限定~和のマナー講座・基礎編~浴衣でアンチエインジング~
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時の鼓動
いつの間にか季節は移ろい、自然は自由自在にその法則に乗って変化していきますね。
近くの公園のもみじが赤色に染まり始め、秋を大きく感じさせてくれます。
「もみじ」の名は、秋口の霜や時雨の冷たさに揉み出されるようにして色づく、
「揉み出るもの」の意味で、
「揉み出づ」が変化して「もみづ」となり、
その名詞形が「もみじ」となったそうです。
先日のスーパームーンは素晴らしかったですね。
こうして、いながらにして月をめでる喜びとともに、宇宙の運行の神秘なる営みを
感じます。
自然の営みは時空を超えて絶えず繰り返され、私たちはその瞬間、瞬間の
「時の鼓動」をともに味わう旅人です。
思いがけない自然災害が相次いでいますが、
人間の営為の中で地球そのものが悲鳴を上げているのはたしかだと思います。
人類はこの地球上で生かされていること、すべてに「ありがとう」の思いを
抱いて行動できたら、きっと地球も癒されるに違いありません。
ふた葉三葉ちりて日くるる紅葉かな (与謝蕪村)
蕪村のように、「時の鼓動」を味わい、時の移ろいとともに、
もみじの変わりゆく美しさを楽しむ心のゆとりとともに、
すべてを慈しむ心の寛さを持っていきたいものですね。
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小泉八雲からふるさとを想う
小泉八雲(ラフカディオ・ハーン、「幽霊」などが有名 )が日本にやってきたのは、1890(明治23)年。
父はアイルランド人、母はギリシャ人。
彼は、ニューオーリンズで遣り手の新聞記者として、またニューヨークで新進気鋭の作家として、活躍していたのですが、
一転して日本の島根に来て英語教師となり、翌年小泉セツと結婚。
合理主義、科学主義に生きていた人が、日本の素晴らしさを身をもって体験していきました。
彼は、ドナルド・キーンなどと並ぶ欧米への日本と日本文化の紹介者でもあります。
彼は、明治以降の日本が近代化への変革に躍起となって、変わりゆく姿を見て、
日本人が大切なものを失いかけていくことをとても残念に思ったのですね。
彼が愛したもの、例えば、それはーー、
遠くのお寺の鐘の音。
宍道湖の漁師が、昇ってくるお日さまを拝む柏手の音。
木の橋を渡る下駄の音。
荷車の音………
「美しいのだ、とてつもなく」と彼は言います。
日本人には当たり前の日常生活の音だったでしょうに。
私たちも今となっては、もう耳にすることもできないものがたくさんありますね。
小泉八雲は、日本人にとっても祖国の文化を顧るよすがとなる人。
八雲を通して、失いかけた日本の感性を少しでも呼び覚ましたい、
今そんな時なのかもしれません。
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