江戸のエコ社会から生まれた「冷やかす」

おはようございます。

“和のたしな美塾”講座 明日20日は、

「江戸庶民の生活術に学ぶ
『環境に優しいエコな生活創作術』」と題して、

講座を行います。

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「冷やかし」「冷やかす」という言葉も、

江戸のエコ社会から生まれた言葉です。

講座の一端をご紹介します。

日本では紙は大変貴重なものでした。

紙が日本に伝わったのは、538年。

朝鮮半島を経て中国から伝わったのです。

そのとき一緒に伝わったのは、仏教、筆や墨。   仏教とともに日本にやってきたという長い歴史を有していますね。

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江戸時代もやはり紙は非常に貴重なものだったのです。

寺子屋では半紙を表裏真っ黒になるまで使い、
その後、「紙屑買い屋」がやってきて、半紙を回収し、それが再生されていきました。

「紙屑買い屋」がちゃんとした商売として成り立つほど、

この時代にはれっきとした商売として世の中で需要があったのですね。

千代紙

回収された紙屑は浅草に集められ、大きな釜で煮てドロドロの状態にした後に、

枠に入れて引き延ばします。

紙すき職人は紙の材料を水に冷やす間、

一時(二時間)ほど手があくので、

その間に吉原をぞめき歩いたのです。

寺山町旧杉山家住宅

日本堤があった山谷堀がこの頃は清流で、紙すきが行われていたのですね。

「浅草海苔」はこの紙すきの成型法を取り入れて作ったといわれています。

吉原を覗き見していた紙すき職人たちは、

紙が冷えた頃にまた戻らなければならなかったので、

吉原者からは「冷やかし客」と言われ、相手にもされなかったということです。

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「冷やかす」「冷やかし」は、

今では買う意思もないのに商品をあれこれ見ることをいいますが、

語源をたどれば、

紙屑買い屋、浅草の紙すき、吉原と、当時の情景が浮かんできますね。

どうぞ講座に遊びにいらしてくださいね。

本日もお読みいただきまして、ありがとうございました。

微笑みが溢れる一日になりますように。

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“和のたしな美塾” 講座。

6月20日は、

江戸庶民の「環境に優しいエコな生活術」から 女性の生き方を学ぶ。

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→→ http://derivejapan.com/course/

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