花の雲 鐘は上野か浅草か
松尾芭蕉が深川の芭蕉庵で聞いた時の鐘は、上野の寛永寺の鐘の音だったのか、
それとも浅草の浅草寺の鐘の音だったのか。
人々が時を知るのは、お寺の鐘からだったのです。
現代人は時を刻む時計をいつも手がかりに、時間を気にして暮らしています。
時計を見ながら、いつもいらついています。
江戸時代は、みな時計なんて持っていませんでした。
時の鐘で時刻を知ったのです。
それと、太陽、月の運行で今は何時(なんどき)だと、自分の身体で時を知って
いました。
今から150年ほど前まで、日本人は自分の五感で時間をとらえていたのですね。
そんな感覚を持っていたことに驚くのと同時に、現代人はその感覚を失ってしまったことに、ショックを受けます。
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一時(いっとき)は2時間。
彼女とデートするとき、「深川のお不動様の前で、暮れ六つに会おう」と約束したとすれば、二時間は待っているよというのが普通のことだったのです。
半時は1時間。小半時は30分。
小さい時間の単位が30分ですから、今のように1分、1秒を争うような慌ただしさやプレッシャーはなかったのでしょう。
ゆったりと時間の流れを楽しんでいたように思います。
人生50年の時代に、時間がないなんて焦ることなく、ゆったり構えることができる人生の価値観って、どんなだったのでしょう。
そこに見えてくるのは、温もりや暖かさです。笑顔だったり、涙だったり。
現代人はこんなに長生きしているのだから、
もっともっと余裕をもってゆったりとした生き方ができるんじゃないかと思います。
一体何に追われ、何を追い求めているのか、今までの価値観の見直しをするべき時代
にきたのではないでしょうか。