西仲通りは月島名物の露店から始まった
今月島二番街のほうは大規模な再開発が行われています。
トタンに覆われ、いつも見慣れていた各商店の二階部分の看板も取り壊されてしまいました。
写真を撮っておけばよかったと、今は悔やまれます。
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「もんじゃ麦」の奥に「佐藤フライ」というレバーフライが大変美味しい店がかつてありました。
このフライ屋さんは大分前に店じまいしました。
お店に入ると、おじさんが「何枚?」と尋ねてきます。「5枚」とか「10枚」とか答えて、フライが揚がるのを待っている間、
そこにある大きな急須の出がらしのお茶を飲んで椅子に座って待ちます。
揚げたてをそこで食べるもよし、持ち帰るもよし。
揚げたてが一番美味しい。しかも、からしをたっぷりとつけて。
このレバーフライの美味しさはもう伝説となっています。
この店も、かつては西仲商店街で露天商から始まり、内店としてこの街に根付いたのでした。
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右側の看板が「もんじゃ麦」
その奥にかつて「佐藤フライ」があった。
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月島が明治25年に築島され、明治30年ごろから自然発生的に西仲通りに商店街が誕生していったようです。
石川鉄工所など機械工場の町となった月島はその労働者の町だったのです。
彼らは収入は少なかったので、
露店で売られているものは、すべてが安かったようです。
しかも、二番街と三番街の間には、映画館や寄席があって、
深川、築地、明石町からも大勢の人がやってきたといいますから、銀座とは違った庶民的な商店街として発展してきたのです。
もんじゃ焼きは平成に入ってからブームとなりましたが、元々は駄菓子屋さんで売っている子どもが食べる安いおやつだったのです。
決して生活水準は高くなくても、いつも人が集まり、活気に溢れていた街でした。
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西仲通りの露店の賑わいを、『月島調査』(大正8年(1919))ではこんなふうに表現しています。
「雨が降らないかぎりは毎夜道路の中央に露店が立ちならび、夕方になると買い物の主婦層を対象に、一丁目から二丁目あたりに魚貝類や野菜を売る露店が開いた。
日没ともなると、五丁目の角あたりに、工場から帰ってくる労働者を労って焼き鳥屋や肉フライ、おでん屋など、安価な飲食店が開く。
そして夜になると、南北を結ぶように各種の露店が開かれ、午後8時半から10時ごろまでの間がもっとも賑わいを見せた。
そして11時ごろになると、両側の商店も店を閉め、露天商たちは潮が引くように帰路につき、西仲通りは静寂に包まれた。」
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戦後は闇市の形成によって露店自体も禁止され、月島地域の工業の衰退と労働者人口の減少も拍車をかけることとなって、
月島名物の露店は再現されることはなくなりました。
昭和63年(1988)に商店街にアーケードが施され、歩車道の区分もされて現在に至っています。
庶民的な街月島、そしてもんじゃ焼き、庶民の生活から生まれ出てきた街であり、文化ですね。
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ちょっと嬉しいことは、「もんじゃ麦」三号店でレバーフライを作って売り出しました。
この味が、あの「佐藤フライ」のレバーフライの味によく似ているのです。
形は違いますけど。
でも、懐かしい味です。昭和の味を彷彿とさせてくれます。
皆様もご賞味あれ。
現在仮移転のため清澄通り沿いの路面店で販売しています。