雛(ひいな)遊び
Mar 9, 2020

草餅のルーツは・・

おはようございます。

草餅の 柔らかければ 母恋し  (川端茅舎)

先週、ご紹介しました「草餅」には、
ヨモギではなくてハハコグサを用いたというお話をしました。

→「草餅」についてはこちらです。

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ハハコグサ(母子草)は、春の七草の一つ、
ゴギョウ(御形・オギョウ)のことです。

へらのような丸みを帯びた葉っぱを餅の中に入れていたのです。

ヨモギのほうが香りもよく、健康にもよさそうだと思いがちですね。

どうして、ハハコグサ(母子草)にこだわったのでしょうか。
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母子草2

母子草

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「ハハコグサ(母子草)」というのは、葉っぱや茎に白い柔らかい毛が生えていて、暖かく子どもを包み込むようなイメージがありますね。

毛が多い植物ですし、毛を持った種子が形成されるということを「ほほけ立つ」と呼んで、「ホホケグサ」がなまったものとも言われています。

「ホホケグサ」から「ハハコグサ」へ。

どうも古い呼び名はホウコグサ」とも呼ばれていたようです。

この呼び名が、実は雛(ひいな)送りという、桃の節句に行われる身を浄め災いを祓うという風習と結びついているように思います。

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春の七草の一つである

ハハコグサ(母子草)、つまりゴギョウ(御形・オギョウ)の、

「御形」とは幼児がハイハイをするような形の人形のことで、

これを「這子(ほうこ)」と呼びました。

「這子(ほうこ)」は、上巳の祓い(桃の節句)のときに幼児に贈られた人形です。

幼児の枕元に置かれ、祓いの後に神聖なものとして、翌年にもそれが使われるようになって、

幼児が3歳になるまで身に添えて持たせるという風習も生まれたといいます。

いわば神聖なぬいぐるみやお人形の形のお守りのようなものですね。

ヨモギではなく、ハハコグサ(母子草)が草餅に使われ、桃の節句にお供えしていた意味が何となく分かるような気がしてきました。

菱餅の緑色も母子草の色ともいわれています。

可愛い女児に、病気や災いがなく、健やかに育ってほしいという親心でしょうか。

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雛人形ネフェル

雛人形〜愛しい我が子と〜

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東北では、幼児や無垢な女の子のことを「おぼこ」といいますが、

「這子(ほうこ)」と語源に通じるものがあるようにも思います。

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桃の花

桃の花

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源氏物語にも出ている「雛遊び(ひいなあそび)」

この古くからの女児の人形遊びと上巳の祓いの人形とが結びついて、

更に江戸中期以降には次第に豪華なお雛様に発展していったのですね。

→「雛人形」の歴史については、こちらです。

 

江戸幕府が3月3日の節日を「五節句」の一つに定めたことが、「雛遊び」を「雛祭り」にしたということが雛祭りが大きく発展していった大きな要因となったようです。

上巳の人形(ひとがた)が次第に保存され、飾ることによって人形に願いを込めるというふうになったのですね。

時代が進んでも、娘の幸福を願う親心に変わりはありません。

子どもの幸福を願う「桃の節句」や「端午の節句」。

未来を創っていく子どもたちを、大人はみんなで育てていきたいものです。

江戸っ子が、

子どもはみんなのもの、地域の財産なのだから、みんなで育てるものだ

という気概を持っていたように、

子どもたちを慈しんで育てていきたいですね。

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本日もお読みくださいまして、ありがとうございました。

今週も幸多き一週間でありますように。

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「知とアート体験のたしな美講座」

さくらの季節です。

→こちらもご覧くださいませ。

わらべ吊るし雛

わらべ 吊るし雛

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Mar 4, 2020

『源氏物語』にも出てくる雛(ひいな)遊び

おはようございます。

手のひらに 飾って見るや 市の雛 (小林一茶)

賑わう市で美しい雛を見かけて、そっと手に取る、そこに笑みがこぼれる。

そんな情景が目に浮かんできますね。

今日は3月4日、もう雛人形はしまわれましたか。
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桃の花

桃の花

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「雛人形」の「雛(ひいな)」という言葉は古くから日本にありました。

もともと中国からきていた習慣、五節句の一つ、3月最初の巳の日(上巳・じょうし)は忌(い)み日とされて、川で身を浄める習慣がありました。

日本では、農耕儀礼として、3月初めに物忌み(ものいみ)をして、紙で作った人形(ひとがた)で身体をなでて、それを川や海に流して穢れを祓うという習慣がありました。

これらが相まって、「上巳の祓え」(ひいな送り)が行われてきたのです。
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この人形が「雛人形」の原形と言われて、平安時代には、

貴族の子どもたちが雛遊びに用いた人形を「雛(ひいな)」と呼びました。

『源氏物語』にも「雛(ひいな)遊び」という言葉が登場します。

室町時代には、公家の間で雛と雛道具を若い婦人に贈るという習慣があったそうです。

現代のような「雛祭り」は江戸時代に生まれました。

初めは、紙雛を雛屏風(ひなびょうぶ)の前に2つほど立てて、菱餅や白酒を供える質素なものだったようです。

元禄時代になって、公家の正装の姿で布製で作ったのが都市部で流行しました。

「内裏雛(だいりびな)」という言葉も生まれたのです。

今日、目にするような雛壇をもうけて、三人官女や五人囃子などいろいろな人形や調度品を揃えるようになったのはこの頃からです。

きらびやかに、豪華に、競って作られました。

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お雛様

お雛様

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ところで、

雛膳の中に、はまぐりの潮汁 がありますね。

意味も分からず、ただ、ちらし寿司と一緒に食べるものと思っていましたが、

実はこれにも意味があるのです。

かつて旧暦3月3日、水辺で祓えをする「雛(ひいな)送り」からきたという「磯遊び」。

「磯遊び」は今では潮干狩りとなっていますが、もともとは身を浄めるものだったのです。

「磯遊び」の名残から、はまぐりのお吸い物を雛膳に揃えるようになったといいます。

身を浄めるという「上巳の節句」にふさわしいものだったのです。

風習の中には本当に興味深い歴史が隠されているものですね。
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貝合わせ

貝合わせ〜ケイちゃんさんによる写真ACから)

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明日は白酒の歴史をご紹介しますね。

本日もお読みくださいまして、ありがとうございました。

今日も幸せいっぱいの一日になりますように。