佃島の歴史1〜家康と佃村〜

東京に江戸の面影を残すところを探すのはなかなか難しいですね。

 

 
現在東京に残っているのは、江戸城があった皇居、そして江戸の町の面影を残している佃島ではないでしょうか。
 

佃島は、非常に貴重な島だと思います。
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なぜ佃村の漁師たちは江戸までやってきたのか、とても興味深い話です。

 

 
 
 
慶長年間(1596〜1615)、徳川家康の江戸入府にあたり、摂津国西成郡佃村・大和田村(現 大阪府大阪市西淀川区)の名主森孫右衛門一族7名と漁民33名が江戸にくだってきました。
 

どうも家康との特別な関係があったようです。

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天正年間(1573〜1592)、家康が京へ上る際、摂津国多田神社に参拝した時に、この漁民たちが神崎川へ舟を出したのがきっかけで、
 
家康のお膳に出すための御菜魚の納入や河渡し、海上での隠密活動を務めるようになりました。
 

1613年、彼らは「浅草川と稲毛側を除く全国のどこでも漁をしてもよい」という漁業特権を与えれたのですが、それは1614年から始まる大坂の陣で佃村の漁師が海上隠密活動をしやすいようにするためだったとも言われているということです。

 

 
淀川、神崎川に囲まれた佃村周辺の郷民は、ほとんどが豊臣方であったため、
その中にあって、佃・大和田村の漁民は家康にとって特別の存在であったのです。

                              (つづく)

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 江戸名所四十八景三十 佃しま
歌川広重(二代)画 文久元年(1861)
佃島住吉神社から対岸を望む