皆様、おはようございます。
「人形浄瑠璃」のことを現在では「文楽」と呼んでいますよね。
これは、どうしてかと言いますと、
18世紀に一度歌舞伎の人気に押されて衰退しつつあった人形浄瑠璃が、19世紀に植村文楽軒という人によって大阪で復興したことから、現在では人形浄瑠璃のことを「文楽」と言うようになったそうです。
文楽は、大坂で生まれ育った大衆芸能です。庶民の日々の暮らしの中から生まれた喜怒哀楽を、太夫と三味線と人形が三位一体になって演じる伝統芸能です。
「情を語り、情を弾き、情を動かして見せる」
そこから人間を生き生きと描写しようという芸です。
文楽で出てくる言葉は大阪弁ですね。
浄瑠璃の言葉が大阪弁であり、文楽は浄瑠璃から作品のほとんどを取り入れているからです。
浄瑠璃の言葉が大阪弁であり、文楽は浄瑠璃から作品のほとんどを取り入れているからです。
人形遣いの吉田箕助さんが言っています。
人形が生きているようだとか、人間のように動くとか言われていますが、人形も初期は人間に近づくように写実性を追求していました。
でも、もう人形の開き直りですよ。「うしろぶり」などがその例です。
人形の限界を人形の可能性へと転換させたのです。そして、人形にしかできない独特の美を完成させたのです、と。
箕助さんがニューヨーク公演のときに、著名な演出家やモダンバレエの演出家がびっくり仰天したそうです。誰があんな振り(「うしろぶり」のこと)を考案したのかと。
それは昔から伝わっているものでしてと、答えるしかなかったそうです。
修練と伝統に裏付けされたものなのですね。
ところで、人形とは、生と死を連想させる憑坐(よりまし)として、人間の身体の身代わりとして神霊が宿るという側面もありました。そんな使われ方もしてきたのですね。
三百余年の芸と知恵が凝縮された文楽。人形でしか表せない芸と人間描写。
次回は、当時の人がホットなニュースとして舞台で見た、近松門左衛門作『曽根崎心中』をご一緒に味わってみませんか。(つづく)
今日の日曜日、佳き時間をお過ごしくださいね。